大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
ロニー・ジョンソン
撰者:平田憲彦
Blues And Ballads
Lonnie Johnson
【Amazon のCD情報】
ロニー・ジョンソンについて、肩の力を抜いて紹介するということは、なかなか難しいことだ。
それはロニーがアメリカンミュージックの紛れもない原点の一人であるからではない。ましてや、1925年に初めてのレコーディングをしてから1970年に亡くなるまでの45年間、ブルースとジャズを行き交いながら、おびただしいレコーディングを行ったからでもない。
それはまるでパリの街角に生きた写真家、アジェのように、日常生活の中で紡ぎ出された表現が、いつしか芸術へと昇華しながらも、しかし本人にとってはいかにも当たり前の事であるかのようにギターを弾き、歌を歌い、それがそのままアメリカンミュージックの誕生と発展に寄り添うように音楽が成長していったからである。
ブルースとジャズのフィールドに於いて、大きな影響力を果たしながらも、ロバート・ジョンソンやチャーリー・パーカーのように目立って革新的なことをしたわけでもない。しかし、美しい単弦奏法によるロニーの音楽はブルースとジャズの原点のひとつであり、多くの影響を与えながら今もその音楽は生き続けている。
ブルース、ジャズ、ヒットチャートというポピュラリティ、そのどれについてもアメリカンミュージックに足跡を残し、1925年から1970年までを第一線の現役で通したシンガーソングライターかつギタリストは、きっとロニー・ジョンソンくらいだろう。
そういうロニーのことを類い希なミュージシャンと呼ぶことはたやすい。しかし、あくまでも生活の中から生まれた音であり、歌であった。もしかすると、自分がやっている音楽がブルースと呼ばれるものなのか、ジャズと呼ばれるものなのか、あるいはフォークなのか、そんなことすら考えていなかったのではないだろうか。
〜 僕は正規の教育は一切受けていないんだけど、全てのことは親父から学んだよ。日常の読み書きも、音楽のことも、すべて。僕の音楽スタイルは、どこの土地のものというわけじゃない。僕たちが生きている現状からすべて形作られているんだ。音楽は自分の心の中から生まれてくる。道ならぬ恋や、そういうものを通じて感じる心の痛みが、ブルースシンガーを育ててきたのさ。これまで800曲はレコーディングしてきたけど、いまも多くの人が僕の歌を聴いて幸せな気分を感じてくれることが嬉しいんだ。音楽は、毎日食べるごはんみたいなものだからね。 〜(1963年、ロンドンでの『ジャズマンスリー』誌インタビューより抄訳)
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アロンゾ“ロニー”ジョンソン(Alonzo "Lonnie" Johnson)は、1899年にニューオリンズで生まれた。“ロニー”とは“アロンゾ”の一般的な略称である。生誕年には、1889、1894、1899、1900年、の諸説あるが、ビッグ・ビル・ブルーンジーによると、ロニーのパスポートには1894年と記されていたらしいので、それが正しいのかもしれない。しかし、いまでは1899年説がどうも多いみたいだ。
1899年と言えば、スコット・ジョプリンが『メープル・リーフ・ラグ』リリースし、デューク・エリントン、アーネスト・ヘミングウェイが生まれた年だ。翌1900年には、ルイ・アームストロングが生まれている。
ロニーの初録音である1925年前後を以下に記してみる。
1920年=マミー・スミスが『クレイジー・ブルース』を録音。
“ブルース”とタイトルに付く曲の録音としては初と言われている。
1923年=ベッシー・スミスがSP盤『ダウン・ハーテッド・ブルース』でデビュー。
1924年=パパ・チャーリー・ジャクソンが男性ボーカルとして初めてブルースを録音。
1925年=ロニー・ジョンソンが初レコーディング。
1926年=ブラインド・レモン・ジェファーソンが初レコーディング。
まさに、アメリカンミュージックの出発点に立っていたミュージシャンのひとりが、ロニー・ジョンソンなのだ。
エリントンのサイドでギターを弾き、チャーリー・クリスチャンが影響を受け、ロバート・ジョンソンを虜にしたロニー・ジョンソン。B.B.キングのブルースラインにはロニーの影響が多く感じられる。
B.B.キングはこう語っている。『あんな風に弾いてみたい、と思ったギタリストは数人しかいないよ。ひとりはTボーン・ウォーカー。もうひとりがロニー・ジョンソンだね。』
ブルースとジャズの創世記からスタートしたキャリア、その10歳代後半から50歳代までをアメリカ音楽の成長と寄り添うように生き抜いてきたロニー。
1954年からフィラデルフィアで引退同然の生活をしていたところを偶然発見され、鮮やかな復活を遂げるまでを追ってみたいと思う。
