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jazz night

さんふらわあ JAZZ NIGHT プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
媚びないジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第40回
Deep Blues Collection
Various Musicians



ディープ・ブルース・ジャズ大会
オムニバス
撰者:平田憲彦



Elvin's Guitar Blues
『Heavy Sounds』収録
Elvin Jones & Richard Davis
【Amazon のディスク情報】

ソウルフルでブルージー。サマータイムがえぐさ満点。




Little Rock
『Overseas』収録
Tommy Flanagan
【Amazon のディスク情報】

トミフラの魅力が満載されたピアノトリオの傑作アルバム。




Back to The Land
『The Gifted Ones』収録
Count Basie and Dizzy Gillespie
【Amazon のディスク情報】

ガレスピーとベイシーによるブルースの饗宴。




Pfrancing
『Someday My Prince Will Come』収録
Miles Davis
【Amazon のディスク情報】

表題曲も素晴らしく、マイルスの魅力を多角的に捉えた名盤。ジャズらしいアルバム。




Blues for Santa Cruz
『Live』収録
Pharoah Sanders
【Amazon のディスク情報】

ベスト・オブ・ファラオ、と言ってく良いくらいの充実ライブ。




Blues for Beveriee
『Junior』収録
Junior Mance
【Amazon のディスク情報】

ブルージーなピアノトリオを一枚、と言われればやはりコレ。



Sunflower Jazz Night
フェリーで揺れる、ジャズの夜。
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Volontaire
東京赤坂でジャズなら
カフェ&バー、ボロンテール

Doodlin
ソウルでファンキーな夜を。
神戸元町のジャズバー、Doodlin'

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この40回目というキリ番。大橋さん、松井さん、吉田さんに共通するディープなブラックミュージックへの愛にリスペクトする意味で、いつもと違った内容にしようと思った。
題して『ディープ・ブルース・ジャズ大会』である。

私は、ジャズのブルースも好きだが、『ブルース』ということでいうと、シカゴブルースやミシシッピデルタのドロドロの田舎臭いブルースが大好きなので、そういうディープ感を持った音を求めてしまう。

今回紹介するジャズは、そんなディープなフィーリングを濃厚にたたえた、洗練されていない泥臭いブルースをやっているジャズである。
黒い、という言い方も出来るが、私はあえて『ディープなブルース』と呼びたい。

ということで、私が大好きなディープ・ブルースをやっているジャズをセレクトしてみることにした。
もちろん、『Cool Struttin'』や『Moarnin'』などの超有名曲もディープなジャズ・ブルースだと思うが、あえてその辺りは置いておいて、たぶん有名ではないだろうが、間違いなく素晴らしいと太鼓判のディープ・ブルースなジャズを是非聴いていただきたい次第である。

なので今回は、アルバム単位ではなく曲単位での紹介。
挙げていくとキリがないので、ひとまずアルバム一枚分、というような分量にまとめてみた。
まずはざっとリストアップ。

●Elvin's Guitar Blues
Elvin Jones & Richard Davis
『Heavy Sounds』収録

●Little Rock
Tommy Flanagan
『Overseas』収録

●Back to The Land
Count Basie and Dizzy Gillespie
『The Gifted Ones』収録

●Pfrancing
Miles Davis
『Someday My Prince Will Come』収録

●Blues for Santa Cruz
Pharoah Sanders
『Live』収録

●Blues for Beveriee
Junior Mance
『Junior』収録

以上である。



では、曲ごとに紹介していきたいので、おつきあいのほどを。
レコードと一緒にセッションしたい人のために、キーも付けてみた。


●Elvin's Guitar Blues
Elvin Jones & Richard Davis
『Heavy Sounds』収録
キーはE

これは本当にレアな曲だと思うが、なんと、あのエルヴィン・ジョーンズがギターを弾いている。冗談のようだが、マジである。しかも、むちゃくちゃいなたいブルースギター。そう、あえて例えればスクラッパー・ブラックウェルとでも言おうか。恐ろしくダウンホームな演奏。決して上手いギターではないのだが、それがまた良い味。惜しいことにイントロ部分でしか弾いていないので、曲全体に渡ってギターサウンドを楽しめるわけではないが、それでも、あのエルヴィンがブルースギターを、しかも、アコースティックで弾いているというだけで、幸せになる。リチャード・デイヴィスのゴツゴツしたベースも真っ黒。フランク・フォスターのサックスも良い味出してるので、ワンホーンカルテットの深い濃厚なブルースを堪能できる。


