大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
レイ・ブライアント
撰者:大橋 郁
【Amazon のCD情報】
1972年にスイスのモントルー・ジャズ・フェスティバルで録音されたピアノ・ソロ・アルバム。目の前で両手を大きく広げて見せているジャケットの白黒写真の強烈さが、その黒いフィーリング溢れる演奏内容とも相まって、当時からジャズ喫茶での人気盤だった。
このようなポーズをとった写真を撮らせること自体がこの人のユーモアのある人柄の一端を表している。
3曲目のクバノ・チャントが終わったところで、「いつもならここでバンドのメンバー紹介をするところですが、見ての通り今日はその必要はなさそうですね。」というコメントを入れて聴衆にサービスをするといったところにもそれは表れている。
何も言わずに、只々ステージに登場して、黙々と仏頂面で演奏をしてステージを降りるだけのジャズ・ミュージシャンも多々いる中で、少なくともこの人はその類ではなさそうだ。
この人のピアノは左手のタッチの強靭さや、和音の響きにゴスペルフィーリングが感じられる。というか、ゴスペルそのもの、黒人音楽そのものである。といっても、もちろん単純に鍵盤を力の限りブッ叩く訳ではない。あくまで、タイミングや必要に応じた使い分けをしている。そもそも、「ソロ・ピアノ」というジャンルは、ピアニストなら誰でもできる、というものではない。まして1時間もの間、ピアノ一台で、聴き手を飽きさせず、釘づけにしておくには、よっぽどのイマジネーションと引出しの多さや、経験と対応力が必要だ。
レイは、カーメン・マクレエ、ベティ・カーター、アレサ・フランクリンなどの唄伴をやっていた経験がある。唄伴というものは、歌手の歌い方やその時々の気分とか意向に順応して、臨機応変で柔軟な対応が求められる。そういった経験が、レイ・ブライアントというソロ・ピアニストの素養を作り上げていったのではないかということが想像される。
このステージが、実は予定されていたオスカー・ピーターソンに替わっての急な代役であった、というのは有名な話だが、観客の歓声や拍手の大きさを聞いていると、観衆がどんどんレイの世界に引きずり込まれ、ピーターソン御大のことはとうに忘れて完全に魅了され、熱狂している様子がよく伝わってくる。
先ず、何と言っても冒頭の「ガッタ・トラベル・オン」でガツンとやられる。当コラムの第49回【リンク】で紹介した「ガッタ・トラベル・オン/レイ・ブライアント・トリオ」の一曲目で、採り上げていた得意のナンバー。左手の力強さは変わってない。
「クバノ・チャント」は、レイ・ブライアントの代名詞的なオリジナル曲で、1956年のレイ・ブライアントの初リーダー・アルバムとされる人気盤「レイ・ブライアント・トリオ」が初収録である。バド・パウエルもだが、この人もラテン好きなのだろうなあと思う。「リトル・スージー」は娘のスージーに捧げたオリジナルでちょっとファンキーなブルースゴスペル。
最後の3曲はアンコールらしい。先ず「アンティル・イッツ・タイム・フォー・ユー・トゥ・ゴー」をやるが、これが限りなく美しい。カナダ出身のネイティブ・アメリカンのフォーク歌手バフィー・セントメリーが書いた曲である。エルビス・プレスリーやロバータ・フラック、ヘレン・レディらも採り上げている美しいバラード。「別れの時まで、一緒にいましょう。」と歌うこの曲は、まるで聴衆との別れを惜しんでいるかのようだ。
そして、ラストの「リーベス・トゥラウム・ブギ」のカッコ良さ!! ノリノリなのだが、単純なブルース・ブギではない。ハンガリーのピアニスト・作曲家フランツ・リストのピアノ曲「愛の夢」(3つの夜想曲)第3番のブギ・バージョンである。簡単そうで、これは意外に難曲だと思う。
実はレイは、1958年のスタジオ録音「アローン・ウィズ・ザ・ブルース」など、これ以前にもピアノ・ソロ・アルバムを録音している。この時も、「ロッキン・チェア」など今回紹介するのと同じ曲を演奏しており、こちらはこちらでとてもじっくりと聞かせる内容なのだが、やはり迫力の面では此度の1972年のライブ盤の迫力にとどめを刺すのではないだろうか。
※
レイ・ブライアントは、1931年にペンシルベニア州のフィラデルフィアで生まれた。晩年は闘病の末、2011年6月2日NY市内の病院で79歳で亡くなったとのことだ。20代前半はフィラデルフィアの「ブルー・ノート・クラブ」で演奏しており、当地へやってきたチャーリー・パーカーやマイルス・デイビスとも共演するなど、50年代のハード・バップ・シーンを彩った。
しかし、レイ・ブライアントの名は、どちらかと云うと、名盤「レイ・ブライアント・トリオ(プレスティッジ盤)」「レイ・ブライアント・プレイズ(シグネチャー盤)」などのリーダー・アルバムで有名だ。永年のサイドメンとしての活動は、どちらかというと地味目な印象だが、そのようなサイドメンとしての経験こそが、この人にとってはトリオやソロで花を咲かせるのに役立ったように思える。
1972年の「アローン・アット・モントルー」はレイにとっても、ジャズ・ピアノ・ソロ史にとっても画期的であり、節目となるアルバムである。
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