大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
マックス・ローチ
撰者:松井三思呂
【Amazon のディスク情報】
3月の声を聞いて、春の訪れが少し感じられる毎日ですね。
2月の中頃から公私ともに少しバタバタで、コラムのアップが遅れてしまい、申し訳ありません。
さて、今回のコラムは公民権運動をテーマに、前後編と2回にわたって書いていきたいと思います。
それでは、このテーマに行き着くことになった映画の話題から始めることにします。
劇場公開の時から気になっていた映画、『The Help』(邦題:『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜 』)をようやくDVDで観ることができました。
『The Help』(邦題:『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜 』)
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「ヘルプ」とは白人家庭でメイドとして働く黒人の総称で、映画は1963年頃のミシシッピ州ジャクソンを舞台としている。
主人公は上流家庭に生まれ、黒人メイドに母親以上の愛情を感じて育った白人女性スキーター。ライター志望で、大学を卒業して故郷のジャクソンに戻ったスキーターは、「ヘルプ」と呼ばれる黒人メイドこそが様々な苦しみを抱き、「ヘルプ」を求めていることに気付く。
彼女は町のメイド達の実態を本にして、広く伝えたいと考えるが、公民権運動が高揚していたにも関わらず、依然として保守的な空気が支配的であったジャクソンでは、報復を恐れるメイドへの取材は困難を極める。
それでも屈辱的なメイド専用のトイレ設置などを契機として、ようやくスキーターの熱意が通じ、メイド達は重たい口を開き始め、彼女の処女作「ヘルプ」は刊行される。
そして、この本が南部の小さな町に変革の兆しをもたらしていく。
こんなところが映画のあらすじだが、この作品を観て、一人のジャズ批評家と一枚のアルバムが頭をよぎった。
一人のジャズ批評家とはナット・ヘントフ。
一枚のアルバムはマックス・ローチの『ウイ・インシスト』、ナット・ヘントフが主宰したキャンディド・レーベルの代表作だ。
We Insist!-Freedom Now Suite
Max Roach
Candid CJM 8002
マックス・ローチ(ds)、アビー・リンカーン(vo)
ブッカー・リトル(tp)、ジュリアン・プリスター(tb)
ウォルター・ベントン、コールマン・ホーキンス(ts)
ジェームス・シェンク(b)、ミカエル・オラトゥンジ(conga)
トーマス・デュヴァル、レイモンド・マンティーロ(per)
1960年8月31日、9月6日ニューヨーク録音
ナット・ヘントフを一言で表現すれば、リベラリスト(最近あまり使われなくなった言葉だが・・・)ということになるのだろう。映画『ヘルプ』の主人公スキーターもリベラルな存在として描かれており、この点で連想が働いたのかもしれない。
ナット・ヘントフはユダヤ人で1925年ボストンに生まれ、ノースイースタン大学からハーヴァードの大学院に進み、パリのソルボンヌ大学へも留学している。
相当な秀才であったと想像されるが、彼は幼いころからジャズに魅せられ、ボストンのジャズクラブでテナーサックスを演奏したり、ラジオ局のジャズ・プログラムのホストをしたりすることで、ジャズ批評の道を志す。
ヘントフは1952年、ノーマン・グランツの推薦でダウンビート誌のコラムニストに採用され、文筆家としてのスタートを切る。その後、編集者としてダウンビート誌で健筆をふるうが、57年に彼はある事件のためにダウンビートを解雇されてしまう。
クビになった理由がリベラリストの面目躍如といったところであり、ここで紹介したい。
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当時、ダウンビート誌の本社はシカゴにあったが、ヘントフはニューヨーク支社に勤務していた。彼はジャズやブルースといった黒人音楽の雑誌を発刊している会社のなかに、人種の隔離はあってはならないと考えていたけれども、現実には黒人の従業員は一人もいなかった。
そのようななか、ニューヨーク支社の受付スタッフが欠員となり、人材を募集したところ、面接試験の結果、最も優秀であった志願者は黒人女性(実際はエジプト系だったようだが)であったので、ヘントフは自分の判断で彼女を採用した。
しかしながら、幸か不幸かこの直後にシカゴ本社の社長がニューヨーク支社にやって来て、受付の黒人女性を目撃。そして、黒人女性は解雇され、週明けにヘントフが出社すると、彼のデスクも無くなっていた。
ヘントフはダウンビート誌を去った後、ジャズ批評だけではなく、ヴィレッジ・ヴォイスのコラムを担当し、辛口の政治評論を50年間続けるなど、ジャーナリスト、小説家として名声を得ていく。
もし、ダウンビートをクビになっていなければ、ここまでの活躍があったかと思うと、人生の機微を感じる。
1960年、ヘントフはケーデンス・レコード(ポピュラー歌手アンディ・ウイリアムスが社長)傘下のキャンディド・レーベルの監修者に迎えられ、約2年の間に34枚(編集盤を含む)のアルバムを制作する。