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1899年、音楽一家に生まれたロニーは幼少の頃からギターやヴァイオリンに親しんでいた。5人姉妹と6人兄弟だったとのことだから、かなりの大家族である。両親含め、全員が楽器をプレイしたという。やっていたのは、当時のポップミュージック、オールドタイムなフィドルミュージック、そしてブルースだった。
10代後半には父親のストリングバンドに入ってバンケットやウェディングパーティで演奏していた。1917年、英国への巡業に出発。1919年に帰国後、ロニーと年上の兄ジェームスを残して、家族全員がインフルエンザで亡くなるという悲劇に見舞われる。そんなこともあって、1921年には兄とデュオを組み、米国各地を放浪しながら音楽で生活していた。
1925年に、ミシシッピのヤズー出身のメアリー・ウィリアムスと結婚した。妻メアリーもロニーと音楽の行動を共にすることになる。
その年、セントルイスにあるブッカーTワシントン・シアターで行われたブルースコンテストで優勝し、オーケーレコードでのレコーディングチャンスをつかむ。1932年までに130曲をレコーディングしたと言われている。
その頃のブルースナンバーは、歌詞を少し変えただけとか、誰かの曲を下敷きにしたバージョンも珍しくなかったので、130曲全てが異なるナンバーであるということはないだろうが、それでも1930年前後のレコーディング環境を考えると、8年間で130曲というのはものすごい数である。いかにロニーが人気ミュージシャンだったのかがわかる。
洗練され、流麗なギターフレーズはシングルノートで美しく、ミシシッピブルースのような荒々しさや重たさはない。その甘いボーカルもリスナーを心地よくさせるポピュラリティを持っていたので、ブルースとジャズをまたぐ包容性を備えた音楽だったといえる。
ベッシー・スミスとツアーする機会も得たロニーは、1927年にゲストプレイヤーとしてサッチモと共演する。有名な『ホット・ファイブ』である。1928年にはエリントンと共演。『チョコレート・ダンディー』という名前のバンドでレコーディングもしたようだ。すでにかなり名が知れ、また相当の腕の立つギタリストとして人気があったロニーのスタイルは、まさにその後のジャズ・ギターの先駆けとなるものであった。
それは単弦奏法でアドリブ・メロディを弾くというスタイルである。ブロックコードでバッキングをすることが多かったギターにメロディとしてのアドリブソロを提示したというわけである。
1929年頃には、イタリア人の血を引く白人ギタリスト、エディ・ラングとも素晴らしい録音を多く残している。このサウンドは、アコースティックギターデュオによるインスト作品としてはジャズの歴史でもかなり初期に相当し、また、黒人と白人との共演としても先駆けだった。ロニーとエディーによる、シングルノートとブロックコードを駆使した掛け合いのサウンドは、今聴いてもスリリングで、時代を超越した素晴らしい音楽である。
ロニーの単弦奏法によるギターのソロ楽器としての表現は、後にチャーリー・クリスチャンやジャンゴ・ラインハルトをはじめとする多くのギタリストに影響を与えた。
1930年前後に録音されたロニーの音楽を聴けばすぐにわかることだが、ロニーのギターは、ブルースとジャズ、どちらのカテゴリーに属するというはっきりした特色を持たず、むしろどちらにも当てはまるような幅広い音楽性を備えていた。だから、ミシシッピデルタのブルース・ミュージシャンからも、ニューオリンズのジャズ・ミュージシャンからも、どちらからも好まれ、親しまれていたのである。
第二次世界大戦後、ロニーはリズム・アンド・ブルース寄りのサウンドへと変化していく。1948年にリリースした『トゥモロウ・ナイト』はレイスレコードチャートの7週連続ナンバーワンという大ヒットを飛ばす。1952年には英国に渡ってツアーを行い、1954年に帰国後フィラデルフィアへ移住した。そこからしばらく音楽から離れることになる。フィラデルフィアのベンジャミン・フランクリン・ホテルで清掃員をしながら生活していたのである。
毎年のようにレコーディングし、多くのライブを日常的にこなしてきたロニー。アメリカンミュージックの歴史と寄り添うように生きてきたロニーは、ミュージックシーンから姿を消した。
※
ところが、奇妙な偶然が起こる。そのきっかけを作ったのは、エルマー・スノーデン。エリントンやベイシー、ファッツ・ウォーラー、チック・ウェッブなどとも活動したことのあるエルマーは、1900年生まれのギタリストである。
フィラデルフィアで24時間ジャズを流すFM局『WHAT-FM』でDJをしていたクリス・アルバートソンがエルマーにインタビューする番組があった。その収録中に、クリスはふとロニーの話題に触れたのだそうだ。あのロニー・ジョンソンはどうしているんだろうね、と。
するとどうだろう、エルマー・スノーデンは『この前、スーパーマーケットでロニーを見かけた』と言うではないか。その放送を、ベンジャミン・フランクリン・ホテルの従業員が聴いていたのだ。自分はロニーと一緒に働いている、と。
