大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
オリジナルサウンドトラック
撰者:松井三思呂
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最近、『戦後日本のジャズ文化−映画・文学・アングラ』(マイク・モラスキー著、青土社、2005年)という書物を読んだ。
著者のマイク・モラスキーは1956年、米国セントルイス生まれ。シカゴ大学で日本文学を専攻し、博士号を取得。ミネソタ大学、一橋大学を経て、現在は早稲田大学国際学術院教授を務める。延べ20年以上にわたり日本に滞在、戦後日本文化史の論客で、ジャズ喫茶や居酒屋文化に関するエッセイも上梓している。
戦後日本のジャズ文化−映画・文学・アングラ
マイク・モラスキー著
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また、著者は「アケタの店」でのピアノトリオのライヴと佐藤允彦プロデュースのピアノソロ、二枚のCDを発表するほど、ジャズピアニストとしても相当な腕前を持っているようだ。
さて、本書は2006年度サントリー学芸賞受賞作。内容を一言で言えば、戦後、特に1960〜70年代における日本文化がジャズという音楽の影響により、どのように変容していったのかを多角的に論じた労作だ。「ジャズに触れずには、日本の戦後文化史や日本人の戦後体験が十分に語れない」と、著者は主張する。
読み始めた時は、日本語の流暢さに驚いたものの、重厚な学術書の体裁に腰が引けた。しかし、読み進むうちに夢中になった。
文学の分野では、五木寛之、大江健三郎、倉橋由美子、中上健次といった作家の作品に、どうジャズが影響を与えたのかを明晰に論じており、なるほどと感服させられた。
文学以上に感銘を受けたものは、戦後の日本映画とジャズについての考察だ。ここで、モラスキーは黒澤明監督の『酔いどれ天使』(1948年、東宝製作・配給)と、井上梅次監督の『嵐を呼ぶ男』(1957年、日活製作・配給)の両作品を題材に、映画を通して戦後の日本で、ジャズという音楽がどのように大衆に受容されていったのかを解き明かす。
『酔いどれ天使』の舞台は、戦後すぐの東京の闇市。闇市を縄張りとする若いやくざ(三船敏郎)と、闇市のそばで開業する酒好きの中年医師(志村喬)とのぶつかり合いを描いた作品。この作品のなかでのジャズは、当時「ブギの女王」と呼ばれていた笠置シヅ子の「ジャングル・ブギー」(黒澤明作詞、服部良一作曲)だ。
『嵐を呼ぶ男』は有名な石原裕次郎主演の大ヒット作。この作品におけるジャズは、ライバルとのドラム合戦のなかで、裕次郎が即興で歌う主題歌「嵐を呼ぶ男」(井上梅次作詞、大森盛太郎作曲)。俺らはドラマー♪、やくざなドラマー♪というフレーズはおなじみ。
モラスキーは笠置シヅ子が歌う「ジャングル・ブギー」、その約10年後に裕次郎が歌う「嵐を呼ぶ男」を「日本大衆歌としてのジャズ」として捉えたうえで、一方では『嵐を呼ぶ男』が上映された時期に、日本の文化人層の観客は、『死刑台のエレベーター』や『危険な関係』といった一連のヌーヴェルヴァーグ映画によって、本格的なモダンジャズにさらされていたことに着目する。
このことを踏まえ、モラスキーは50年代末期の時点では、ジャズは映画というメディアと同様に、「大衆文化」と「高尚な芸術」の両面を有する曖昧な文化表現で、大まかには〈スウィング=大衆音楽〉対〈モダンジャズ=芸術音楽〉という縮図に回収できると論じている。
また、モラスキーは映画音楽が二つのタイプに分類できるとしている。
一つは〈同時音〉、音の源泉(例えば、演奏しているミュージシャンやラジオなど)が画面のなかに写る場合、もしくは音源が画面と同次元にあることが分かる音の場合。
もう一つは〈非同時音〉、映画の画面内の世界には属さない音、つまりバックグラウンドとしての「描写音楽」や「ムード音楽」だ。
彼はこの分類が〈現実音〉対〈注釈音〉という区別にも、概ねあてはまるとしている。
ただ、どんなにジャズミュージシャンをストーリーの中心に据えた映画であっても、〈同時音〉、〈現実音〉だけで映画音楽が構成されているものはなく、どこかで〈非同時音〉、〈注釈音〉と共存している。逆に、フランスの一連のヌーヴェルヴァーグ映画のように、ジャズの演奏シーンはなくて、バックグラウンドとしての〈非同時音〉、〈注釈音〉だけで構成されている映画は数多い。
※
