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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第73回

ライブ・イン・パリ
ディー・ディー・ブリッジウォーター
撰者:大橋 郁


【Amazon のCD情報】

トンカツ定食とカツ丼は似ているようで少し違う。トンカツ定食は、ご飯のおかずとしてトンカツが存在する。カツを焼き魚に変えれば焼き魚定食に替わるし、天婦羅と組み合わせれば天婦羅定食になる。何をメインとしてご飯を食べるのか、というのが定食の発想であり、おかずとご飯はそれぞれ独立性が高い。ご飯はあくまでメインのおかずの引立て役だ。つまり定食はあくまでも、トンカツ+ご飯であり、別々のものなのである。
一方、カツ丼は、卵の味とおだしの味がトンカツとご飯を一体化させ、トンカツでもご飯でもない、別のカタチへと進化したものだ。トンカツの旨味を含んだ玉子とダシの味がご飯にまで沁みわたり、それは、どこを食べていてもカツ丼なのである。 カツ丼の「ご飯」部分を食べているときでさえ、それはもはやご飯ではなく「カツ丼」なのだ。

さて、今回紹介するアルバム「ディー・ディー・ブリッジウォーター/ライブ・イン・パリ」は、1986年11月にパリの「ニュー・モーニング・ジャズ・クラブ」でライブ録音されたものである。バックは、エルベ・セロン(p)、アンドレ・セクレーリ(dr)、アントワーヌ・ボンフィル(b)という面々。と言っても私は全く知らない名前だったのだが、内容を聞いてみるとビックリのハイレベルであり、フランスのジャズの水準が如何に高いかを知ることが出来る。

このアルバムを初めて聴いた時、ディー・ディーのパンチの効いたガッツあふれる歌いっぷりと、一体感のある流れるようなドライブ感にしびれて、一気に聴いてしまった。そしてそれは、まるで良質のカツ丼を食べた時の満足感に似たものだった。

長らく、ヴォーカルものを聴くときは、ヴォーカリスト+バックバンドという捉え方をしてきた。つまり、ヴォーカリストという主役に対して、例えばピアノトリオが唄伴をするものだ、と。だから、「名脇役」とか、「伴奏の名手」などという言葉が存在する。主役を喰ってしまうことなく黒子となり、主役を立てて、盛り上げたうえで、自分は印象に残らないよう、聴き手の耳に残らないように消え去るスキルを持つ人達のことだ。

考えてみると、これはトンカツ定食の段階なのであろう。ディー・ディー・ブリッジウォーターのグループは、ディー・ディーの歌とバックのピアノトリオではない。これは云わば、ディー・ディー・ブリッジウォーターカルテットとでもいうべき、一体化したバンドであり、ディー・ディーが歌っているときも、ピアニストがソロをとっているときも同様にひとつのバンドの音なのだ。つまり、トンカツとご飯が別のものとして独立していたトンカツ定食と違い、一体化したカツ丼の域なのである。

このアルバムでのディー・ディーは、限りなくストレートでパワフルである。そして、パリの聴衆に暖かく受け入れられていることを彼女自身がハッキリ感じていることが、その伸びやかな歌い方から伝わってくる。

それにしても、当たり前だが彼女は本当に上手い。このアルバムを特徴づけているのは、一つ目は上述したように、グループとしての一体感である。そして二つ目は彼女のインプロバイザー/ソロイストとしてのスキルだ。
普通のジャズ・ヴォーカル・アルバムでは、ヴォーカリストが1コーラス歌うと、続いてバックバンドの奏者がソロをとる。しかしこのアルバムでは、殆どの曲で、一番の歌詞に続くのはディー・ディー本人のスキャットによるインプロヴィゼイションであり、ピアノ・ソロはその次だ。ヴォイスを楽器として使いこなしているといってもいいだろう。それくらい、彼女のスキャット・ソロは、まるで管楽器奏者のソロを聞いているかのようなテクニックと表現力なのである。

それは他の3人と対等にカンヴァセイションを交わすかのようであり、全体としての仕上がりは一体感を持ち、カルテットの音となっている。また、CDを聴いていて思うのだが、彼女は聴衆とも会話している。聴衆との信頼関係を一瞬にして作り上げ、聴衆の反応を見て、やる側もどんどん変わっていく。聴衆との間でギフトを受け取ったり与えたりし合っているのだ。こうした点、まさにエラ・フィッツジェラルドの後継者というに相応しい。

一般的にジャズ・ヴォーカルと言えば、声質、響き、フレイジング、フィーリング等に優れた人であれば、スキャットやインプロヴァイズはしなくても偉大なジャズ歌手と呼ばれる。しかしディー・ディーは器楽奏者と同レベルのインプロヴィゼイション・スキルを持ち、それを全面に出すという点で、ジャズ歌手という概念を少し広げたのではないだろうか。
日本のどこぞのナイト・クラブで「ジャズっぽい雰囲気」を醸し出すのに精一杯なだけのシンガーとは全く違い、「これぞジャズだ」と確信させてくれる大迫力なのである。

