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jazz night

さんふらわあ JAZZ NIGHT プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
媚びないジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。

第21回
One For Fun
Billy Taylor



ワン・フォー・ファン
ビリー・テイラー
撰者: 大橋 郁


One For Fun
Billy Taylor
【Amazon のディスク情報】

「テイラー博士」が、とびきり上品に、そして静かに弾き込んだ歌心溢れるアルバム。知性を感じると共に、ビリーの人柄が滲み出ている演奏だと思う。リズミカルで心地良いピアノタッチはこのアルバム全体で一貫したムードとなって、テイラー博士の人間的に余裕をもった人柄が表れている。





I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free
Billy Taylor
【Amazon のディスク情報】

名曲「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」が収録された好盤。「私を縛っているこの足の鎖から解き放たれたらどんな気分だろう」と歌うこの曲は、60年代の公民権運動の際の隠れたアンセムだったそうだ。後に多数のミュージシャンにカバーされる。



Sunflower Jazz Night
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今回紹介するのは、ビリー・テイラー(p)による1959年のピアノトリオの名品。ビリー・テイラー(Billy Taylor)というピアニストは、ジャズファンなら名前ぐらいは聞いたことがあるが、実際の演奏は聴いたことがない、という人が多いのではないだろうか?
筆者の高校時代、阪神間には沢山のジャズ喫茶があり、足繁く通ったものだが、よくよく思い返してみると、あまりかかっていた記憶がない。ジャズミュージシャンの略歴では、誰と共演したことがあるか、を記載するのが通例であるが、他のミュージシャンとのセッションにサイドメンとしてクレジットされていることもどちらかというと少ない気がする。レッド・ガーランドやトミー・フラナガンやウィントン・ケリーのように、錚々たるミュージシャンの名盤に頻繁に共演実績を連ねるセッションマンという訳でもないようだ。
そして日本では「うまい人だが、学者っぽくて何故かあまり面白みもなく人気のない人」という「評価」だけが一人歩きしてしまい、筆者などは聴いたこともないのに、「そういう人なんだ」と思い込んでいた。しかし、数年前にたまたまあるバーで聴いた曲を気に入って、少しずつレコードを買い集めていくにつれて大ファンになってしまった。確かに、後述するような輝かしい学歴、経歴を詳細に知っていた訳ではないにしても、どこかしら上品で、濁った音とか汚れた音とかには無縁だ。

可能な限りの資料から彼の略歴を追ってみると、
1921年 7月24日ノースキャロライナ州グリーンヴィルに歯医者の父と教師の母の間に生まれる。
1926年 5歳でワシントンD.C.に移る。
1942年 バージニア州立大学卒業(音楽専攻)
1944年 ベン・ウェブスターカルテットに参加し、ニューヨーク52丁目の「3 Deuces」クラブで活動開始する。
1949年 バードランドの専属ピアニストとなる。
1954年 名曲「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」作曲
1958年 NBCが初めて本格的にジャズを取り扱ったテレビ番組「The Subject is Jazz」の音楽監督となり、多数のミュージシャンを番組で紹介する。 (youtubeで視聴可能)
1960年代 55丁目のヒッコリーハウスのレギュラーとして活動
1965年 子供の教育用にハーレム・ベースド・コンサート・グループを結成。
1969年 TV番組「デヴィット・フロスト・ショウ」で黒人初の音楽監督を務めた。
1975年 マサチューセッツ大学アマースト校博士号取得
1994年 ワシントンD.C.のジョン・F・ケネディ舞台芸術センターのジャズ芸術監督となる。
2010年 12月28日 心不全のためニューヨーク・マンハッタンの病院で死去、89歳。