●Little Rock
Tommy Flanagan
『Overseas』収録
キーはG

トミフラは天才ピアニストな職人なので何でも出来る。オシャレなバラードも、ハードなビバップも、小粋なスウィングも、何でもござれ、である。だから、この名盤『Overseas』で聴けるディープ・ブルースも、そりゃ当然という感じでバッチリなのだ。そして、なんと言ってもこのナンバーの目玉はドラムのエルヴィン・ジョーンズ。上でも取り上げたが、エルヴィンはブルースマンだったのだ。このドラムはホントにすごい。饒舌。そしてパワフル。ブラシでこんなサウンドが出せるのかと驚愕。こういうディープでヘヴィなブルースにぴったりのサウンドである。エルヴィン・ジョーンズがシカゴブルースのバンドで叩いているところを夢想してしまうような、そんな演奏。強力なディープ・ブルース・ピアノトリオ・ジャズである。


●Back to The Land
Count Basie and Dizzy Gillespie
『The Gifted Ones』収録
キーはBb

なによりも、ガレスピーの雄叫びを聴いていただきたい。雄叫びといってもパウエルのように声を出した雄叫びではなく、もちろんトランペットの雄叫びである。強烈にして深淵。これほどのブルース・トランペットは滅多に聴けるものではないと断言できる。突き抜けるようなブルースシャウトで幕を開けるこのナンバーは、ジャズでこれほどのディープ・ブルースがあっただろうかと思えるほどの衝撃度。深く沈み込み、ミシシッピ川へと引きずり込まれるかのようなエネルギー。それに呼応するベイシーのピアノも見事だが、何を置いてもガレスピーのトランペットに尽きるだろう。ベースの音量を大きめにミキシングしたことで、より一層太いブルース・フィーリングが現れている。ガレスピーとベイシーのワンホーンカルテットをブルージーに味わい尽くせる。何度聴いても素晴らしい。


●Pfrancing
Miles Davis
『Someday My Prince Will Come』収録
キーはF

マイルス・デイヴィスがどれほどブルースを愛していたか、それはマイルス・ファンなら知らない人はいないと思う。自伝でも至る所にブルースへの言及があるし、実際、マイルスのアルバムでは大半がブルースを演奏していると言ってもいいだろう。それでも、マイルスは天才だから、普通に演奏したりしないのだ。ものすごくクリエイティブで、イマジネーション豊かなブルースをやる。それはそれで素晴らしい。しかし、こんなシンプルにしてストレートなブルースを聴くと、ああ、やっぱりマイルスは最高だと思ってしまう。ここまでシンプルに王道のラインでブルースを吹くマイルスを目の当たりにすると、つくづくマイルスはブルースマンだったんだと深く納得してしまうのだ。『Pfrancing』で聴けるブルースのフレーズはテクニックで吹いているのではなく、血となり肉となった音楽の根源なのだ。それほど、ここでのマイルスは、ブルースというルーツに対して忠実に向き合っていると感じる。


