大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
渋谷 毅
撰者:吉田輝之
【Amazon のディスク情報】
こんにちは、3月のお水取りも終わって暖かくなってきましたが、あいかわらず100m歩いては息を切らしている吉田輝之です。
さて、今週の一枚は「ソロ フェイマス メロディーズ(SOLO FAMOUS MELODIES)/渋谷毅(シブヤタケシ)」です。
今回は、以前「IN THE WORLD」他、何回がご登場いただいている中原さんに再登場してもらいます。
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15年ほど前に僕がまだ前の会社で高松にいた40歳ぐらいの時、中原さんは同じフロアの隣の課の課長さんだった。僕より3歳ほど年上で目がぎょろっと大きくて陽気な人だった。高校時代はサッカー選手として岡山から国体に出てポイントゲッターだったと聞いたこことがあるが、当時はかなり貫禄がついた体型をされていた。
高松では地元の中古レコード店の主催で、西日本の中古レコード店5、6店が参加して半年に一度くらいの割合で「レコード市」が商店街の一角で行われていた。
ある日そこで中原さんに偶然出くわした。お互い「何でここにいるの?」と驚いて、それからレコード友達になってしまった。
中原さんはジャズ、ロック、ソウル、ブルーズ、シンガーソングライター、クラシックと守備範囲が広く、特にジャズについてはメチャクチャ詳しく、筋金入りのレコードコレクターだった。
僕みたいにボロ盤でも安かったら買っておこうというタイプではなく盤、ジャケットとも「ミント」でないと絶対買わないタイプだ。
それから土曜日の12時前に高松の中古レコード店「ルーツ」で落ち合い「ガスト」で確か500円の定食を食べてコーヒーを飲みながら延々と音楽の話をした。(しかし男同士どういう関係だ)
僕のジャズ関係の「穴場」的知識はかなり中原さんから仕入れたもので、またいろいろな「穴盤」を教えてもらった。
「SELDAN POWELL/SELDAN POWELL」、「GOOD GRAVY/TEDDY EDWARDS」などだ。
しかし、特に僕が中原さんから学んだのは、ジャズファンに多いと言われる「レコード横滑りトーク」だ。あるAというレコードのXと言うプレイヤーについて話をしていると共演者YのBというレコードの話になり、さらにそのレコードでの共演者ZのCというレコードの話と、延々と話が横滑りしていくのだ。
ちなみに、最初誰の話をしていたのか全くわからなくなり果てしなく混乱していくことを「レコード横滑り崩壊現象」、そして奇跡的に話が最初のXというプレイヤーについに戻ることを「レコード横滑り永劫回帰現象」という。
僕らは半年に一度くらい、朝一番5時過ぎの高松から神戸へのフェリーに乗って「レコードの買出し」に出かけた。電車だと片道7,000円以上かかるがフェリーだと1,500円ほどだった。片道4時間半ぐらいかかるが、ずっと音楽の話をしていた。
神戸につくと南京街の元祖ギョウザ苑やさんちかのカレーのSAVOYで昼食を取り、神戸、大阪、京都の中古レコード屋を回った。軍資金は3万円ぐらいだろうか。最後に神戸のジャズ喫茶JamJamに寄って、帰りのフェリーでは買ったレコードを見せ合いながら深夜に高松につくという小旅行であった。
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中原さんは実にレコードコレクターらしいエピソードをいくつも持つ人だった。
やはり二人で京都のある中古レコード屋に寄ったときだ。こちらは店の中のレコードを一通り見終わったが、中原さんは一枚のレコードをもう30分以上見つめたままだ。何かと思いそのレコードを覗くと、ケニー・バレルの名盤「MIDNIGHT BLUE」、それもキング盤だ。中原さんは思い悩んだ表情で「吉田君、これ買わないか」と振り絞るような声で問いかけてくるではないか。
事情を聞くと中原さんは、本当はそのキング盤を買いたいのだ。中原さんは、もちろん「MIDNIGHT BLUE」のキング盤を持っている。それどころかBLUENOTEオリジナルNew YorkラベルRGV耳ありも持っている。さらにはCDでもルディ・ヴァンゲルダーがリマスターした24bid盤を含め数枚持っているのだ。
中原さんがその時握っていたキング盤は売値2,000円、それもジャケット、盤ともに未開封に限りなく近いMINT盤であった。当時キング盤の相場は中程度のコンディションで2,500円ぐらいであろうか。ジャズの品揃えの少ない店だけに格安で出ていたのだ。中原さんは自分が聴き尽くし古くなったキング盤の他に、もう一枚そのキングミント盤が欲しくてならなかった。しかし、中原さんは思った。「今日一緒に来ている吉田君はなんとミッドナイトの音源はCD一枚しか持っておらず、キング盤を持っていないというではないか」そのため中原さんは「断腸の思い」で僕にそのキング盤を譲ろうと言っているのだ。
ええ、買いました。もちろん。みなさん、この中原さんの「善意」に対して一体誰が抗うことができるのでしょうか。