高等教育を受け、メトロポリタン美術館で講座を持ったり、ダウンビート誌に記事を書いたり、またマンハッタン音楽学校とロングアイランド大学で教鞭をとっていた。 更にエール大学のデューク・エリントン特別研究員でもあった。他にも書ききれないほどの肩書と功績を持ち、アメリカ国内では、「Dr. Taylor(テイラー博士)」と呼ばれている。
ミュージシャンというと、一年の大半を家を空けてツアーをしたり、毎晩ジャズクラブで朝まで演奏してはウィスキーをラッパ飲みする。そしてミュージシャン仲間と麻薬に溺れる、というような無頼漢的なバンドマン生活に明け暮れる姿を想像してしまうこともある。
それに対して、デイラー博士は、インテリジェンスを持ち合わせ、子供たちへの黒人文化遺産の教育、ラジオやテレビを通したジャズの普及に果たした面を大きく評価されているようだ。
この人の名声を高めた最大の功績は、名曲「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」を作曲したことであろう。 「私を縛っているこの足の鎖から解き放たれたらどんな気分だろう」と歌うこの曲は、60年代の公民権運動の際の隠れたアンセムだったそうだ。後にニーナ・シモン、ソロモン・バーク、アーマ・トーマス、マリーナ・ショー、シャーリー・スコットら多数のミュージシャンにカバーされる。最近では、サザンロックのデレク・トラックス・バンドによる力強いカバーが印象的だ。

このアルバムは、プレイヤーとしても超一級である「テイラー博士」が、とびきり上品に、そして静かに弾き込んだ歌心溢れるアルバムだ。ピアノタッチはあくまで華麗で優雅、テクニックは抜群でオスカー・ピータソンを彷彿とさせる。
そんな完璧なテクニックと、スイング感をもちながら、テクニックをひけらかすために派手に速弾きしまくるタイプではない。決してどや顔にならず、テクニックはあくまでも曲の美しさを引き出すための道具として使う。知性を感じると共に、ビリーの人柄が滲み出ている演奏だと思う。
熱い演奏というのとは少し違うかもしれない。しかし、リズミカルで心地良いピアノタッチはこのアルバム全体で一貫したムードとなっている!!
テイラー博士の人間的に余裕をもった人柄が表れている。

レコーディングデータは、
ビリー・テイラー/Billy Taylor (p)
アール・メイ/Earl May (b)
ケニー・デニス/Kenny Dennis (ds)
録音/1959年6月24日

全編を通じてケニー・デニス(ドラムス)は、ほとんどブラッシュワークでビリーを控えめにサポートする。シンプルで主張のないドラミング。これがたまらなく心地よい! ビリーのピアノを心地よく聞いているうちに、ドラムにもつい惚れ込んでしまうほどだ。この人はビリーの音楽を完全に理解していて、ビリーのようなピアノにはピッタリだと思う。オスカー・ピーターソン・トリオにおけるエド・シグペンにも似たドラミングだ。アール・メイのベースは、太いが、しかし滑らかにしっかりとノリノリのトリオを支える! 筆者の大好きな「メイキン・ウーピー」でのベースワークを聞いて欲しい。
ラストから2曲目の「アット・ロング・ラスト・ラブ」はコール・ポーターの曲。このアルバム中、出色の出来だと思う。ビリーがどれほどこの曲を大切にしているかが伝わってくる演奏だ。レッド・ガーランド・トリオの名盤「グルーヴィ」のB面に「What can I say, Dear」という曲が入っていて、筆者の昔からの愛聴曲なのだが、テイストといい、フィーリングといい、非常に相通じるものを感じる。
(もっとも、レッド・ガーランドは最後のテーマ部分で決定的ともいえるミスタッチもしているのだが。)

このアルバムは、料理に例えるなら、決してガッツリ系フルコースではない。また量の多さで勝負する大箱系の居酒屋でもない。どちらかというと、心のこもった上品な手作り料理を適度な量で、美味しく頂いたという感じだろうか。食べている間中、極上の時間を味わえる。食べ終わった後も、絶対に食べ過ぎて気持ち悪くはならず、幸せな時間だったなあ、と思い出に出来るアルバムだ。



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