●Blues for Santa Cruz
Pharoah Sanders
『Live』収録
キーはBb

ストレートなブルース。そうとしか言えないほど、まっすぐなブルースをやっていて感動的。例によってファラオは歌入りだが、歌というよりは感極まって声が出てしまった、というような感じで、ボーカル、というほどのものじゃない。とにかく、こんなディープなブルースはもっとやってほしいと思うくらいまっすぐ一直線なブルース。ジョン・ヒックスのピアノは、アーシーでダウンホームなれど、素晴らしいテクニックとドライブ感でぐいぐいと押していく。ファラオのブルース・フィーリングも相当にディープだ。キーだけ決めていきなり始まるというようなセッション的なノリがあり、異常な盛り上がりで大騒ぎだ。いわゆるジャムセッションではブルースは定番だからこういう流れもあるのだろうが、クリエイティビティという側面は希薄なのでレコードにするケースは少ないのかもしれない。だからこそ貴重なのだ。私はこういうストレートなディープ・ブルースをジャズでもっと聴きたいのである。


●Blues for Beveriee
Junior Mance
『Junior』収録
キーはG

今回の『ディープ・ブルース・ジャズ大会』の最後を締めくくるのは、ジュニア・マンス。これは名盤中の名盤と言われているピアノトリオのアルバムだが、ともかく濃い。全編に渡って黒く深く染みわたるブルースが展開されていて、中でも私はこのナンバーが大好きである。甘さをギリギリまで抑え、苦みはかえって優しさとなるような味わい。全体のトーンとしてはルーズだが、切れとしまりのあるビートも心地いい。原点回帰と思えるほどのルーツ的なブルースをやっている。押さえたパッションでじっくりとブルースを味わえるのがこのナンバー。



以上、私がとりわけ気に入っているディープ・ブルースなジャズナンバーを取り上げてみた。
是非聴いていただきたいと思う。

さて、こういう機会に恵まれたので、少しブルースとジャズについて思いを巡らしてみた。


※※


ジャズの原点は確かにブルースではあるが、しかし、実はブルースばかりではない。そんなことから、いわゆる『米国南部で誕生したブルース』というようなミシシッピ直系のブルース音楽と、ジャズで演奏されるブルースとは、ほんのちょっとだけ、違いがある。それは感覚的なものだが、私にとっては少なくない違いとなっている。

身も蓋もない言い方をあえてすると、さらに誤解を恐れずに言えば、ジャズのブルースはとても高度である。たとえ3コードだけで演奏していても、マディ・ウォーターズのようなシカゴブルースのフィーリングとはかなり感覚が異なる。ましてや、ジョン・リー・フッカーとかライニトン・ホプキンスのようなブルースは、恐ろしいほどの磁場があって聴くものをとらえて放さない魅力があるが、音楽的にはあまりにもシンプルすぎて、ジャズのブルースのようなクリエイティビティは感じにくい。どちらかと言えば、マディやジョン・リーのようなブルースは、どの曲を聴いても同じように聞こえるような、ある種の単一性と簡素な反復性があり、それがかえって聴くものをとらえて放さない吸引力となるような音楽だ。しかし、ジャズのブルースは違う。

最もわかりやすい例は、やはりコルトレーンだろう。コルトレーンのアルバムで『Plays The Blues』があるが、シカゴブルース的なブルースをイメージして聞くと大きな肩すかしをくう。いったいどうやったらこんなフレーズが出てくるんだろうと思うほどイマジネーション豊かなブルースラインだ。素晴らしい演奏だし、申し分のないジャズである。しかし、ディープさは希薄だ。ブルースをやっているのはわかるが、全然ブルースっぽくないのである。ブルースに聞こえない。あくまでも私にとっては、であるが。

マイルスの名盤にして大傑作の『Kind of Blue』にしてもそう。もちろん大好きなアルバムだし、収録曲の大半はブルースなのだが、デルタブルースやシカゴブルースなどから感じる『ディープ感』や『いなたい』感じ、『ダウンホームさ』はない。イマジネーションあふれたサウンドとメロディラインが駆使され、2コードや3コードで生み出されているとは到底思えないような高度な音楽が展開されている。ブルースナンバーの『So What』や『All Blues』はブルースとは思えないほど恐ろしく洗練されていて、どろどろのディープ・ブルースからはほど遠いクリエイティブなブルースである。
マイルスもそのあたりは認識していたようで、自伝によると、マディ・ウォーターズの演奏をしょっちゅう聴きに行って、あのディープなフィーリング(マイルスが言うところのヴォイシング)を取り入れようとしていたらしい。