ディー・ディー・ブリッジウォーターについては、1974年の「アフロ・ブルー」や、1978年の「ジャスト・ファミリー」などを聞いていたので、R&Bやアフロ色の強いフュージョン的な音作りをする人という印象が強かったのだが、このアルバム「ライブ・イン・パリ」は、完全にオーソドックスなジャズに回帰した仕上げとなっている。

この後彼女は、1992年に「イン・モントルー」や、1997年の「ディア・エラ」(グラミー賞受賞)、2000年には「ライブ・アット・ヨシズ」など、徹底して質の高いジャズアルバムを発表していく。そしてこれらのアルバムの方が、一般的には高い評価を得ているようである。確かにアレンジの凝り方など、完成度の点ではそうかも知れない。しかし、この1986年の「ライブ・イン・パリ」こそが、その後の彼女のジャズ回帰という方向性を決定付けたといえる。またこのアルバムは、この日のディー・ディーが小難しいことを考えず、変化球なしで真正面から直球だけでジャズに取り組む荒々しい姿勢を捉えている。

ディー・ディーは、もともとアメリカ南部のテネシー州メンフィスの生まれであったが、1986年に36歳でフランスに移住している。そして、パリでの第一作目がこのアルバムだったわけだ。
何故フランスへ移住したのかは、よく分からない。想像であるが、彼女のルックスや歌い方はどこか正統的な「黒人ジャズ」のカタチに押し込めようとするアメリカのジャズ批評界に馴染めないところがあって、天性の才能を認められながらもアメリカでは居心地の悪い想いをしていたのではないだろうか。広く芸術を受け入れる環境を求めたのかも知れない。

彼女の歌い方は、純粋に正統的ジャズ・ヴォーカルのステップを踏んできた感じとは少し違う。アレサ・フランクリン的なR&B/ソウルの要素が随所に散りばめられている。「散りばめる」といってももちろん、本人が意図的に挿入したのではなく、云わば血の中にもって生まれてきたものである。

先にも挙げたアメリカ時代の作品は、ソウル/フュージョン色を持ち、勿論いいアルバムなのだが、彼女はこれからどこへ向かっていくのか、方向性がハッキリせず、一作毎に迷いながら創作活動をしていたように思う。パリという文化的環境と、ジャズというルーツへの回帰は、彼女にとって運命的な選択だったのではあるまいか。事実、この後の彼女の発表する作品を追いかける限り、ブレのないジャズ路線を辿っている。

内容であるが、1曲目の「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」から、ハイ・テンポのスキャットでグイグイとぶっ飛ばす。この時点で聞き手は完全に彼女の雰囲気に飲み込まれる。
2曲目はマイルスの「オール・ブルース」。スローで滑らかにスタートし、長いブルージーなアドリブ・スキャットで盛り上げる。スキャットソロでは、この曲が出色の出来である。
そして3曲目の「ミスティ」こそは、このアルバム中の白眉であり圧巻! 8分あまりの演奏で、スロー・バラードから徐々に盛り上げ、1/3を過ぎたあたりから倍テンポになり、豪快にスキャットを聴かせる。とにかく絶品である。

4曲目の「オン・ア・クリア・デイ」では、軽快なミディアム・テンポで大スイングする。ディー・ディーのスキャット・ソロもそれに続くピアノ・ソロも乗りまくりである。ここで、このアルバムは前半部でのディー・ディー流クライマックスを迎える。
5曲目は、アレサ・フランクリンでも有名な「ドクター・フィールグッド」。ディープなブルース・フィーリングたっぷりに歌う。この曲では、ディー・ディーは完全にブルース・シャウターだ。凄い! 

6曲目はスタンダード・ナンバーで「ゼア・イズ・ノー・グレイター・ラブ」。曲が進む毎に彼女のスキャット・ソロは豪快になっていっているようだ。 7曲目はバラードの「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」。この曲では珍しく彼女は、スキャット・ソロをとらずに、歌手として情感タップリに歌う。ピアノのエルベ・セロンは、ツボを掴んだソロで、盛り上げる。
8曲目は、ブルース・メドレー。R&Bぽい「ストーミー・マンデイ」「ロード・ハブ・マーシー」「エブリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース」「ムーヴィン・オン・ダウン・ザ・ライン」などの歌詞を一通り引用した後、臨場感のあるアドリブ・スキャットで盛り上げる。

ラストの9曲目はスタンダ−ド・ナンバーの「チェロキー」。アップ・テンポで、ピアノ・ソロがダイナミックで今日一番の出来!! 終わりに近づく程、ディー・ディーの歌もピアノ・ソロも冴え渡っていくようだが、最後の曲では、もともとハスキーなスキャットはさらにかすれがちになりながら、弾けている。
恐らくは自分を受け入れてくれたパリの聴衆に対して、謝意を伝えたかったのではないだろうか。ディー・ディーの転機となったアルバムであると同時に、初めてディー・ディーを聴く人にとっても、聴き応えタップリの一枚である。


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