驚いたクリスはロニーと連絡を取って自宅に招待し、そこで演奏してもらったという。その宅録をプレスティッジに持ち込んだ。そうして、アメリカンミュージックの伝説は、再び姿を現したというわけである。
1960年3月8日、ロニーはルディ・ヴァン・ゲルダーのスタジオで5年ぶりのレコーディングに臨んだ。
ロニー・ジョンソン、61歳の春である。
Lonnie Johnson (g, vo)
Hal Singer (ts )
Claude Hopkins (p)
Wendell Marshall (b)
Bobby Donaldson (d)
この時の録音は『Blues By Lonnie Johnson』として日の目を見る。
そして翌月の4月5日、アメリカンミュージックファンの至宝、ブルースとジャズが交差する名盤にして傑作となる運命を定められたレコーディングが行われたのである。
それが、今回紹介する『Blues And Ballads』と『Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2』に収録されたセッションだ。
左:『Blues And Ballads』【CD情報】
右:『Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2』【CD情報】
Lonnie Johnson (g, vo)
Elmer Snowden (g)
Wendell Marshall (b)
ロニー再発見のきっかけを作ったエルマー・スノーデン、3月のセッションでも組んだウェンデル・マーシャルとともに、トリオでレコーディングされたこの日の音楽は、名手ヴァン・ゲルダーによって極上のサウンドにまとめられた。
ロニー(61歳)のエレクトリックギターとエルマー(59歳)のアコースティックギター。そしてウェンデル(39歳)のウッドベース。
とてもリラックスしてレコーディングが行われたことが、2枚のアルバムを聴くとよく分かる。予め決めていた曲はきっと少なく、ほとんどがその場の雰囲気で選ばれ、ジャムセッション風にレコーディングされた様子が記録されている。
レコードでは、まず『Blues And Ballads』がリリースされた。この日のセッションからブルースとバラードに絞り込まれ、ロニーのボーカルナンバーを中心に編集されている。控えめでいて確かなビートを刻むマーシャルのベースに支えられ、エルマーの見事なバッキングを得たロニーが単弦奏法で絶妙に空間を泳いでいく。そして、つぶやくようで囁くような甘くメロウなボーカル。
10曲の内、インストは3曲。その中でも2曲はエルマーのアコギが主役である。最後に納められたナンバーは、有名な『ジェリーロール・ベイカー』。強烈なダブルミーニングの痛快エロソングとして、いまや知る人も多い。ロニーの人を食ったような大げさな歌いっぷりは、さすがにエンタメの鍛えられ方が違うと舌を巻く。
音楽での癒しと言えば、これ以上の癒しはないのではないか。勇気づけられると言えば、これ以上の力強い音楽はないのではないか。そう思えるほど、ここで鳴っている音楽は、ブルースとジャズを繋ぎ、20世紀初頭に誕生し、脈々と受け継がれてきた豊饒なアメリカンミュージックが、どれほど強く輝く表現であるかを物語る。
『Blues And Ballads』が発売された約30年後、この日のセッションの未収録ナンバーを集めた『Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2』がリリースされた。私は、むしろこちらのアルバムに強く惹かれる。ロニーとエルマーの会話がそのまま録音され、ジャムセッションの雰囲気が濃厚。まさに音楽が生まれる瞬間をパッケージしたようなライブ感が心地良い。
『サニーサイド・オブ・ザ・ストリート』をやろうか、というエルマーの問いかけに、『おおー、サニーサイドね!いいね〜!』と答えるロニーがかわいい。
第2集は全10曲の内、6曲がインスト。『Lester Leaps In』、『On The Sunny Side Of The Street』、『C Jam Blues』といったジャズナンバーが多く収録されていて、それらはどれもエルマーのアコギが主役。ともかく上手い。流れるようなフレーズ、スウィング感も抜群。シングルトーンとブロックコードを複雑に駆使しながら、出てくる音はとてもシンプル。ロニーがエレキで見事なバッキングをつけ、まったく心憎いほどの気持ちよさだ。
ブルースとジャズはそもそも同じ音楽だったことをロニーとエルマーは鮮やかに表現してくれている。
この素晴らしいレコーディングセッションの直後である6月には、フィラデルフィアのコーヒーハウス『ザ・センター』で契約を行い、シカゴの『プレイボーイ・キークラブ』で4週間の出演契約を結んだ。そこから1970年に亡くなるまでの10年間、ロニーはブルースとジャズを演奏し続けたのである。その頃の映像は今でも見ることが出来る。
