大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
ジョン・コルトレーン
撰者:吉田輝之
【Amazon のディスク情報】
こんにちは、11月に入りましたが、暖冬でしょうか、暖かい日々が続いていますね、と暢気なことを言っておりましたら、11月後半、突如寒波がやってきましたね、と震えながら「THE JAPANEASE FAREWELL SONG」を鼻歌でハミングしている吉田輝之です。
今回は少しとりとめもない話をします。
ところで今週の一枚は「COLTRANE at newport/JOHN COLTRANE」です。
※
ジャズは「カッコいい」音楽なんだろうか。
「カッコいい音楽」
「カッコ悪い音楽」
というのはこの20年ぐらい時々頭に浮かんでくるテーマだ。
5年ほど前、神戸北野坂のジャズバー「さりげなく」でマスターの冨山さんから、ある若いベーシストの話を聞いた。確か甲陽音楽院の学生でジャズベースを習っており、「さりげなく」でバイトをしていたが、何とこの若きジャズマンは「コルトレーンを知らなかった」のだ。
驚いた冨山さんはコルトレーンを店で聴かせたところ、この青年は「コルトレーンってカッコいいですね!」と思わず言ったという。
僕はこの話を聞き、
「そうか今の若いヒトはコルトレーンの音楽をカッコいいと思うのか」と驚くとともに
「いや、確かにコルトレーンの音楽ってすごくカッコいい」
「我々も全く意識せずにコルトレーンの音楽ってカッコいいと感じていたのだ」
と気づいてしまった。
確かにコルトレーンという人、マイルスに比べると外見はぱっとしないというか、ファショナブルではないし「カッコいい」というイメージからはほど遠い。なによりも、あの演奏しているポートレートにおける苦しそうな表情、汗だらけの姿は実に「暑苦しい」とともに「求道性」を感じて、その姿からは「カッコいい」とい言葉は浮かんではこないではないか。
しかし、ありとあらゆるコルトレーンのイメージかつ偏見と独断を剥ぎ取って、その音楽だけに対峙すると、
「すごくカッコいい」のだ。
※
そんな話をしながら、冨山さんがかけたレコードが「SELFLESSNESS」だ。曲目は3曲。
1. MY FAVORITE THINGS
2. I WANT TO TALK ABOUT YOU
3. SELFLESSNESS
1と2が1963年7月のニューポートジャズ祭での演奏、3が1965年のファラオ・サンダースが加わった演奏だ。(1969年にリリース)
コルトレーンといえば「MY FAVORITE THINGS」、
「MY FAVORITE THINGS」といえばコルトレーン。言いづらい曲名なので日本のジャズファンは通常「マイフェバ」と呼ぶ。
このリチャード・ロジャースが作詞、オスカー・ハーマンスタインが作曲を担当したミュージカル「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」挿入のワルツ曲にコルトレーンは執りつき、執りつかれてしまった。
この曲が1960年10月に録音されて以来、残った音源は海賊版も入れれば何十枚もある。その中でこの63年のニューポートジャズフェスティバルでの「MY FAVORITE THINGS」は、特にジャズ喫茶エリアにおいて最高峰といわれている演奏だ。
この演奏でのドラマーはエルヴィン・ジョーンズではない。ロイ・へインズだ。エルヴィンは63年の4月から3ヶ月間、刑務所、もとい療養所に入っており不在だったのだ。このフェスの他にもエルヴィンはコルトレーンのグループ在籍時代にしばしば入所、いや入院することがあったらしくトラはロイ・へインズが勤めたという。
ロイ・へインズ。日本での通称は「ロイヘイ」。47年から49年まではレスター・ヤング、49年から53年はチャーリー・パーカー、54年から59年はサラ・ヴォーン、59年から60年はセロニアス・モンク、60年から61年はエリック・ドルフィー、61年から65年はスタン・ゲッツのグループに在籍し、その他ローランド・カークやフィニアス・ニューボーンJr、チック・コリア等のレコードに参加し全て名盤、傑作。
90歳を超えた現在でも現役で活動する「生きた伝説」という言葉では括りきれない怪物的ドラマーだ。
なんせ、今なお「WE THREE」の頃と同じ眼光を持ち続けている男なのだ。
この「MY FAVORITE THINGS」が傑作中の傑作と言われているのはロイ・へインズのドラムによる。
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僕は初めてこのレコードでの「MY FAVORITE THINGS」を聴いた時、「やけに手数が多いドラムだな」と思い、曲が進んでいくにつれ「このドラムは何なんだ」と思った。リズムをキープするのでなく、豪快にビートを刻むのでもない。ビートと言うよりパルス。こんなドラム聴いたことがない。
