大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
菅野邦彦トリオ+1
撰者:大橋 郁
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今回は、和ジャズの名盤を紹介したい。
これまでこのコラムで和ジャズは、吉田さんによる武田和命、板橋文夫、そして直近では松井さんによる「銀巴里セッション」など、既に何度か登場している。
最近はかなり「和ジャズ」という言葉が定着してきたようだが、そもそもアフリカにルーツを持ち、アメリカで生まれ育った音楽であるジャズを日本人が演奏することは、当然のことながら真似から始まった。そして、どのようにすればアメリカの黒人のようなフィーリングを醸し出すことが出来るのか、日本のジャズの先駆者たちは思い悩んだことであろう。
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話はそれるが、インドに生まれたカレーが日本に伝わって、カレーライスにカタチを変え、今では日本人の国民食的存在になっている。これとは逆に、日本に生まれた寿司もアメリカに伝わり、カリフォルニアロールなど、日本人が思いつかなかったスシを派生させた。今ではすっかりアメリカ人の食生活に溶け込み、どのスーパーに行ってもパック寿司が置いてある。
また最近、偶々あるドイツ人高校生と話す機会があり、ドイツの子どもに最も人気のある食べ物は何か訊ねたら、迷わずに「勿論ピザだ!」という言葉が返ってきた。ドイツなら当然ソーセージだろうという答えを期待していた私は、びっくりした。それくらい食文化は、国境を越えるのが早い。
即ち、物事は一旦創造主の手を離れると、どんどん一人歩きし、時にはカタチを変え、時には違う解釈が加わり、別のものに生まれ変わる。
しかし結局、日本人には日本人が作ったものが、一番口に合うのではないだろうか? 日本食がいい、という意味ではない。イタリア料理にせよ、中華料理にせよ、カレーライスにせよ、日本人が作ったものならば、作る側も、食べる側の好みがある程度わかっているので、どう味付けすればよいかが容易に想像出来るからであろうか、私にとっては日本人が作ったものが最も美味しく安心して頂くことが出来る。
今、日本でカレーライスを作る人で、インド人の作った本格派カレーにどれだけ似ているかを目指して作る人はいないだろう。カレーライスは既に日本固有種であり、もはや日本食同様なのだから。
私たちはよく、「A店のカレーは最高だ」「いや、B店のカレーの方が美味い」などと世間話をするが、これは、A店B店どちらがインドのカレーに近いか、を議論しているわけではない。日本人が日本食として純粋にどちらを好むか、というレベルの話なのだ。日本のカレーライスは、「インドのカレーに比べて劣った邪道だ」と非難される必要はない。そして、カルフォルニアロールを、日本人の寿司職人が認めようが認めまいが、アメリカ人はそんなことに関係なく大好きなのだ。
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さて、数多くある日本のジャズレーベルの中でも、極めて優れた良質のジャズを吟味して世に送り出してきた「スリー・ブラインド・マイス」というレーベルがある。1970年の6月に発足し、70年には4枚、71年には5枚、72年に4枚、、、、というように地道に録音を重ね続け、1980年代初頭にかけて150枚近いタイトルを発表した。(その後は細々と継続していたようだが、紆余曲折を経て2006年に倒産している。)
このレーベルの詳しい内容については、第78回の「銀巴里セッション」で松井さんが解説してくれているので細かくは触れないが、私の体験に絡めて述べさせていただきたい。
私は高校1年になって初めてジャズを聞き出したのだが、それは1975年頃のことであり、今思うとスリー・ブラインド・マイス・レコードが、正に活動を広げていた時期と重なる。
当時のジャズ喫茶で日本のジャズがかかることはよくあったが、70年代より前の世代である白木秀雄や八木正生、八城一夫といった先達がかかる事は稀で、和ジャズならスリー・ブラインド・マイスやイースト・ウィンドが多かった気がする。
私にとっては、「和ジャズ=スリー・ブラインド・マイス」というイメージが出来上がってしまった程である。ある意味で、和ジャズもアメリカのジャズを唯一の基準とする時代から、純粋に日本人のジャズとして評価することが出来る時期に来ていたのかも知れない。
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2012年12月に集英社新書より発行された相倉久人著「至高の日本ジャズ史」を大変興味深く読んだ。
この本は1970年以前の日本のジャズ界に深く関わってきた評論家の立場で書かれている。内容は多岐に亘っており、とても示唆に富んでいるが、特に興味を惹かれた部分に、私流の勝手な解釈も加えさせて頂くと、次にようなことになる。
アメリカがお手本で、アメリカで認められたくて、少しでもその水準に近づこうとして、アメリカを目指してきたのが60年代の日本のジャズ界だった。だからと言って、70年代になって急にミュージシャン達が方針を変えたわけではない。60年代にも日本人による日本人のジャズは、深い部分で(それとは気づかずに)土着化が進行していた。そして60年代後半には日本人のジャズもようやく地に足のついた日本ならではの何かが生まれようとしていた。音を出すミュージシャン本人すら意図せずともそのフレーズの一端に「日本風」が滲み始めていた。それは誰かが育てた訳ではない。育てたのは日本人の「血」であり、勝手に育ったのだ。そしてジャズが日本固有種としての「和ジャズ」という形をとってあらわれたのが70年代以降だったのではないだろうか。
