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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第101回

東京ジャズラプソディ
撰者:平田憲彦




久しぶりに新宿で打ち合わせがあり、そのまま僕は新宿で飲むことにした。そして、不意にゴールデン街に足を向けてみた。花園神社の横に今もあるゴールデン街は、そこだけが時代に取り残されたかのようなたたずまい、25年前と全然変わってなかった。
どの店に入ろうかとふらふら歩いていた僕の目に、あの『シラムレン』の看板が飛び込んできた時には、声を上げそうになるくらいビックリした。

これは幻か、と。マスターが亡くなってママが店を閉めたと聞いていたので、一瞬信じられなかった。恐る恐る看板まで近づき、あの懐かしい狭い階段を見上げる。これは紛れもなくあの『シラムレン』だ。
僕が生まれて初めて入ったジャズバー、それが『シラムレン』だった。

ゆっくりと登って扉を開ける。変わってない、あの真っ暗けな店内。カウンターしかなく、まるでブラックホールのような店。客は誰もいなかった。しかし、あのマスターは健在だった。

「ご無沙汰してます」
「?」
「25年ぶりに来たんですけど、やってたんですね」
「やってるよ(笑)」
「閉めたって聞いてて」
「やってるさ」

僕はその瞬間、亡くなったのはマスターではなく、ママだったことを感じた。座って焼酎のお湯割りを注文する。僕は25年前、焼酎のボトルを入れていた。もちろんそんなものはもう無いが。

「すごく嬉しいです、今日来れて」
「そうかい」
「25年ぶりですよ。僕のことは覚えてないでしょうけど、僕はマスターをハッキリ覚えてます」
「覚えてないなあ(笑)」
「初めて来たとき、ホレス・パーランの『アス・スリー』をかけてくれたんですよ。あと、サッチモとエリントンの共演盤も」
「そうだったかなあ、もうずっとここにいるんで忘れちゃったよ」

当時、カウンターの後ろにはカセットテープが壁一面に並んでいた。今はCDになっている。それにしても、何千枚あるのだろう……。

「当時はカセットでしたよね」
「そうだよ。全部あげちゃったよ」
「いろいろ変わっていきますね」
「変わっていくさ。死んじゃうのもいるしね」

一瞬、ママさんの事が頭に浮かぶ。いや、ママのことだけを言ってるんじゃないだろう。

「最近どんなのを聴くんですか?」
「店でかい?」
「いえ、店とか仕事は抜きで、マスターが好きなもの」
「ああ、それならフリージャズかな。店ではかけられないけどね」
「かけたらいいじゃないですか。僕は好きですし、好きな人もわりといるでしょ」
「いるけどさ、そうじゃないほうが多いんだ。フリージャズ流してると、扉を開けて帰っちゃうのが多くてね」
「そりゃマズイですね」
「だからフリーはかけないよ」
「他にお客さんもいないし、何かお薦めを聴かせてほしいなあ」
「そうかい、じゃあこれなんかどう?」

マスターは壁から1枚取り出してデッキにセットした。
流れてきた音楽は、そう、確かにこれはフリージャズというテイストだ。
しかし、どこか異国情緒があって、なんとなくワールドミュージック風でもある。
そして、ちゃんとキーがあるので音楽になってる。
ジャケットを見せてもらったが、はて、サッパリわからない。

「知らないミュージシャンです……」
「ロシアのジャズなんだよ」
「ロシア! 初めて聴きました」

ジャケットにはこう書かれている。
Sergey Kuryokhin & Keshavan Maslak
まったく知らない。



Friends Afar
Sergey Kuryokhin & Keshavan Maslak
【Amazon のMP3情報】


聴いていると、日本の旋律らしきものも出てきて、結構楽しい。好きかも。

「じゃあ、どんなのですか、普段かけるのは」
「そりゃやっぱり、こういうのかなあ、分かり易いの」

マスターはレイ・ブライアントのトリオをかけた。1曲目に『ゴールデン・イアリングス 』が入っているあの名盤中の名盤。

「良いですよね、これ。僕も大好きです」
「ピアノトリオは人気だね」



Ray Bryant Trio (Prestige 7098)
Ray Bryant
【Amazon のディスク情報】


ゴールデン街のど真ん中、闇の中にいるような暗いバーに、ほどよく大きな音で流れるレイ・ブライアント。焼酎が美味い。

「食べるかい?」

マスターが突然とんかつを出してくれた。サラダ付き。
僕の記憶しているマスターは、こんな気の利いたことをしてくれたことはない。ぶっきらぼうで、愛想も悪く、そして怖かった。いつも怒っているような雰囲気で。ただ、怒っているのではないことは感じていた。25年前の僕は、23歳である。会社に入ったばかりで、世間のことは何も知らない。そんな若造が一人でこんな店に来ても、何を感じられるというのだろう。

「美味い!」
「俺がつくったんだよ」

なかなかの味だった。
これが突き出しか、あるいは、25年ぶりに店に来た当時の若造のことを歓迎してくれたプレゼントなのか僕にはわからない。でも、あの頃よりもハッキリ観じたのは、マスターは実はニコニコしていたということである。
暗闇で気づかず、以前はちょっと怖かったのでまともに顔を見ていなかったのだ。もしかすると、25年前もマスターは笑っていたのかもしれない。

「<シラムレン>って名前、<夜が白むまで飲む連中>って意味なんですよね」
「そうだよ。でも元々は<しらむらん>っていうコトバから来てる」
「しらむらん?」
「古い歌にあるんだよ」