前置きが長くなってしまったが、今回のコラムは日本映画から何か一作(一枚)を選ぶこととしたい。
そこで、できるだけ〈同時音〉、〈現実音〉が多い作品が良いということで、思案を巡らした結果、思い付いた作品が『ジャズ大名』。
ジャズ大名
監督:岡本喜八
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この『ジャズ大名』は86年に公開された作品で、原作が筒井康隆、音楽が筒井康隆、山下洋輔ということから、封切りを観に行ったはずだが、どこの映画館だったかまでは記憶がない。また、私にとっては、『ダイナマイトどんどん』の次に体験した岡本喜八監督の作品だったと思う。
今回DVDを手に入れ、あらためてじっくり鑑賞してみたところ、昔の記憶が蘇ってくるとともに、非常に楽しめた。奇想天外なストーリーはもちろん、映像のテンポが絶妙で、活き活きとしたリズム感、スピード感に魅了された。
原作は筒井康隆の短編集『エロチック街道』(新潮社刊、1981年)に収録されている同名小説。81年『近頃なぜかチャールストン』以来、5年ぶりの作品となった岡本喜八監督は、この充電期間に映画化できそうな小説を探していたそうで、そのなかから愛読していた『エロチック街道』の「ジャズ大名」に白羽の矢を立てたという訳。
脚本も監督自身が手掛け、上映時間85分の作品ながら、カット割りは千カットを超える。技巧派監督の面目躍如で、このたたみかけるテンポの良さが筒井〜山下コンビの持つドタバタ、ハチャメチャ感覚と相まって、本作品は一級品のスラップスティック・ミュージカル映画となった。
ポスターのキャッチコピーは、「チョンマゲ頭を叩いてみればニューオリンズの音がする。時は幕末! 駿河の国−アメリカより漂着した黒人達と城をあげてのオールナイト・ジャムセッション!」
という訳で、あらすじはDVD裏表紙を引用すると。
維新の嵐が吹き荒れる江戸時代末期、駿河の国の小藩に流れ着いたる黒き異人三人。ところが、藩主・海郷亮勝は大の音楽好き、三人の奏でる4ビートのリズムに心をときめかせる。やがて城中のあちらこちらからジャズの音が聞こえてくる。樽、鍋、三味線、琴、etc、鳴り始めたら止まらない城を上げての一大ジャムセッション。地をゆるがさんばかりのジャズの音は、維新の産声も知らずに熱狂の度合いを高めていく・・・。
キャストの役者陣も芸達者や個性派揃い。
主役の庵原藩主、海郷亮勝には古谷一行。幕末の動乱期にも関わらず、社会情勢には全く無頓着で、篳篥(ひちりき:雅楽の縦笛)を吹いている時が何より幸せ。トホホな楽天家の殿様を好演している。
殿様を叱咤激励、庵原藩を支える家老の九郎左ヱ門役に財津一郎。殿様といいコンビで、助演男優賞ものの演技。
殿様には二人の妹、おしとやかな姉の文子姫に神崎愛、男勝りの妹の松枝姫に岡本真実(岡本喜八監督の次女)。
城のお抱え医者に殿山泰司、薩摩藩士に唐十郎。
そして、映画のクライマックス、城の地下座敷牢の一大ジャムセッションには山下洋輔も出演し、その上に屋台を引いたタモリも登場するというハチャメチャぶりだ。
※
さて、放浪派コラムとしては映画レビューでは終われないので、今回の一枚は『ジャズ大名』のサントラ盤!
ジャズ大名 SOUND REVUE
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『ジャズ大名 SOUND REVUE』(徳間ジャパン 28JAL-3050)
音楽監督:山下洋輔
製作:岩神六平
デザイン:山藤章二
録音:
1985年2月20、21日:一口坂スタジオ
1986年2月8日:サウンド・シティ
1986年2月10、19日:マグネット・スタジオ
このアルバムのA面5曲は映画のサウンドトラック、B面5曲は筒井康隆プレイズ・サイドで、新潮社より発刊された『筒井康隆全集』購入者プレゼント用レコードの音源が収められており、筒井康隆のクラリネットが聴ける。録音はA面が86年、B面が85年。
A1 ジャズ大名〜シェラ・マドレ山中
物語の序盤。南北戦争が終わり、トロンボーン吹きの黒人奴隷ジョーは、バーモント近くの激戦地跡で弟サム、従兄ルイ、叔父ボブの3人と出会う。彼らはニューオリンズからアフリカへ帰る船賃を稼ぐため、ボブのクラリネット、ルイのコルネット、サムの太鼓、ジョーのトロンボーンでバンドを結成。
この音源は、街道で出会ったメキシコ商人(4人を騙して、香港行きの船に乗せる悪徳商人。ミッキー・カーティスが演じている。)とともに、シェラ・マドレ山中を歩きながら演奏するシーンから。曲は筒井康隆作曲の「ジャズ大名」。
