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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第148回

安田 南(1)
ジャズシンガー編

撰者:松井三思呂



ゴールデンウィークも終わりました。高槻ジャズストリートは日程が合わなかったものの、今年も春一番と新開地音楽祭には参戦。
春一番では、渋谷毅オーケストラのスペシャルゲストとして、衰えを知らない歌声を披露した吉田美奈子が最高でした。
新開地音楽祭では、やはり大トリの土岐英史カルテット。いつも感心してしまうが、アルトサックスの音色が素晴らしい。湊川公園の夜空に朗々と響きわたっていました。



俺のあん娘はタバコが好きで♪
いつも プカ プカ プカ♪
今回の主人公は、この「プカプカ」のモデルと言われている安田 南。
安田 南を採り上げようと思ったきっかけは、前回のコラムを書く時に参考としたジャズ批評174号だ。「日本映画とジャズ」特集号で、その冒頭の記事が「伝説の女優=ジャズシンガー 安田 南と沖山秀子」。


ジャズ批評174号
【Amazon の書籍情報】

安田 南と沖山秀子、この二人の共通点はジャズシンガーという枠だけに嵌まらない表現者として、60年代終わりから70年代という激動の時代を疾走したことだ。そして、圧倒的な個性と、生き急いだとしか言えない生き様も。
なお、沖山秀子については、大橋さんが彼女の本質を鋭く突いたコラム(第127回)を書いている。是非、もう一度読んでみて欲しい。



ところで、実を言えば、私は以前から「プカプカ」のモデルが安田 南というシンガーであることは知っていたし、山本剛トリオがバックを務めるリーダーアルバム『South』と『Sunny』は聴いていた。
しかしながら、ジャズ批評誌の特集記事を読むまでは、彼女がここまで魅力的な個性派だとは知らなかったし、歌手以外の活動を幅広く行っていた人とも知らなかった。

安田 南は1943年(昭和18年)、札幌市で生まれ(沖山秀子より2歳年上)、中学時代に家族で東京へ移る。目黒第十中学校に編入、ここで彼女のその後の人生に大きな影響を与える佐藤信と出会う。
佐藤信は俳優座養成所を修了後、66年に同期の串田和美、吉田日出子、清水紘治らと共に「アンダーグラウンドシアター自由劇場」を起ち上げ、68年には「演劇センター68」(現在の「劇団黒テント」)の設立に加わるなど、アングラ演劇の勃興に大きな役割を果たした演出家、劇作家だ。

高校は佐藤が都立駒場高校、南が都立広尾高校と別れたが、二人の親交は続く。
南は後で触れる『気まぐれ飛行船』というラジオ番組のなかで、自身の高校時代を振り返って、「全く勉強はしなかった」と話している。ジャズ喫茶通いと疲れて眠ることの間で、たまに学校に行くというやんちゃな高校生活を送っていたところ、クラシックの先生に歌唱指導を受けたことで、ジャズヴォーカルに目覚める。
佐藤はジャズ批評のインタビューで、南と一緒に渋谷の道玄坂へ「1001」(通称センイチ、当時の日本のジャズミュージシャンが愛用したスタンダードの海賊版楽譜集)を買いに行った思い出を語っている。

高校卒業後、南は米軍キャンプやキャバレーで、本格的にジャズ歌手として仕事を始める。
また、ジャズの仕事と並行して、俳優座養成所に入学。最終的には中退するわけだが、原田芳雄などの俳優や舞台関係者との交友が拡がったことが、その後の自由劇場や黒テントでの活動にも繋がっている。

そして、青山や六本木などのジャズクラブでライヴ活動を重ねていくうちに、彼女は「知る人ぞ知るアングラの女王」として、名をとどろかせる。だが一方では、自由奔放、ぶっ飛んでいる女性というイメージも定着していく。