キャンディドの作品を概観すると、全てが政治的メッセージに彩られた作品ばかりではなく、ブルース作品なども制作されている。ちなみに、カタログナンバー1番はブルース・ピアニストのオーティス・スパンの『オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース』。
しかしながら、やはり日本のジャズファンにとって、キャンディドの代表作となれば、今回紹介する『ウイ・インシスト』や、ミンガスの『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』、ジャズ・アーティスト・ギルドの『ニューポート・レベルズ』など、政治色の濃い作品が挙げられることになるだろう。
ナット・ヘントフ近影(WIKIPEDIAより)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nat_Hentoff
それは映画『ヘルプ』に描かれた時代、つまり公民権運動が最も高揚した頃に録音され、ヘントフが制作を行っていたことと無縁ではない。
そこで、キャンディド・レーベル活動時期を中心に、公民権運動の動きを簡単に整理してみる。
(1)モントゴメリー・バス・ボイコット
1955年12月1日にアラバマ州モントゴメリーで、デパートの裁縫師として働いていた黒人女性ローザ・パークスは仕事帰りのバスに乗り、白人用座席と黒人用座席の中間の有色人種用座席に座った。白人用の座席が満席になり、白人の乗客が乗ってきた時、バスの運転手はパークスに席を譲るように命じたが、彼女はこれを拒否したため、人種分離法(「ジム・クロウ法」)違反で逮捕された。
この事件に抗議して、マーティン・ルーサー・キング牧師を指導者とするバス・ボイコット運動が約1年間にわたり展開され、56年11月、連邦最高裁は市バスの人種隔離を違憲とする判決を下し、運動は大成功を収めた。
また、このボイコット運動はそれまでほとんど無名だったキング牧師を公民権運動の指導者として、全国的に有名にするとともに、非暴力的な抗議活動の模範となり、これに引き続いて高揚していく公民権運動の発火点となった。
(2)リトルロック事件
1954年5月の最高裁判決により公立学校における人種隔離は違憲とされていたにも関わらず、1957年春、アーカンソー州リトルロック・セントラル高校への9人の黒人学生の入学を当時の州知事オーヴァル・フォーバスが拒否。州兵を召集し、学校を閉鎖してまで、黒人学生の登校を阻止した事件。
リトルロックの市長は事態の収拾をアイゼンハワー大統領に要請。大統領はアメリカ陸軍の空挺師団を派遣して、入学する黒人学生の登校を護衛させた。
前述の『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』に収録されている「フォーバス知事の寓話」は、この時の知事の醜態を愚弄したものだ。
(3)「シット・イン(坐りこみ)」
文字どおり、レストランやコーヒーパーラーの白人専用カウンター席に坐りこむこと。『ウイ・インシスト』のジャケット写真がまさにそれである。白人ウエイターの目付きが何とも言えない。
それまでも小規模なものはあったようだが、南部の学生活動家たちに拡がっていくきっかけとなったものが、1960年2月1日のノースカロライナ州グリーンズボロにおけるシット・インで、ノースカロライナ州立農工大学の1年生4人がウールワース・デパートのランチカウンターの白人専用席に坐った。このシット・インは、4日後には300人規模にまで拡大して、大学当局も学生の行動を支持。ランチカウンターにおける人種隔離が撤廃されるまで休校にする措置を講じた。結果として、ウールワースはランチカウンターを閉鎖せざるを得なくなった。
また、これに引き続きナッシュビルでも数百人規模のシット・インが行われ、4月19日には数千人規模のデモに拡大。5月にはランチカウンターが黒人客を受け入れ始めた。こうして、ナッシュビルは南部で初めて公共施設の人種隔離の廃止に成功する。
(4)ワシントン大行進
1963年8月28日、ワシントンDCのリンカーン記念堂前で行われたデモ行進で、人種差別や人種隔離の撤廃を求めて集まった人々は25万人と言われている。米国史上最大規模の政治集会であり、公民権運動のピークを示す象徴である。キング牧師の演説「I Have a Dream」はあまりにも有名。
以上、キャンディド・レーベル活動時期の前後、公民権運動に関わる象徴的な出来事をピックアップしてみた。
この後、ケネディ大統領はダラスで凶弾に倒れるが、後継のジョンソン大統領によって、1964年7月2日に公民権法が制定され、長年続いた人種差別は法の上では終焉を迎える。
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前篇はこのあたりとしておきますが、今回は非常に政治的な話題に終始してしまいました。
次回の後篇は『ウイ・インシスト』というアルバムの中身に入っていきたいと思います。
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