高度なことをやればやるほど、音楽的にはクリエイティブ度が上がって洗練されていくのだろうが、その分どろっとした人間くささが減っていくというのも皮肉なものだ。
ピカソやマティスが晩年どんどん簡素化していって子供が描くような絵に回帰していった理由は、まさにこれかもしれない。



ミシシッピで生まれたブルース。チャーリー・パットン、サン・ハウス、ロバート・ジョンソンらのデルタブルースや、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ライトニン・ホプキンスなどのテキサスブルース。そしてミシシッピ川を北上してたどり着いたシカゴで花開いたエレクトリックなシカゴブルース。そういったブルースと、ジャズのブルースとはやはり違いがある。

ジャズはサッチモが軸となったニューオリンズジャズからはじまり、ダンスミュージックであるスウィングジャズを経てパーカーの出現からビートとアドリブを重視したビバップを基点に進化した、インストルメンタル・ミュージックである。

ミシシッピ直系のブルースは、基本的にボーカルミュージック、つまり『歌』なのだ。そして楽器演奏は、歌を支えて、歌の世界観を拡張するためにある『装置』といっても良いくらいだ。

しかしジャズのブルースはちょっと違う。歌という具体的なコトバのない、旋律やビートという要素だけで成立する音楽という意味で、かなり抽象性がある。クラシック音楽に通じるものがあるといってもいい。なので、ブルースだからといってブルースノートだけを簡素にやったのでは、音楽の世界観が陳腐化していくのだろう。だから、素朴なダンスミュージックとして栄えたスウィングジャズから、複雑でイマジネーション豊かな旋律をアドリブで演奏し、インパクトの効いたビートをたたき出すチャーリー・パーカーが出てきたのも、ある意味必然だったのかもしれない。

ただ、そのように抽象性が高い音楽であることの宿命からブルースも逃れることが出来ず、ジャズのブルースもどんどん抽象化していった。その究極的到達点が、おそらくマイルスの『Kind of Blue』だったのではないかと私は思う。
あれ以降、ジャズのブルースは抽象性すら無くなっていき、もはやブルースに聞こえないくらいの芸術的にも高度な音楽が増えた。つまり、どんどん大衆性が失われていったのである。

マイルスの自伝を読むと、そのあたりの事をマイルスはとても気にしていて、なんとかしてブルースから離れないように、ブルースフィーリングを保ち続けるように苦心していたことが分かる。マイルスがファンクやロックのビートの中にブルースの新たなすみかを見つけたことも、歴史的には必然だったのかもしれない。



ブルースという音楽は、演奏フォーマットを差すのではなく、あくまでも大衆音楽の中のニオイであると私は思っている。1-4-5をやればブルースになるのではない、ということである。ブルースフォーマットで演奏しても、そこになんらかの大衆性や猥雑さ、ブルース的ニオイがないと、ブルースに聞こえない。
逆にいえば、ジョン・リー・フッカーはワンコードのブルースが多いが、強烈にブルースフィーリングをまき散らしている。コード進行でブルースが出来るという誤解を解く好例である。


数え切れないくらいの優れたジャズアルバムの中には、今回のように洗練されていないディープでダウンホームなフィーリングをたたえたブルースが時折入っていることに気がつく。
それはきっと、ジャズマンたちの原点回帰なのだ。究極のアドリブを追求するがあまり、想像力や洗練され抽象性を背負うことになったジャズが、本来の音楽性の根源のひとつであるブルースに回帰して、自分の立ち位置を見失わないようにするための自己防衛としてのブルース。

今回の『ディープ・ブルース・ジャズ大会』で繰り広げられているダウンホームなジャズを聴いて、私はそんな風に思った次第である。


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