安田 南という人間の自由奔放さ、ぶっ飛び加減を物語る事件、エピソードは数多い。本当にいろいろやらかしている人で、彼女にまつわるエピソードを記すだけで、紙面が幾らあっても足りないほどだ。
そこで、人間安田 南の考察は次回に譲り、今回のコラムは前編として、ジャズシンガー安田 南に焦点を当てたい。

安田 南のリーダーアルバムは4枚。この前編コラムでは、1枚目の『South』と2枚目の『Sunny』を紹介しながら、ジャズシンガーとしての彼女を掘り下げてみる。




South
【Amazon のディスク情報】

『South』(Bellwood OFL-3002)
安田 南(vo)
山本剛(p)
福井五十雄(b)
小原哲次郎(ds)
大友義雄(as)
1974年2月19日 青山ロブロイにおけるライヴ録音

Side A
Gravy Waltz
Bye Bye Blackbird
Good Life
Chains of Love
Side B
Summer Time
Yes Sir That's My Baby
I'm Walkin
Good Morning Heartache



青山のジャズクラブ「ロブロイ」は、作家デビュー前の安部譲二がやくざ稼業の傍らで経営していた店で、当時の妻であった遠藤瓔子がママとして、店を切り盛りしていた。
また、青山ロブロイは、青山学院の高等部に在籍していた矢野顕子が安部家に下宿しながら、夜な夜なセッションに加わり、これが彼女のデビューのきっかけになったことでも有名な店である。

デビューアルバムからライヴ盤とは、相当な度胸と思われそうだが、そもそも録音の時点で10年以上のキャリアがあり、南にとってはホーム中のホーム、青山ロブロイでのライヴレコーディングには、何のプレッシャーも無かったのだろう。
当時、南は笠井紀美子とともに青山ロブロイの二枚看板で、二人が出演すれば、店は満員。瓔子ママの言を借りれば、「ウチではとにかく世界じゃ三流かもしんないけど、日本じゃ一流といわれてるケメコとミナミってのが歌ってるから・・・。」

ただ、遅すぎたレコードデビューということに関して言えば、南は自分の歌が記録されることに臆病になっていた節があるようだ。

さて、『South』である。最初に結論を言えば、全く飽きさせないアルバムだ。前にも書いたかもしれないが、私はヴォーカルものが得意ではない。アナログ盤であれば、片面の途中で飽きてしまって、集中力を失くすことが多い。
そんな私のなかで、『South』は別格。「(本番)行きます~!」という可愛い声で始まる「グレイヴィー・ワルツ」から、最後を飾るバラード「グッド・モーニング・ハートエイク」まで、全く飽きることがない。

何故なのか? 
山本剛トリオは鉄板、非の打ちどころがない。加えて、大友義雄がキレキレ! 『LOVER MAN~アルト・マッドネス』(128回のコラムで採り上げた土岐さんとの双頭リーダー作)より15ヶ月前の演奏だが、既に風格さえ感じさせる。
しかし、何よりも飽きさせない理由は、やはり主役である安田 南の持つ魅力だ。

飛び切りに歌が上手い訳ではない。音程も危なっかしいし、アドリブのスキャットも大雑把。歌詞の英語も微妙。
そのうえ、ジャズ評論家の瀬川昌久氏が「お行儀の悪いビリー・ホリデイ」と評したとおり、ライヴの途中でタバコをプカプカ、ビールをラッパ飲み。歌詞や曲順を間違えることは日常茶飯事という始末。
ただ、「プカプカ」の歌詞どおり、タバコを一日100本吸うヘビースモーカーだったが、声は可愛らしく愛嬌がある。あどけないと言ってもよいかもしれない。

南が決定的に他のシンガーと違っていた点、それが彼女の持つ最大の魅力ではないかと思うのだが、それは彼女自身が巧く歌おうとか、その唄が伝えたいことを正しく聴衆に伝えようとか、というようなことに全く無頓着であったことだ。

ビリー・ホリデイ、エラ、サラ、アニタ・オデイ、クリス・コナー、ヘレン・メリルなどの大御所をアイドルに、歌唱力に磨きをかけ、その唄の世界を表現する技量を高めようとすることが、シンガーとしては当たり前だし、間違っているとも思えない。