※
1960年4月5日、ヴァン・ゲルダー・スタジオで行われた奇跡ともいえるレコーディングセッションが、ロニー本人にとってもどれほど素晴らしいものだったのかは、この日にレコーディングされた『Blues For Chris』というナンバーによく現れている。この『 Chris(クリス)』とは、紛れもなくクリス・アルバートソンのことだ。ラジオの収録からロニーを探し出し、そして自宅へ招待してまで彼の復活を望んだ男。
聴いているだけでは、おそらくジャムセッションから自然発生したスローブルースだが、タイトルに『クリス』を付けるあたりが、ロニーがクリスにどれほど深い感謝の思いを抱いていたかがよく現れている。
ロニー・ジョンソン復活のノロシ、そして類い希な傑作でもある『Blues And Ballads』。ライナーノートはもちろんクリスが書いている。
ブルースとジャズが見事に融合した歴史的セッション。それを克明に記録した傑作アルバムとして、『Blues And Ballads』と『Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2』の2枚を是非聴いていただきたいと思う。
ロニーとエルマーがハグするジャケットも、ほんとうにほほえましく、このレコーディングセッションの穏やかな様子を表徴するかのようなビジュアルである。
幸せな音楽とは、たとえばこういう音楽だと思うのだ。
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Blues And Ballads
Lonnie Johnson
【Amazon のCD情報】
1960年4月5日に行われた、ロニー・ジョンソンとエルマー・スノーデン、ウェンデル・マーシャルによるトリオ。エレキ、アコギのギター2本とウッドベースによる心地よいサウンドに、ロニーの優しい歌声が絶妙にミックス。この日のセッションでレコーディングされたナンバーから、落ち着いたバラードを多くセレクトして収録している。ブルースとジャズの力強いアルバムだが、とにかくメロウ。そして癒される。
1. Haunted House
2. Memories Of You
3. Blues For Chris
4. I Found A Dream
5. St. Louis Blues
6. I'll Get Along Somehow
7. Savoy Blues
8. Back Water Blues
9. Elmer's Blues
10. Jelly Roll Baker
Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2
Lonnie Johnson
【Amazon のCD情報】
上のアルバムに収録されなかったナンバーを集めた第二弾。むしろこちらのアルバムが生々しい。ロニーとエルマーの掛け合いがそのまま収録され、まさにこの日のレコーディングが即興で進んでいたことがよく分かる。第一集よりはよりジャズナンバーが多く、スウィング感が強いのは、第一集をよりメロウなブルース&バラードで集めたことの証左だ。というわけなので、いわゆるジャズでよく知られたナンバーも多く収録しているのが、この第2集。それでも、優しさにあふれたサウンドであることは共通している。
1. Lester Leaps In
2. Blue And All Alone
3. On The Sunny Side Of The Street
4. C-Jam Blues
5. New Orleans Blues
6. Careless Love
7. Stormy Weather (Take 1)
8. Stormy Weather (Take 2)
9. I Ain't Gonna Give Nobody None O' This Jelly Roll
10. Birth Of The Blues
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参考文献
ライナーノート
Blues And Ballads(Bluesville BVLP 1011)
Blues, Ballads And Jumpin' Jazz, Vol. 2(Original Blues Classics OBCCD 570-2)
ウェブページ
http://en.wikipedia.org/wiki/Lonnie_Johnson
http://www.thecountryblues.com/
http://www.thecountryblues.com/files/lonniejohnson.pdf
http://weeniecampbell.com/yabbse/index.php?topic=8823.0
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