A2 ジャズ大名〜香港行きグスタフォ・カンパ号
香港行きの船内で、4人が演奏するシーン。曲は「ジャズ大名」で同じだが、A1よりも演奏が進歩していて、微笑ましい。
その後、船中でクラリネットのボブが病死する。そして、船が嵐に遭い、残った3人はボートで逃げ出し、幕末日本の駿河の国庵原藩に漂着。城の地下の座敷牢に収容される。
A3 ジャズ大名〜お稽古
庵原藩主の海郷亮勝は、地下の座敷牢から聞こえてくる異国の音楽に興味津々。しかし、性格が律儀な家老の九郎左ヱ門は、亮勝が異国の3人に会うことを許さない。「あの楽器に触れてみたい! 辛抱我慢たまらんのじゃ!」と、亮勝がせがんでいるところに、江戸屋敷の奥方が懐妊したという知らせ。しかし、トホホなことに、この子供が江戸屋敷詰め家臣との不義の子であることが判明し、九郎左ヱ門は監督不行き届きの責任を感じて、切腹を志願する。切腹を赦すことと引換えに、座敷牢の3人と会った亮勝は、まんまと持ち主のいなくなったクラリネットを譲り受け、練習を始めるという次第。
この「お稽古」は城主亮勝の吹く「ジャズ大名」のメロディに、城中がいろんな楽器で加わっていくシーンの音源。家臣は算盤、腰元は琴、台所の女中は三味線、それに加えて、鼓、横笛、琵琶、和太鼓、鍋、釜、洗濯板・・・。「お稽古」中ということで、クラリネットをはじめ、どの楽器も意図的にたどたどしく、ヘタウマなところはご愛嬌。なお、和楽器奏者は仙波清彦の「はにわオールスターズ」人脈が起用されている。
A4 ジャズ大名〜地下もぐり酒場
作品のクライマックス、地下牢内での一大ジャムセッション!
城中ににわかジャズブームが起こっている最中、江戸表からは薩摩屋敷焼き討ちの報せ。東からは薩摩浪士の残党とそれを追う小田原藩兵、西からは薩長軍が交通の要衝である城に迫る。そこで、城主亮勝は「畳を返し、建具を外し、調度を片付ける」と。家老の九郎左ヱ門はついに殿が腹を決めたと思い、「どちらのお味方を?」 しかしながら、亮勝は「戦うためではない。ここをただの『道』にするためだ。幕府も薩長も自由に通ってもらえ。斬り合いになっても、撃ち合いになっても、手出しは無用。私の部屋も無用。」 そして、クラリネットを振りながら、「余にはこれさえあれば。これで『道』造りに景気を付けてつかわすぞ!」
そんなこんなで始まるセッションだが、ジョー、ルイ、サムの3人に、城中の者はもちろん、菩提寺の住職、「ええじゃないか」の民衆、巡礼中の僧侶なども加わる。地下牢の上の『道』では幕府軍と薩長軍の戦闘が行われているにも関わらず、セッションは夜が明けるまで続いていく。
山下洋輔は事前にミュージシャンを招集して、この曲をレコーディング。撮影現場では実際にこの音を流しながら、撮影を行ったらしい。
A5 大名行進曲
朝が来て、家老九郎左ヱ門の掛け声で、セッションは一時停止。地下牢から『道』に上がった家老は、新政府軍の殿銃隊が「トンヤレ節」で行進していくのを見送る。そして、再び地下牢に戻り、カウントの合図。
そこで始まる曲が、山下洋輔作曲の「大名行進曲」。エンドロールまで演奏が続き、ミッキー・カーティス、山下洋輔、タモリも乱入。
主な演奏メンバーを。
中村誠一(cl)(A1〜5)
村田 浩(cor)(A1,2,4,5)
松本 治(tb)(A1,2,4,5)
つのだひろ(ds)(A1,2,4,5)
仙波清彦(各種和楽器)(A3〜5)
林 栄一(as)(A4,5)
佐藤達哉(ts)(A4,5)
石兼武美(bs)(A4,5)
山下洋輔(p)(A4,5)
杉本喜代志(g)(A4,5)
米木康志(b)(A4,5)
※
この『ジャズ大名』、30年前の作品だが、今観ても全く古さを感じない極上のエンターテインメントだと思う。落ち込んだ時には、この作品を観れば、Take It Easyな気分になって、癒し効果は抜群。
ただ、全くテーマ性がないのかと言えば、そうではなく、根底には岡本監督がライフテーマとしていた戦争批判がある。地下牢の上の戦争なんかより、もっと楽しい音楽やろうよ! 実に明快だ。
これで、岡本監督の他の作品も追いかけてみたくなった。
今回のコラムは「日本映画とジャズ」というテーマで、具体的な作品としては『ジャズ大名』にスポットを当てました。私は熱心な映画ファンではありませんが、「映画とジャズ」は魅力的なテーマで、また機会があれば書いてみたいと思っています。
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