そのようなことを僕は冨山さんに話したのだが、冨山さんは一泊おいて
「うたっているんですよね。このドラム」
そうだ、その通りだ、うたっているのだ。
「歌う」
「謡う」
「詠う」
「唄う」
全ての意味を含めて、ロイ・へインズのドラムはうたっている。
リズム楽器でもベーシストがうたうことはよくある。例えば板橋文男トリオの井野さんのベースがうたうのを何度も聴いたことがある。
しかしドラムがうたうことは滅多にない。
コルトレーンがうたい、マッコイ・タイナーがうたい、ギャリソンがうたい、ロイ・へインズがうたい、そのドラムを聴き、他の3人がまたうたう。
「終わってくれるな。やめないでくれ」という強烈な渇望をうむジャズ史上に残る演奏だ。
※
ミュージカル「ザ・サウンド・オブ・ミュージック」の初演は1959年、コルトレーンのアトランティックでの録音が1960年とかなり取り上げるのが早い。
ミュージカルの舞台はオーストリラのザルツブルク。1938年のドイツ(ナチス)によるオーストリア併合前、第二次世界大戦の前夜といえる時代だ。
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修道女の見習いのマリアはお転婆娘だが、オーストリアの退役軍人トラップ大佐の7人の子供(多い!)の家庭教師に修道院から命じられる。トラップ大佐は元軍人らしく極めて厳格だが子供達は悪戯好きで家庭教師がすぐに辞めてしまっていたのだ。
子供達はマリアにも悪戯をするが、お転婆のマリアはめげない。マリアは、母親を早く亡くして子供が歌える曲がひとつもないことを知って驚いた。そんなマリアが子供達に教えるのが「ドレミの歌」だ。それを機会に子供達はマリアになついていく。
そして嵐の晩、雷の光と音に怯えてマリアの部屋に逃げ込んできた子供達に、マリアが「悲しい時、辛い時は楽しいことを考えましょう」と「マイ・フェィバリット・シングス(私のお気に入り)」を歌う。(以下「引用」)
『バラにかかる雨の雫(Raindrops on roses)と、子猫のヒゲ(And whiskers on kittens)』
と始まるこの曲は、
犬に咬まれても(When the dog bites)
蜂に刺されても(when the bee stings)
悲しくても(When I'm feeling sad)
お気に入りを思い出す( I simply remember may favorite things)
つらい気持ちもへっちゃらだよ (and then I don't feel bad)
トラップ大佐は「うたを忘れてしまった人間」だが、音楽を通じて家族の繋がりを取り戻していく。
トラップ大佐とマリアは次第に魅かれていくが、もうこれ以上いられないと決意したマリアは修道院に戻ってしまう。(神に一生を捧げる修道女なのに男性を愛してしまった)マリアは懺悔するが、修道院長は「神の愛も男女の愛も同じだ。向き合って自分の道を見つけなさい」と諭す。そこで修道院長が歌うのが『全ての山を登れ』だ。(以下「引用」)
「全ての山に登れ。
全ての道を歩き、
全ての虹を渡れ。
自分の夢を見つけるまで」
優秀な軍人であったトラップ大佐はドイツ軍(ナチス)への参加を求められるが、大佐は中立国スイスへの亡命を決意し、一家は修道院に逃げ込むが、そこに乗り込んできたナチスの手を逃れ、山を越えてスイスへと亡命する。エンディングシーンでは再び「全ての山を登れ」が流れる。
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言うまでもなく「サウンド・オブ・ミュージック」はミュージカルであるとともに、『反ナチス映画』だ。ライターのリチャード・ロジャース、オスカー・ハーマンスタイン2世とも東欧系のユダヤ人だ。
※
話をコルトレーンに戻そう。
1961年から63年、コルトレーンの人生は大きな曲がり角に入っていく。
1961年11月:ダウンビート誌がモンタレージャズフェスでの演奏を酷評
1962年2月:レーナード・フェザー、ダウンビート誌の酷評に同調
1962年4月:アイラ・ギドラー、ダウンビート誌で酷評
この頃、コルトレーンのマウスピースが破損。
1962年9月:ボブ・シールは評論家の酷評に対抗?するため「BALLADS」等を企画しレコードの売り上げ打開を図る。
1962年:流産したナイーマとの関係悪化
1962年11月:コルトレーン、セシル・テイラーの部屋でアルバート・アイラーのレコードを始めて聴き衝撃を受ける
1962年2月:アルバート・アイラーと共演
1963年4月2日~10日:アラバマで人種差別抗議デモ
1963年4月:エルヴィン、入院(?)
