大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
沖山秀子
撰者:大橋 郁
【Amazon のCD情報】
1975年頃、大学祭か何かで沖山秀子を聞いた。正直なところ、当時高校生だった私には安藤義則トリオをバックにつけ、スタンダードを歌っていたくらいの記憶しかない。しかし、コンサートの途中で挿まれたインタビューでは、自殺未遂をしてから生き方が変わったというような話を赤裸々に語っていたのが印象的だった。後にこのアルバムを聞いたときには、その怨念のこもったような凄味のある歌いっぷりに、まるで藤圭子の酒場演歌を聞いているような感覚になった。このアルバムは1981年に録音されているが、先ずバックの渋谷毅(p)、中牟礼貞則(g)、宮沢昭(ts)らの演奏が素晴らしい!! そして沖山の唄は、大胆で線が太い。また凄味があり、奥深い影がある。
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沖山は、1945年(昭和20年)に鹿児島県川内市(現薩摩川内市)で生まれ、神戸市灘区で育った。両親は奄美群島の沖永良部島の出身である。かつて阪神工業地帯と京浜工業地帯は、都市機能や港湾機能の拡大の為に多くの労働力を必要とした時期があり、沖縄・鹿児島辺りから多くの人が働き手として移り住んできた。今も、いたるところにコミュニティが色濃く残っている。例えば、関西地区だけでも出身集落を単位とした鹿児島県人会が200以上も存在する。
中でも神戸市には、奄美地域にルーツを持つ人達が多い。沖永良部島出身者の神戸市における同郷団体としては神戸沖洲会(こうべちゅうしゅうかい)がある。活動の拠点となる「神戸沖洲会館」は、JR灘駅からほど近いところに在る。現在のJR灘駅周辺は、川崎造船所葺合工場(現川崎製鉄)に近かったこともあり、沖永良部出身者が集住した。同郷者同士が集住するのは、言葉や生活習慣に悩む者同士が親睦を深め、助け合う為であり、どこの国のどこの地域にもみられる現象である。因みに沖洲会は大阪や尼崎にも存在する。沖永良部島にルーツを持つ沖山のキャラクターが、こうしたコミュニティを背景として形成されていったのであろう、ということは容易に想像がつく。
さて話は逸れるが、今村昌平監督といえば「楢山節考」で1983年のカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルム・ドールを受賞した巨匠である。その今村監督の1968年の作品「神々の深き欲望」に当時22歳の大学生だった沖山が出演していた。
映画の舞台は、古い習俗の残る南海の架空の島。沖山の演じるトリ子は、村八分にされている家で、知恵おくれで兄をはじめ島の若者たちと肉体関係を結んでいる奔放な野生児のような娘であった。映画では、村は土俗的な宗教や習俗に支配されており、近親相姦が普通にまかり通っている。沖山演じるトリ子のキャラは強烈で、自然児そのもの。この映画は彼女なしには語れない。因みに撮影のメインは沖縄県石垣島の川平湾(かびらわん)と波照間島である。石垣島の川平湾は、現在は島随一の青い海と美しい景色で有名な観光地となっている。
沖山はまた、中上健二原作の1979年の映画「十九歳の地図」にも出演した。この時、沖山は「かさぶただらけのマリア」という、足が不自由で、空き地で立小便を子供に目撃され、「ションベン女」と石を投げつけられるような売れない娼婦の役を演じた。 映画の中では、相手役の蟹江敬三が「世の中の傷を一身に背負った女」と表現しているが、沖山自身の実生活とも重なる役柄であったのであろう。(余談だが、主人公の19歳の少年が住み込みで働く新聞販売店で、新聞にチラシを折り込んでいるときにバックでフォークグループのディランセカンドの歌う「プカプカ」がかかっていたのが印象的だった。)