しかし、南は違った。大御所たちの型に嵌まることをよしとせず、スタンダードを「安田 南の唄」にして、自由奔放、楽しそうに歌っている。そして、本人は一生懸命だと思うのだが、肩の力の抜けたリラックス感が何とも言えない。



南の残した唯一の著作『みなみの三十歳宣言』(晶文社、1977年)のなかで、彼女は「歌のこと」と編集されたエッセイをいくつか著している。少しだけ引用してみたい。

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〈金鳥の夜のジャズ〉(初出「話の特集」75年8月)
  ジャズを唄ってもう10年が過ぎてしまった。それ相応の年齢にもなった。ちっとも進歩がないではないかと思う。また、同時に進歩しなくてはいけないという理由など全然ないとも考える。
 (中略)
  こうやって英語の歌をずっと唄い続けていても、歌詞の意味など分厚い辞書を引いて調べようとも思わない。各々の歌が失恋の歌だったり、口説きの歌だったりしたからといって、失恋の歌をいかにも傷心らしく、口説きの歌だからといってヘンに色気たっぷりに唄ってみたとしても、だからどうなの。アイ・ラブ・ユーだって千変万化。わたしあなたを愛していますと単純明快に直訳したって味気ないばかりだ。   渡米するミュージシャンは多いけれど、向うで暮して会話に不自由しないだけ英語を喋ることができても、やっぱり外国語は外国語。たとえ発音がよくても、イントネーションが見事だと賞められても、この際きっぱりと、わたしの唄う歌の英語は、もはや体で知る術のない言葉に意味を付与することをやめて、「記号」と言ってしまおう。記号を唄おう。記号を歌にして飛ばそう。

〈MINAMI BLUE〉(初出「JAZZ」臨時増刊 73年8月)
  レコードをあっさりと出さないところが好き? ばァか。あまり有名な歌手でないから良いなん  ぞと思われては真平御免。売れない歌手であることがこういう御時世では充分に商品価値があるというのに。売れないついでに、もしまかり間違って「芸術家」なんかにされてしまっては大迷惑だと。
  つまり結局わたしにとって自分が唄う「場」などどうでもいいのだ、とまずとりあえず言ってみることにする。わたしは唄うことが好きなのだから。唄うことにしか興味はないのだから。どんな「場」を与えられようと、わたしはわたしの「やり口」で唄うだけだ。

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みなみの三十歳宣言
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『South』では、南はその宣言したとおりの「やり口」で歌っている。
特に、「バイ・バイ・ブラックバード」、「グッド・ライフ」、「チェインズ・オブ・ラヴ」の流れは圧巻で、躍動感が半端じゃない。
「バイ・バイ・ブラックバード」では、山本剛がソロのアタマにドヴォルザーク「ユーモレスク」を引用するところ、それを南がスキャットでなぞって、バンドを煽りまくる。
「チェインズ・オブ・ラヴ」でも、南のスキャットと大友義雄のソロとの掛け合いで、南が奔放過ぎて、大友が面食らっている場面がある。
また、「サマー・タイム」はまさに南流。私は後にも先にも、こんな「サマー・タイム」を聴いたことがない。
「アイム・ウォーキン」のブルース感覚には体が揺れるし、ビリー・ホリデイの名唄で知られる「グッド・モーニング・ハートエイク」、恋人と別れた胸の痛みを歌い上げるわけで、南の唄も情感深いのだが、最後はあっけらかんとした印象も受ける。役者経験と男性経験の成せる業か、素敵だ。

ところで、裏ジャケの南の写真、撮影は当時の恋人であった写真家の中平卓馬。口を開けて、何かにビックリした表情が彼女らしい。
話が少し横道にそれるが、南は「プカプカ」の3コーラス目の歌詞・・・俺のあん娘は男が好きで♪ いつも ウフ ウフ ウフ♪・・・を地で行った人で、男性関係は奔放、恋多き女性だったが、中平との関係は恋愛だけではなく、激動の時代を駆ける同志という側面もあった。これ以上は触れないが、中平卓馬という人間も凄い生き方をした人で、興味のある方は調べてみて欲しい。

