大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
ソニー・ロリンズ
撰者:吉田輝之
【Amazon のディスク情報】
先日、三宮の音楽バー「ピッコロ」に行くと、高槻市のジャズ・ストリートが話題となった。あるお客さんが今年の5月、初めて高槻ジャズ・ストリートに行き、その素晴らしさを熱く語りだしたのだ。5月のゴールデンウィークの2日間、ジャズに限らず700組以上のバンドが駅周辺で演奏を繰り広げ、二日間で10万人以上が集まる、おそらく日本最大のジャズイベントだ。
それに比べて、日本の「ジャズ発祥の地」神戸のジャズ・ストリートのなんと情けないことよ。だいたい、神戸の場合、ジャズバー、ライブハウス、その他神戸の「ローカルジャズマフィア(私の命名です)」の利権がからみ所詮「商売以下」であることが見え見え。
自治体とボランティアが全力をあげて取り組み、原則「無料」で観れる高槻ジャズ・ストリートと比べようがない、というのが結論だった。
もうジャズという音楽は「町おこし」のネタに今やなってしまったのですね。しかし、80年以降のバブル時代の大掛かりな野外フェスに比べれば、よっぽど健全だと思う。
「モントレー・ジャズフェスティバル・イン・能登」とか「ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾」って名前だけで恥ずかしい。だいたい「港湾都市」ニュポートの名を冠したジャズフェスをどうして「信州の山奥」斑尾でやるのか。僕だけでなく多くの日本のジャズファンはオカシイと思っていたはずだ。
「神戸にも昔、WIDEWIDE JAZZというイベントがあって、あれはあれでよかった」とピッコロのマスター新さんが言うと、僕もその時に聴いた渡辺貞夫さんや山下洋輔トリオを思い出してしまった。
そんな話をした翌日、三宮のBOOK・OFFで「新・神戸の残り香/成田一徹」を見つけた。「神戸の残り香」も「新・神戸の残り香」も持っているのだが、どこに置いたのかわからなくなってしまった。
成田さんが亡くなってもう4年近くも経つのかと思いページをめくっているうちに、じっくり読みたくなり買った。ハイボール一杯分ぐらいの値段だった。読んだら誰かにあげればよい、そんなことを思いながら三宮センター街のジャズ喫茶「ボイス」で再読した。
成田さんの切り絵はもちろん文章も素晴らしい。
この本から、阪神淡路大震災以前というより、もっと昔、70年代の神戸への間接的な感傷を僕は強く感じる。
読みながら、70年代によく通った音楽喫茶を思い出してしまった。
三宮から元町にあったジャズ喫茶「木馬」「トンボ」「さりげなく」「クルセママ」。ロック喫茶では「チャップリン」、六甲道にあった「アロー」等等。地震で街並みがかわり、もう明確に場所が思い出せない喫茶店たち。
70年代中盤から80年代前半、僕が10代の半ばから20代の初めまで、土曜日の午後はもちろん、平日でも学校をさぼって入り浸っていた。短くても1時間、長ければ5時間ぐらいは一杯の珈琲で過ごした。当時、僕は軽い結核に罹り、それを口実に高校をさぼりまくり授業が終わる時間までいたことも多かったのだ。
今思えば無駄に時間を過ごしてのかもしれないが、青春の一時期、あのように無為に時間を過ごすことは間違いなく必要なことだったのだ。
※
そのようなことを回想して、夜、元町のジャズバー、DOODLINに行くと、ロリンズの「アルフィー」が流れていた。その時、この「アルフィー(のテーマ)」が70年代後半から80年代初頭まで、僕の「テーマソング」であったことを唐突に思い出してしまった。
「俺が街を練り歩いている時、俺の頭の中ではマイルズのWALIKIN‘が鳴り響いている」
「俺のテーマ曲はオレ(OLE)だ。」などなど。
(今でもそうかもしれないが)当時の多くの若いジャズファンは意識的にしろ無意識にしろ、そんな「自分のテーマソング」を持っていたのだ。
早い話、自分が映画の主人公となった場合、バックで流してほしい曲が「自分のテーマソング」だ。
前回(ニーナ・シモン)のコラムで、1977年当時、中村とうようさんがDJをされていたFM番組について触れたが、「アルフィーのテーマ」もこの番組で知った。
「アルフィー」は1966年に公開されたイギリス映画だ。もともとビル・ノートン原作の舞台劇で、後に007シリーズで有名になるルイス・ギルバートが監督、マイケル・ケインが主役だ。プレイボーイの主人公アルフィー(マイケル・ケイン)の女性遍歴を綴った映画らしいが、僕はこの映画を観ていない。
実はこの映画、アメリカのアカデミー賞5部門でノミネートされた程の作品らしいが、今までこの映画を観たジャズファン、映画ファンに会ったことないのだ。「つまらない映画だ」と又聞きしたことはあるが、実際、プレイボーイの女性遍歴の映画って、今見たらつまらなさそうだ。
監督がロリンズに音楽を強引に頼み込み、ロリンズが作曲したが映画では別の奏者(どうもタービー・ヘイズらしい)が演奏したらしい。
ロリンズはRCAからインパルスに移籍した最初のアルバムとして、1966年にこのアルバムを作成した。メンバーは10人とビッグバンドに近い編成で、編曲はオリバー・ネルソンだ。
ちなみに映画の主題歌は別に「アルフィー」という類似タイトルがあり、バート・バカラックが作曲してシェールが歌い、こちらもかなり有名な曲なのでややこしい。
とうようさんの番組でこの曲を聴いたとき、このような映画情報は知らなかったが「何てカッコいい曲、そして演奏なんだ。」と思った。テーマ(ブルースだ!)メロディーを吹くロリンズはもちろん、ケニー・バレルのギターもオリバー・ネルソンのアレンジによるアンサンブルにしても一度聴いたらもう忘れられない。
よく聴けばロリンズの演奏は豪快というより、ある種の鬱屈さがあるのだが、それがまた10代の僕にはたまらなかった。
この曲を聴けば、当時ギリシャや東南アジアの船員が闊歩していた三宮から元町に延々と続く国鉄の高架下商店街、まだ整備される前の外人バーのあった狭くて危険な南京町、地下にあったジャズ喫茶に向かう雑居ビルの階段の風景が目に浮かんでくるのだ。
いったいこの曲がいつから自分のテーマソングでなくなったのだろう。いや、いつから自分のテーマソングであることを忘れてしまったのだろうか。
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