このころコルトレーンは白人の恋人と交際
1963年6月12日:全米有色人種向上協会メドガー・エヴァーズ暗殺
1963年7月7日:ニューポート・ジャズフェスに参加
1963年7月:後半 エルヴィン退院(?)
この頃、アリス・マクラウドと出会う
※ 以上、原田和典氏の作成された年譜から引用
もう、ともかくコルトレーンの公私および世相ともタイヘンな時期なのだ。そんな時にニューポートジャズ際での演奏がなされた。
コルトレーンはどうもミュージカルのこの曲を知らなかったらしく、楽譜のディーラーがジャズクラブの楽屋でコルトレーンにこの曲を売り込み、楽譜を読んだコルトレーンが気に入りレパートリーとしたらしい。
しかし、その後、コルトレーンはザ・サウンド・オブ・ミュージックを舞台、もしくは映画(1965年)で観たことがなかったのだろうか。僕が調べた限りでは記録にはない。
自分の代名詞とでもいうべきこの曲を含むミュージカルに興味を抱き、観に行ったと考えるほうが自然ではないか。だが、それは推測の域を出ない。
しかし僕は勝手に想像してしまう。
コルトレーンが「MY FAVORITE THINGS」を演奏するときは、いつも
「犬に咬まれても、蜂に刺されても、悲しくても、お気に入りを思い出せば、つらい気持ちもへっちゃらだよ」
「全ての山に登れ、全ての道を歩き、全ての虹を渡れ。自分の夢を見つけるまで」
と信じて演奏していたと。
※
【蛇足たる補足 1】
この「SELFLESSNESS」はコルトレーンの1969年に出され、ジャズ喫茶で「あのマイフェバは凄い」と噂で広がっていった名盤だ。
実はこの後、インパルスから「JOHN COLTRANE NEWPORT '63」というニュポートーフェスのときに演奏された全3曲が改めて出された。僕の持っているCDでは1993年発売となっている。演奏の順はフェスで実際の演奏順通り1と2が入れ替わり
1. I WANT TO TALK ABOUT YOU
2. MY FAVORITE THINGS
3. IMPRESSIONS
の3曲が演奏されている。
実はSELFLESSNESS に収録されていなかった「IMPRESSIONS」も凄まじい演奏なのだ。ただテーマの後、コルトレーンが殆ど一人で10分以上ソロを取り、ロイ・へインズとの応酬は「何も言うことができない」程だが、演奏の構成として唐突な印象を受ける。
しかし2007年に「COLTRANE at newport」がインパルスから出てこの「IMPRESSIONS」の完全演奏を聴き、ようやく納得がいった。マッコイ・タイナー、ジミー・ギャリソンのソロを含めた23分に渡る演奏でこの両者のソロも素晴らしい。音質も格段によくなっており、「目の前でコルトレーングループが演奏している」という印象さえ受ける。
さらにこのCDでは65年のニュポートでの演奏が収められており「MY FAVORITE THINGS」も演奏しているが、黄金のカルテット崩壊寸前の演奏で、このあたりからコルトレーンの演奏は僕にとってはキツクなってくる。
【蛇足たる補足 2】
実は今回のコラムは冒頭にもあるとおり、もともと「カッコいい音楽とはなにか」「ジャズはカッコいい音楽なんだろうか」という疑問から書き始めたものです。
「カッコいい音楽」と言っても
○ 音楽そのものが「カッコいい」
○ その音楽の「イメージ」が「カッコいい」
○ その音楽の演奏家が「カッコいい」
○ その音楽を聴くリスナーが「カッコいい」
○ その音楽を聴いていることが「カッコいい」といろいろな要素が混じっています
※
もともと「恰好良い」で「恰(あたか)も良し」=ちょうど良いさま」の意味からから「格好良い」と「見た目、外見が好ましい」との意味に変化しました。
最近の若者は「かっけー」と言いますが、僕は本文で「カッコいい」と表記しました。
もちろん、「カッコいい」というのは主観ですし、年齢によっても大きく異なる感情だと思います。
今、ジャズという音楽は、基本的に「老人が演奏して老人または初老のヒトが聴く音楽」でしょう。たまに若いヒトから「ジャズが好きです」に言われると嬉しいとともに「また、物好きな」と思ってしまいます。
私、最近、日本人の美意識の核は「カッコよさ」にあるという考えを持っており、そのことを機会があればまた書きます。
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