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中原さんは10年ほど前、僕と一緒に当時勤めていた会社を希望退職した。退職の申し出をする前に中原さんは会社を休んで奥さんの広島の実家に家族と向かった。当時中原さんにはまだ小学生の男の子と女の子のお子さんがいた。当然次の仕事はまだ見つかっていない。自分が会社を辞めることを奥さんのご両親に説明というより説得するためだった。
奥さんのお父さんは「安定した職にあるのに何故会社を辞めるのか」「生活はどうするのか」と反対したが、中原さんは「今の会社には未来がない」「家族は必ず守る」と三日三晩かけて説得し、ようやくご両親も納得された。
ほっとした中原さんは奥さんとお子さんに「ちょっと散歩してくるわ」と言って出かけて行った。
行き先は広島市内にある西日本有数の中古レコード屋「Groovin」だ。
中原さんはそこで数十枚のレコードを買って奥さんの実家に戻ってきた。
中原さんの奥様は実によく「できた方」であった。特にコレクターの妻としては理想的な方だ。奥様はいわゆる「音楽ファン」ではないのだが、日々増え続け家のスペースを圧迫し続けるレコード、JBLの巨大スピーカーから鳴り響く轟音、毎週休みの土曜日の昼さがりに男(私のことです)に会いにいくことにも耐え、中原さんのレコード横滑りトークにもニコニコされていた素晴らしい奥様であった。
しかし、この奥様が、大量のレコードを嬉しそうに抱えて戻ってきた中原さんの姿を見て、大粒の涙をため、二人の幼子を抱きかかえながら
「あなた、あなた、まだ次の仕事もみつかっていないのに・・・。あなた、あなた、あなたという人は本当に・・・・。本当にあなたという人は・・・・・」と言って泣き崩れてしまった。
これにはさすがの中原さんも参ってしまった。
次の仕事が見つかるまでの3ヶ月間、レコードは買わずにCDだけを買い、隠し持って家に持ち帰ったという(懲りない中原さんであった)。
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さて、会社を辞める1年ぐらい前のことだ。中原さんから「吉田君、今あるレコードを探しているんだよ」という話を聞いた。そのレコードとは渋谷毅のソロ『渋やん』だ。
中原さんは日本で一番好きなピアニストは渋谷毅だと言った。このレコードは1982年の西荻窪アケタの店での「本番前のあき時間」でのソロ演奏をおさめたもので当然Aketa's Discから出されていた。中原さんはこのCDリ・イシュー盤を持っていたが、LPレコードは既に廃盤になり持っていなかった。
このCDを聴き感動した中原さんは、どうしてもヴァイナルレコードで聞きたくなり東京の懇意にしていたジャズ専用の中古レコード店に「いくらかかってもいいからLPレコードを探してくれ」と依頼した。
3ヵ月後「入手した」という連絡が入った。値段は15,000円だった。
実は僕は中原さんがこのレコードを手にいれたのとほぼ同じ時にヤフオクで見つけてオークションで落とした。2,500円だった。
中原さんがこのレコードを探していると聞いた僕はたまたまヤフオクで出品されているのを見つけた。中原さんには以前「ミッドナイト・ブルー」の「恩義?」があり、「渋やん」を安く落とせたら、中原さんに同値で譲ろうと思っていたのだ。
ちなみに中原さんは盤・ジャケットともMINTしか買わない人だったから、レコードは現物の確認できる店頭か信頼のおける中古レコード店の通信販売でしか買わず、ネットのオークションには絶対に参加しない人であった。
確か僕が入札した翌日に、中原さんから「手にいれた」と聞き、2,3日後入札が確定したと記憶している。
いやぁ、中原さんには、「こちらが2,500円で入手しました」とは、とても言うことができませんでした。
しかし、このレコードを2,500円で入手した僕と15,000円で入手した中原さんを比較すると中原さんの方が圧倒的に『偉い』のだ。
はっきり言って、ことコレクションの世界では経済原則を完全に無視して、誰が何と言おうと、「より高い値段で買った方」が断然“偉い”。
中原さんは当時、一般的ジャズファンからすると著名ではないジャズマンの知られていないディスクを「何としてもアナログヴァイナルで聴きたい」と思い「いくらの値段でも買う」と言っているのだ。
僕がオークション2,500円で手に入れたことからもわかるように、このレコードには当時「市場価格(マーケットプライス)」は存在しなかった。
おそらく中原さんは別に15,000円でなくて3万円でも5万円でも買っただろう。その心意気たるや『偉い』としか言いようがない。
では、逆に市場価格よりはるかに安い値段でレコードを手に入れた場合はどうなのか。それは『偉い』のではなく『羨ましい』。
モノを高くても買うのは「資金力と心意気」が必要だが、安く買うのは「努力と幸運」が必要だ。モノを安く買うためには人知れない「努力」が「幸運」を呼び込むのだ。しかし、それを解っていても、市場価格より遥かに安く買った人は、実に羨ましい。