マスターが教えてくれたのは、この歌だ。

〜冬の夜にいくたびばかり寝覚めして物思ふ宿のひま白むらん(後拾遺392)〜

「<しらむらん>は言いにくいし、最後を<れん>に変えた方がスッキリすると思ってね」
「それで<シラムレン>」
「そう」
「マスターが名付けたんですよね」
「そうだよ」

後拾遺から取られたとは知らなかったし、その歌の意味を感じれば、まさにゴールデン街で飲んだくれる人々の心情をこれほど言い当てている歌もないかもしれない。

「ゴールデン街でジャズの店って、他に残ってるんですか」
「ないんじゃないの。よく知らないけど、こういう店は流行らんよ」
「歌舞伎町に『ナルシス』ってジャズバーがあるのを昨日聞いたんです」
「ああ、『ナルシス』は古いね。あそこもこういうジャズの店だね」
「え、やっぱり!」
「いいジャズかけてる」

昨日、僕は新橋でジャズバーを一軒見つけて立ち寄り、歌舞伎町にいいジャズバーがあることをマスターに聞いていた。
そのバー『D2』も素晴らしい店だった。5〜6人しか入れない小さなバーだが、流すジャズはストレートど真ん中、図太いサックスがコルトレーンを中心に至福の時間を満たしてくれた。

「後で寄ってみるつもりなんです」
「良い店だよ、行っておいでよ」

シラムレンを辞去するのは心残りだった。もっと飲みたかったが、そうもいかない。それに、きっとまた来る。間違いなく。
トイレに行くと、壁一面に写真が貼ってあり、さながらストーンズの『ベガーズ・バンケット』のようだった。その中で、何枚も貼られている女性の写真があった。肩までの髪で小柄な美しい女性だった。

この人は、たぶんママさんだ。
僕はそう感じた。25年前に何度か会ったママさんの雰囲気を、僕は今でも覚えている。3人で店に入ったら「団体さんお断りだよ!!」って叱られたことも、ニコニコして酒をついでくれたことも、無表情だったことも。
このトイレに貼られている写真の主は、間違いない、ママさんの若かりし頃だろう。どこかあどけなさの残るその美しく無垢な笑顔は、写真を撮った人物に向けられている。それは誰だろう。マスターなんだろうか。おそらくそうだと思うし、そうだといいなあと思った。

トイレから出ると、マスターはハンク・モブレイの『ソウル・ステーション』をかけていた。僕も大好きなアルバム。

「このアルバム、むちゃくちゃ好きです」
「いいよね」
「また来ていいですか」
「ああ(笑)」
「僕、ウェブでジャズの連載をしてるんです。神戸で」
「へえ、そうかい(笑)」
「シラムレンを紹介していいですか?」
「ああ、いいよ」



Soul Station
Hank Mobley
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ゴールデン街を歩いていると、僕はどこかで太宰治や坂口安吾を感じている自分に気がつく。それは、『ルパン』のある銀座ではない。『ルパン』は好きな店だが、太宰の『メリイクリスマス』や安吾の『堕落論』から醸し出されるブルースな気分。それは銀座ではなく新宿ゴールデン街だと僕は思う。

ゴールデン街を抜け、ラブホテルが林立する一角へ入り、呼び込みが大勢たむろする雑居ビルのひとつに『ナルシス』はあった。
ママが一人で切り盛りしていて、どうやら2代目らしい。初代はご両親だという。親子で歌舞伎町のジャズバーをやるなんて、なかなか聞かない話だ。
新橋のバー『D2』に『ナルシス』を紹介してもらったこと、さっきまで『シラムレン』にいたことをママに話し、僕はジントニックを注文した。

「このマッチ、カッコイイですね」
「ツジマコトが描いたんだよ」
「誰ですか?」
「辻一。知らない?」
「すみません、聞いたことないです」
「大杉栄、伊藤野枝」
「?」
「辻潤と伊藤野枝の間に生まれた息子だよ」

辻まことが絵を描いたマッチが、『ナルシス』のマッチだった。
そしてもう一つ別のデザインのマッチもあった。そこには間違いなくアルバート・アイラ—が描かれている。

「これ、アイラ—ですよね」
「そうだよ。好き?」
「実は神戸でジャズの連載をやってまして、そこで一緒に書いている人がアイラ—が大好きで。彼に僕は教えてもらったんですよ、アイラ—を」

てっきりアイラ—をかけるのかと思ったら、ママはエリック・ドルフィーのヨーロッパライブをかけた。

ああ、ドルフィーもそうだ。あの課長もジャズが好きだったが、僕の直属の上司であったアートディレクター、彼もジャズが好きだった。とりわけ好きだったのが、ドルフィーだった。
このヨーロッパライブは初めて聴いた。ものすごい。とんでもなく素晴らしいアルバムだった。ママはB面をかけてくれたが、こんな『God Bless The Child』は初めてだ。続く『Oleo』はロリンズのビバップナンバーだが、ドライブ感が尋常じゃない。



Eric Dolphy in Europe, Vol. 1
Eric Dolphy
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「凄いですね、これ」
「いいよね」
「アイラ—も好きですけど、ドルフィーも良いですね」

ママは、2杯目のジントニックを僕の前に置いて、つぶやいた。

「アイラ—は、祈りの音楽だよ」



新宿の夜は更けていく。
ゴールデン街も、歌舞伎町も、煌々とネオンがともり、怪しげな男達の影がオモテにウラに動き回る。



冬の夜に

いくたびばかり寝覚めして

物思ふ宿のひま

白むらん


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