大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
ウェス・モンゴメリー
撰者:大橋 郁
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このアルバムが録音されたのは、1968年5月。そして、一か月後の6月にウェス・モンゴメリー(g)は、心臓発作が原因で45歳で亡くなった。
前年に発表した「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」は、当時のジャズ・レコードとしては異例の20万枚のセールスを記録し、「ダウンビート誌」では、人気投票のギター部門に選ばれ、正に人気の絶頂だった。
「ロード・ソング」は、云わば遺作となった訳である。
通常このアルバムは、決してウェスの代表作に挙げられる常連ではない。世間でウェスの代表作と言えば、普通は1960年の「インクレディブル・ジャズ・ギター」や「フル・ハウス」あたりであろう。これらは、王道のモダン・ジャズを展開していた時期であり、ウェスのキャリアの中では前期にあたる。
この頃の吹き込みレコード・レーベルは、ほぼリヴァーサイド・レーベルである。しかしウェスは、66年にヴァーヴ・レコードに「夢のカリフォルニア」を吹き込むあたりから、イージー・リスニング志向となり、67年にA&Mレコードに移ってからは、クリード・テイラーの制作、ドン・セベスキーの編曲で、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド」といったヒット・アルバムを制作した。これら2作と「ロード・ソング」を加えた三作品は、「CTI3部作」とか「A&M3部作」等と呼ばれる。
(1)ア・デイ・イン・ザ・ライフ 67年6月録音
(2)ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド 67年12月〜68年1月録音
(3)ロード・ソング 68年5月録音
A Day In The Life
Wes Montgomery
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Down Here on The Ground
Wes Montgomery
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Road Song
Wes Montgomery
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CTIとは、「クリード・テイラー・インコーポレテッド」の略で、プロデューサーのクリード・テイラーが、主としてポップス寄りの曲を選曲し、イージー・リスニング・ジャズ・シリーズとしてポピュラー音楽に近い親しみやすさを全面に出したシリーズだった。
それまで、モダン・ジャズをビシバシに展開していた前期(リヴァーサイド・レーベル時代)と趣向を変え、64年〜65年頃にウェスは、イージー・リスニング路線に転換する。この路線変更を導いたのが、プロデューサーのクリード・テイラーとの出会いだった訳だ。
チャーリー・パーカーもかつて、自身の発案で「ウィズ・ストリングス」というアルバムを作った時は、コマーシャルへの進出だとか、妥協など、批評家からもファンからもさんざんだったらしい。しかし、松井さんが第128回で土岐英史を取り上げた時に、後半で触れていた日本を代表するアルト・サックス奏者のひとりである大友義雄も、高校時代に「チャーリー・パーカー・ウィズ・ストリングス」を聞いて、ストリングスをバックに朗々と響く、あたたかくおおらかなパーカーの音色に癒され、それまで吹いていたクラリネットからアルト・サックスに持ち替えたのが、プロミュージシャンになるきっかけだったと語っている。
ウェスのこれら3部作も、ポップ・ソングを積極的に取り上げ、コマーシャルに妥協したと、コアなジャズ・ファンから一段下に見るような云われ方をした。また、ムード・ミュージックだとか、イージー・リスニングとも云われた。後になって、クロスオーバーやフュージョン、ソフト・アンド・メロウの走りだったとも云われた。呼び方はどうでもいい。しかし、元々大衆音楽はコマーシャルそのものである。多くの人に聞かれ、評価されて初めて価値があるのではないか。これを聞いてコマーシャルだといって、シャットアウトしてしまっている人は、実にもったいないことをしている。もっと聞き込めばウェスらしい素晴らしい演奏をしているのに、と思う。
※