以前このコラムで、松井さんがマクリーンの「It's Time」のオリジナル盤を100円で買ったという文章を読んでしまうと「これで松井さんは人生の運の半分は使い尽くしたな」とおもってしまうほど『羨ましくて』たまらない。
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さて、「渋やん」のLPを結局僕も所有することとなった。僕は何度も書いている通り、日本のジャズマンについて恥ずかしいくらい知らない。特に80年以降の日本のジャズシーンは生活向上委員会などの活動を横から眺めていた程度の知識しかなかった。渋谷さんについても浅川マキさんと共演したことぐらいしか知らなかった。
渋谷毅というヒト、山下洋輔や本田竹廣、板橋文夫といった圧倒的なパワーでピアノと格闘するタイプのピアニストでは全くない。むしろその演奏は寡黙でとつとつとしている。しかし、ピアニストとして、そして音楽家としての力量は圧倒的だ。特に楽曲の解釈についてはずば抜けている。楽曲をむき出しに演奏できる稀な存在だ。「渋やん」は中原さんが言っていた通りの紛れもない傑作だった。
渋谷さんは1939年11月3日生まれ、現在75歳だ。前回紹介した日野さんが1942年、山下(洋輔)さんが1942年、本田(竹廣)さんが 1945年生まれだから思っていたよりはるかにベテランだ。菊池(雅章)さんと高校の同級生で東京芸大音楽部作曲課に入学するが、在学中からジョージ川口とビッグ4に参加して大学を中退。初リーダー作「ドリーム」を出すのが1975年、36歳だからどちらかと言うと遅い。
渋谷さんのジャズメンとしてのレコードデビューが遅いのは60年代から70年代始めまで歌謡曲の世界で第一線にいたせいだ。
いずみたくのプロダクションに所属して由紀さおりの「生きがい」(1970年)、天地真理「白いバラの道」(1972年)他、多数の歌謡曲を作曲し、さらに編曲にいたっては坂本九の「見上げてごらん夜の星を」(1963年)、由紀さおりの「夜明けのスキャット」(1969年)、パープルシャドウズの「別れても好きな人」(1969年)と印象的なアレンジで大ヒットした曲ばかりだ。
しかし、そのような歌謡曲やCMやアニメ、NHK「おかあさんといっしょ」の作編曲の活動を続ける一方、1986年に渋谷毅オーケストラを結成。メンバーは武田和命、峰厚介、松風紘一、林栄一、川端民生等すごいメンバーが参加している。
1990年代に「渋さ知らズ」にも参加。歌手のセッションレコーディングだけでも大橋さんが紹介された沖山秀子の他、酒井俊、浅川マキ、金子マリ、木村充揮まで実に幅広い。2007年「嫌われ松子の一生」の音楽担当で日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した。
八面六臂というか、とにかく凄い才能だ。しかし、何といっても「東京ジャズの中心人物」であるともとに「ずば抜けたジャズのインタープリター(interpreter)」としてジャズの歴史に名を残す人だろう。
僕はこのコラムでずっと「渋やん」を取り上げようと思っていた。しかし困ったことにLP、CDともに中原さんが買った価格が現在の市場価格になっているのだ。高くて買いづらいレコードを紹介してもこのコラムの趣旨には合わないだろう。
そこで、今回はまだ中古レコード店やネットで、適正(定価前後)価格で買える2007年に出された「SOLO FAMOUS MELODIES」を選んだ。ライブではないが、2007年6月4日、半蔵門TFMホールで録音されたソロピアノ演奏で、同時に出された「SOLO FAMOUS COMPOSERS」と対になる。
「有名曲集」ではない。題名通り、「栄えある名高きメロディー集」なのだ。
僕はこのCDを聴くときは、本当に「聴く」だけだ。
ベッドの角か椅子に据わって、何もしない。本も読まない。パソコンも見ない。酒もコーヒーも飲まない。殆ど動かない。何も考えない。曲名も意識しない。どこまでが原曲(テーマ)でどこからがソロ(アドリブ)かも気づかない。時間さえ感じない。
ただただ、そのメロディーを聴くだけだ。
渋谷毅の「ソロ フェイマス メロディーズ」はそんなアルバムだ。
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1. ダニー・ボーイ
(アイルランド民謡、フレデリック・エドワード・ウエザリー)
2. メドレー
・ 金髪のジェニー
(ステファン・コリンズ・フォスター)
・ デイ・ドリーム
(デューク・エリントン、ビリー・ストレイホーン)
・スノー・フォール
(クロード・ソーンフィル)
3.ジャスト・ア・ジゴロ
(シーザー・カスーシ)
4.マイ・マン
(シャルル・ヴィルメッツ・イヴァン)
5.ポルカドット・アンド・ムーンビームス
(パーク・ヴァン・ヒューゼン)
6.煙が目にしみる
(ハーバック・カーン)
7.言い出しかねて
(ヴァーノン・デューク、 ジョージ・ガーシュイン)
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