70年代の半ばに私がジャズを聴き始めた頃の日本のジャズは、日本におけるカレーライスや、アメリカにおけるカリフォルニアロールのレベルに達していたのであろう。即ち、その文化の生まれた土地や生活に密接に結びつき、固有の意味と機能を持った文化としてではなく、伝わった先でフリーな立場となり、改めて意味づけされた別の文化になっていたのだ。
日本人の作ったカレーライスを日本人が食べて、日本人から「美味しい」と評価されて日本のカレーライスとなったように、そして、アメリカ人がカリフォルニアロールを美味しいと感じたように、日本で日本人が演奏したジャズを、日本人リスナーが聞いて素晴らしいと評価し始めていたのだ。今やカレーライスを作る日本人が、インド料理のカレーをお手本としなくなったように、70年代の日本のジャズもまた、オリジナルのみに温(たず)ねる段階を過ぎていたのだ。
アメリカにおけるジャズのみに正当性が与えられ、「それ以外のものはダメ」と区分けされる時代ではなくなったのだ。いつまでもアメリカン・ジャズを評価基準にして、アメリカ人のジャズに近づくことを目標にする必要は全くない。
さらに言ってしまうなら、この先、仮に和ジャズがどんどん変化し、アメリカのジャズとは全く違うものになってしまっても、それはそれでいいのではないか、とさえ思う。日本人は黒人ではないのだから。
日本人には日本人のつくった料理が一番美味しく思えるように、日本人の感性には和ジャズが最もフィットする。
吉田さんは、第11回の武田和命のコラムでこう書いた。「60年代に日本人ジャズメンに『極東の地に住む我々日本人が、何故JAZZを演奏するのか』という大きなアイデンティティ・クライシスが訪れた。それに対して70年代は、60年代に苦闘した日本人のジャズメンがその大いなる問題の回答を出していった時代だ。」
このことを思うと、70年創立のスリー・ブラインド・マイス・レーベルは、和ジャズの形成期を生で捉え、和ジャズの非常に美味しい部分を数多く切り取ったレーベルだ、と言える。私の中にある「和ジャズ=スリー・ブラインド・マイス」というイメージも、偶然とは云えまんざら外れてもいない。時代もマッチしたが、スタッフの高い志の持続が背景にあって真摯な事業が継続出来たということもあろう。
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さて、今回紹介したい和ジャズの一枚は、そのスリー・ブラインド・マイス・レーベルから1974年に録音・発売された菅野邦彦トリオの「ラブ・イズ・ア・メニー・スプレンダード・シング(慕情)」である。録音は東京・平河町の旧日本都市センター会館内に在ったホールでのライブである。(現在は閉館している。)
録音メンバーは、
菅野邦彦(p) 、小林陽一(b)、高田光比古(ds)、小川庸一(conga)。
1974年3月22日の録音。
1. ラブ・イズ・ア・メニー・スプレンダード・シング(慕情)
2. 枯葉
3. ブルース・フォー・ウィントン・ケリー
4. パーディド
前にも書いたが、この人は曲の導入部で、かなり意表を突いたイントロから入ってくるので何の曲かわからないことが多い。一曲目の慕情もそうだ。しかし、イン・テンポになってからはエロール・ガーナーを思わせるスタイルで軽快にスイングする。
映画「慕情」で、女医を演じるジェニファー・ジョーンズは、恋人のウィリアム・ホールデン扮するアメリカの従軍記者が朝鮮戦争で死んだことを知る。そして、泣きながら思い出の香港の丘、ヴィクトリアピークを訪れ、ウィリアム・ホールデンの幻を見る。そのラストシーンで感動的に流れていた。
慕情を弾くとき、菅野は映画「慕情」の主人公に成りきっていたのではないだろうか? それくらいの感情移入を感じる名演だ。特に3分30秒くらいで倍テンポになってからのスイングは圧巻だ。ピアノという楽器に対する愛情と、「曲」にのめり込んでいる様子が伝わってくるようである。
2曲目の枯葉もエロール・ガーナーの枯葉を強く意識していると思う。エンディングでピアノ弦を直接弾くところが余韻を残して素晴らしい。3曲目のブルース・フォー・ウィントン・ケリーでは、絶好調ではじけまくっている。
日本人のサッカー選手で欧州に渡った中村俊輔はスコットランドのクラブチーム等で活躍し、その華麗なステップでファンタジスタと呼ばれたが、和ジャズでは、菅野邦彦こそ真のファンタジスタだ。そんなファンタスティックなピアノである。
B面はパーディド1曲のみで17分という長さ。言わずと知れた有名曲だが、通常よりもゆったりとしたリラックス・ムードに終始する。
この人は、イントロが突飛ではあるが、曲全体の組立は意外とシンプルである。
手許に何枚か所有している菅野邦彦のアルバムを見渡す限りライブアルバムが多く、ライブで本領を発揮する人なんだろうと思う。一曲が平均10分程度、長いケースでは18分などというのも珍しくはない。長尺曲が多いが、組曲風に仕掛けが仕組まれている訳ではなく、軽快にスイングしていたらあっという間に時間が経ってしまったという感じだ。
この人の録音は、管楽器奏者との共演が少なく、デュオやトリオをベースとした編成が多い。非常にエモーショナルな人で、演奏中に湧き出てくるアイデアに忠実にどんどんイマジネーションが広がっていく感じだ。恐らくは細かい打ち合わせもないまま演奏しており、ドラマーやベーシストらが戸惑っている箇所も随所に見られる。やはりどちらかというと、管楽器との共演よりは、こういったピアノトリオ編成が向いている。しかし、一旦調子の波に乗ったらぞくぞくとするくらいにスイングするピアノ。
和ジャズの代表的な名手による決定的名演であり、至福の一枚である。
参考文献
集英社新書 相倉久人著「至高の日本ジャズ史」
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