また、南の文才を高く評価していた瀬戸内晴美(寂聴)が、南を題材としたエッセイ「安田 南~この華やかなる放下流浪~」を71年の朝日ジャーナルに寄せている。
『ズべ公でもフーテンでもない。つきあった男(もちろんセックスで)は七十人だとか八十人だと かケロリとして口にしているけれど、色情狂でもない。横で見ていると、ちょうど靴でもはきかえるように男を変えているだけの話だ。
 まだ宵の口に六本木を男の腕にすがってはだしで歩いている南に逢ったことがある。新しい靴が痛くていやだからはだしになったというのだ』




Sunny
【Amazon のディスク情報】

『Sunny』(Frasco FS-7002)
安田 南(vo)
山本剛(p)
岡田勉(b)
小原哲次郎(ds)
1975年9月1日、2日 ビクター第2スタジオ録音

Side A
Sunny
I'm Beginning to See The Light
Love
Akatonbo ?
Fly Me to The Moon
Side B
You are My Sunshine
I'm in The Mood for Love
Day by Day、
Bei Mir Bist Du Schon
It's been a Long Long Time


2枚目のリーダー作『Sunny』はスタジオ録音。ライヴ録音の前作と比べると、リラックス感や奔放さは少し影を薄めているように思うが、選曲の面白さや丁寧に作りこんだ感がポイント高い。
もちろん、バックの山本剛トリオは絶好調で、南も全幅の信頼を置いていたことが感じられる。

アルバムのテーマチューン「サニー」、ナッシュヴィル生まれのR&Bシンガー、ボビー・ヘブの一世一代のヒット曲で、いろいろなジャンルのシンガーによる膨大な数のカヴァーが残されている超有名曲。
私はこれまで、てっきりサニーという女性に捧げるラヴソングだと思っていたが、ケネディ大統領暗殺の翌日、ナッシュヴィルのナイトクラブで強盗事件に巻き込まれ、亡くなった兄に捧げられた鎮魂歌であるらしい。
そんなことにはお構いなしに、南は自分流の「サニー」を歌いあげる。感情が先行して、一歩間違えばというギリギリ感が素晴らしい。
また横道だが、今回いろいろ「サニー」を聴いてみたが、日本人シンガーでは平山三紀ヴァージョンもお気に入り。

アルバム最大の聴きどころは、「赤とんぼ~フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」というメドレーだろう。南はライヴの終わりに、「赤とんぼ」を好んで歌っていたようだが、このメドレーを聴くと、改めて彼女がジャズシンガーという枠に収まりきらない歌い手であったことを感じる。

南と沖山秀子、両者の伴奏者であった渋谷毅は、このあたりのことをジャズ批評誌のインタビューに答えて、次のように語っている。
『沖山さんは明らかにビリー・ホリデイが好きで歌ってるっていう感じだけど、安田 南さんは、そんなふうにはとらわれない人だったよね。安田 南さんのほうは、歌っているのを聴いても、ジャズの感じっていうのは直接的にはしないよね。沖山さんの場合は、もうまるっきりジャズの感じがするけどね』
 
という訳で、前編のジャズシンガー安田 南の巻はこれぐらいにして、次回の後編では、安田 南という人間をもう少し掘り下げてみます。また、ジャズアルバムではない3枚目のリーダー作『Some Feeling』を紹介しますので、もう少しお付き合い願います。

安田 南[2](人物エピソード編1)へ続く



吉田さんの真似をして、大いなる蛇足です。
安田 南と違って、「幸せ」ってやつがわかった訳ではないですが、タバコをやめました。もう、かれこれ3ヶ月になります。おかげで、3キロ太りました(笑)!


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