1923年生まれのウェスは、初期にチャーリー・クリスチャンを敬愛しており、片っ端からコピーしたそうだ。1943年に20歳で、このアルバムにも曲として捧げられている妻セレーヌと結婚している。
1948年(25歳)からの2年間は、ライオネル・ハンプトン楽団で働いた。しかし退団後は、早朝7時からラジオ工場の部品の組み立て作業に従事し、夜になると、明け方まで地元のジャズ・クラブでセッションする、と云う生活を1956年(33歳)まで続けるなど、実生活は大変だったようだ。ようやく56年にリヴァーサイド・レコードと契約してから、1959年に36歳でウェスト・コーストに進出し、前述した1960年の「インクレディブル・ジャズ・ギター」のヒットで、成功への道を歩み始める。それから、1968年の死まで、ウェスがジャズ・シーンの第一線で活躍したのは、10年に満たない期間だった。
しかし、1961年/1962年は、ダウンビート誌の人気投票で、1位となった。ギターの人気投票で1位に黒人が選ばれるのは、13年ぶりのことだった。それまで5年連続で首位だったのは白人のバーニー・ケッセルであり、63年はチャーリー・バード、64年/65年はジム・ホールなどの白人がギター部門の首位となっている。
さてウェスは、インディアナ州のインディアナポリスに生まれ、終生その地を離れようとしなかった。亡くなった時も、インシアナポリスの自宅で心臓発作を起こし、近くの病院に運ばれてなくなった。妻と7人の家族はインディアナポリスに残された。ウェスは、大食漢で太り気味ではあったが、よくあるジャズメンの悪癖などはなく、トラブルも持たず、生活はクリーンな人だったようだ。
このインディアナポリスという田舎に生まれ、田舎町に執着したことが、ウェスの人柄や音楽性に関連していると思う。ダイナミックであり、ブルージーかつアーシーで、しゃれた感覚というのとは少し違う。荒々しく、野性味を感じる。ウェスのギターそのものは、「イージー・リスニング」と呼ばれるこのCTIシリーズの中ですら変わっておらず、ウェスは抑えて弾こうとはしていない。ただ、クリード・テイラーは、ウェスの荒々しいギターのカッコ良さ殺さないように、オーケストラという衣で大切にまとって、ウェスの新しい面を引き出したと考えるべきであろう。クリードはいわば、オーケストラという大きな器の中で、ウェスを自由に泳がせてやっている。ウェスのギターは変わらず、攻撃的だ。
その意味で、ウェスとクリードは、芸術家と制作者の理想的な出会いだったといえるのではないか。
ウェスとプロデューサーのクリード・テイラーの出会いは、実は二人が共にヴァーヴ・レコードに在籍していた1963年のことだった。そして65年に「ムーヴィン・ウェス」「バンピン」などで、オーケストラとの共演作を発表したのが成功し、この年、ダウンビート誌の人気投票で再び首位に返り咲いた。続いて1967年にはヴァーヴから「ゴーイン・アウト・オブ・マイ・ヘッド」を発表していて、これは、1967年グラミー賞にも輝く素晴らしい内容だった。
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クリード・テイラーは、1967年にヴァーヴから独立してCTIを設立する。そうして、A&Mレコードを通して意欲的なCTIシリーズを送り出すことになる。その第一作がウェスの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」だった訳で、他の2作も続いて発表された。
CTI3部作では共通して、ハービ・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、グラディ・テイト(ds)、レイ・バレット(perc)、ヒューバート・ローズ(fl)といった錚々たる人メンバーが脇を固めており、彼らのバッキングの冴えが、ピリリと効いていて作品の出来に味を添えている。
冒頭のタイトル曲「ロード・ソング」は、ウェスのギターのカッコ良さが前面にでた、最もギターらしい楽曲。グルーヴ感バリバリだ。「グリーン・スリーブス」や「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」「イエスタデイ」「花はどこへ行った」などのイントロでバロック風のアレンジが効果的に用いられている。
このアルバムは、ウェスの荒々しいギターの上から、オーケストラというキチンとした制服を着せて、両者の微妙なバランスを管理し切った、クリード・テイラーによる大成功作であり、多くの人に愛されている本当の意味での名盤である。
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