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さて、アルバム「サマータイム」の録音は1981年で、沖山はこのとき既に35歳になっていた。それにしても、なんと強烈なジャケット写真であろう。「わたしは日本のニグロ、そう思わへん?」というのが、沖山の口癖だったらしい。これは神戸市の発展を下支えしていた「底辺労働者層」出身の人間、と云う意味があったのかも知れない。あるいは、マイノリティ(被差別側)として類似環境にあるアメリカのニグロに親近性を抱いて、ジャズを歌っているという意識の表われだったのかも知れない。日本人の美人ジャズ歌手を、都会風お色気路線で売り出そうとする風潮もあったが、真逆の方向性をもったアルバムだ。
沖山は「神々の深き欲望」の撮影中、今村監督と熱愛関係にあったというのは公然の話だったようだ。
ただ、元々が激しい性格の人で、今村監督と別離してからは、恐喝未遂事件や、精神病院入退院、自殺未遂事件を何度も繰り返すなど狂躁ぶりが顕著になり、周りから迷惑がられたという。本当は、恐らく天真爛漫で打算のない純粋な人だったのではないだろうか。繊細かつピュアであり、尚且つその不器用さ故に精神的に病んでしまったり、自分の中でのバランスが崩れ、壊れていってしまったのであろう。ただ、傍から見ると獰猛な獣性の部分だけが強調して見えてしまったのではないだろうか、と想像している。
非常に歌の上手い人なのだが、練習を重ねてうまく歌おうとして歌っているというよりは、苦悩をストレートに表現しているという感じだ。いや、表現したいも何も苦悩故に歌わずにいれない、といったところか。とにかく音楽を勉強して唄い始めたという感じではなく、器用にこなしている風でもない。とにかく不幸オーラをビシバシと発射して、こちらに突き刺さってくるようだ。
2曲目の「バイ・バイ・ブラックバード」は、沖山が特に得意としていた曲のひとつ。黒い鳥(Blackbird)とはムクドリの一種で、「不幸・悪・不吉」の象徴とされる。沖山は不吉な黒い鳥に別れを告げ、つらい過去を断ち切って、幸せの青い鳥(Bluebird)を探しに行きたい、という気持ちを込めてこの歌をうたい歌い続けたのだろうか。
9曲目の「グッド・ライフ」は、渋谷のピアノ一台を伴奏に歌うよるソロ。ジックリ聞かせてくれる、このアルバム中の白眉。
アルバムのラストでは、無伴奏の独唱による熊本民謡の「五つ木の子守唄」と「サマータイム」をつなげて唄っている。ふたつの唄は全く違和感なくまるでひとつの唄のようにつながっていく。ディープで、これぞブルースといった感じた。
この熊本民謡は「身分の低い貧乏な物乞いの娘である自分に比べ、あの人達は良い家に生まれ、良い着物や帯を締め、幸せそうだ」「私が死んでも誰も泣いてくれない。裏の山でセミが鳴いてくれるぐらいだ」と、底辺の生活を強いられている被差別民の絶望的な諦めの気持ちを子守唄のカタチを借りて唄っている。
一方のガーシュウィン作曲のオペラ「ポーギーとベス」の挿入歌である「サマータイム」も子守唄のカタチを借りていながら、アメリカ深南部の黒人居住区の過酷な生活が反映されていて、暗い絶望感が漂う。CDの帯には、沖山の口癖を基に「私は日本のニグロ!の気で歌ってます」とあるが、この曲を聞いた時にその意味が氷解したような気がした。
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沖山は二つの曲を器用につなげた訳ではない。自分の中にある「沖山秀子」を強引に連続して吐き出した、だけだ。2曲とも沖山そのものなのだ。アルバム全体がずっしりと重い内容なのだが、これを聞いた後はお腹いっぱいで、しばらくは何も聞かなくていい、と思うくらいの聞き物である。
沖山は、2011年3月に65歳で亡くなった。私達は、彼女をジャズ・ヴォーカリストとして捉えるのは、間違っているのかもしれない。上手いとか下手とかを超えた存在そのもの、として捉えるべきなのかもしれない。
私の所蔵している「サマータイム」の復刻版CDには全ての曲に対して「OKIYAMA MEMO」なる日本語のメモが添付されていて、Summertimeのところにはこうある。
このメモの中で最も印象に残った言葉として引用しておきたい。
「お前さんの親父さんは金持ちで母さんはあんなに美しい人だよ。それに比べてニグロの私はブスだし、何一つもってもいないんだよ。」
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