大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
トミー・フラナガン
撰者:平田憲彦
【Amazon のCD情報】
穏やかな時間を過ごすとき、そこには何もサウンドは無くてもいいかもしれない。ただ風の音、あるいは雨の音、もしくは太陽の光さえあればそれでいい、という人も多いことだろう。しかし、そこにこんな音楽が流れていれば、その時間はほんの少しだけ豊かな彩りを添える。
それはお気に入りの写真集を見ている時かもしれない、好きな小説を読んでいるときかもしれない、あるいは、愛しい人と緩やかな会話を楽しんでいる時かもしれない。
そんな大切な時間に最適なアルバムを紹介したい。ジャズをあまり聴かない人でもきっと楽しんでもらえると思うし、ジャズを聴き込んできた人たちには、まるで子守歌のように響くのではないかと思う。
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キムタク、トヨエツ、マツキヨ、マエアツ、ファミレス、ヤフオク、ちょっと思い出すだけでもあれこれ出てくるのが4文字略語、である。人名や地名、組織名を我々はこうやっておもしろおかしく2文字ずつ取ってくっつけるのだ。しかし、これはいわば称号のようなもので、4文字に略してもらえることは名誉な事とも言える。親しみを込めているからこそ、こうやって略され、新たなイメージは浸透していくのだから。
ジャズの世界にも略して4文字のカタカナになっている名誉の名称がいくつかある。その代表はおそらく『サキコロ』だろう。言うまでもなくソニー・ロリンズの名盤『サキソフォン・コロッサス』だ。ジャズをあまり聴いていない人でも、この『サキコロ』に収録されているナンバーを耳にしたことがあるかもしれない。
太く豪快な音色でブロウするロリンズにはしびれる。このアルバムを聴いていると、もうジャズとかロックとかブルースとか、そんなジャンル分けなどどうでも良くなってくる。ひたすらロリンズのテナーサックスに身をゆだね、音楽の海を泳いでいけるからだ。
『サキコロ』を名盤たらしめているのは、当然ロリンズのプレイが素晴らしいからだが、バックを支えるリズムセクションの名演があったからこそ、ロリンズも自由に自分のサウンドを表現できた。それは、チームプレイの全てに当てはまる。遊びでも、そして仕事でも。
当たり前だが、この『サキコロ』はレコードで、商品である。プレイしているミュージシャンにとってはメシの種、ここで良い演奏をしないと次の仕事がない。だから良い演奏をする、というわけでもないだろうが、しかし、演奏が良くないと次のレコーディングセッションに呼んでもらえない可能性は高くなる。だから、懸命に良い演奏を心がける。『サキコロ』はロリンズのリーダー作だから、バックミュージシャンはロリンズが良い演奏を出来るように仕事をしなければならないし、その中でも、自分らしい演奏もしていかなければならない。そこに個性が出て、個性と個性がぶつかり合ったり融合したりして、このメンバーでしか為し得ないサウンドが生み出されるのである。
『サキコロ』のリズムセクションは凄い布陣で固められているが、やはりなんと言ってもピアノ弾きの演奏は素晴らしい。ロリンズを立てつつ、しっかりと自分の個性も主張し、しかし出過ぎることはなく、全体のリズムをうまくコントロールしている。このピアノ弾きこそ、4文字に略される栄誉にあずかる『トミフラ』、トミー・フラナガンなのだ。
トミフラはサイドに回ったときに素晴らしい演奏を多く披露している。それは、まるで自分のスタイルを持たないかのような変幻自在とも言える柔軟さで、リーダーを完璧にサポートしつつ、ジャズが最もジャズらしいと言われる根幹、スウィングとブルースのフィーリングを見事に顕在化させる。
コルトレーンの『ジャイアントステップス』はトミフラらしくないと言われつつもコルトレーンを好サポートした演奏はやはり素晴らしいし、ウェス・モンゴメリーの名盤『インクレディブル・ジャズ・ギター』でも伸びやかなプレイを聴かせつつ、ウェスのギターを最大限に引き立てている。ブッカー・リトルの名盤でもしかり、エラ・フィッツジェラルドの歌伴もしかり、ともかくおびただしいまでのレコーディングセッションに参加し、ジャズの裏方として素晴らしい演奏を披露し続けてきた、それがトミフラである。
そんなトミフラだが、決して多いとは言えないリーダー作がひっそりと、しかし燦然と輝くのだ。
圧倒的名盤として歴史に刻まれるのは、言うまでもなく『オーバーシーズ』である。これはリーダー作にして初のピアノトリオ録音。エルヴィン・ジョーンズのすさまじいブラシプレイに気を取られそうになるが、ここでのトミフラは凄い。ビバップ、バラード、ブルース、それらを強力なスウィング感で広がりのあるサウンドを生み出している。
『オーバーシーズ』がトミフラの、いや、ジャズの傑作中の傑作である点はその通りだが、あまり話題になることの少ないアルバム『ムーズヴィル9(Moodsville 9)』を私は愛聴している。
この『ムーズヴィル』というタイトルだが、プレステージがメロウな曲を多く収録したシリーズものとして、第1弾がレッド・ガーランドから始まったものの一つ。トミフラは第9番手として登場している。ちなみに、手元の資料ではなんと39番目まで制作されたようだ。私は何枚か持っているが、シリーズ39枚とはすごい。
このサイトにシリーズの記録が掲載されているので、興味のある方はどうぞ。
http://www.jazzdisco.org/prestige-records/catalog-moodsville-series/
余談だが、プレステージはスウィンギーなナンバーばかりを集めた『スウィングヴィル』というシリーズも出している。
さて、トミフラの隠れた名盤『ムーズヴィル9』だが、1960年録音。録音は名手ルディ・ヴァン・ゲルダーだから、シャキッとしたドラム、太いベース、芯の通ったピアノ、そういった骨太でありながら温かい豊饒のサウンドが実現し、トミフラのピアノトリオ演奏を一層引き立てている。
特に何がスゴイ、という演奏ではないが、ともかくメロウにしてスウィート、スウィンギーにしてブルージーという、ジャズの穏やかな側面を余すところなく楽しめる演奏がもれなく美しくパッケージされているのだ。しかし、いくらメロウと言ってもその演奏は凡庸ではない。イマジネーションの効いたアドリブはさすがサイドメンの名手として多くの天才たちと共演してきただけのことはある切れ味するどい演奏。カップルのBGMとして鳴っていればそれで良い的な軽い演奏ではない。
ロイ・ヘインズのブラシワークは絶妙なスウィング感が決まっていて、トミー・ポッターのベースもトミフラのころころ転がるようなピアノサウンドを引き立てるリズム感をキープし、緩くも的確なグルーヴを生み出している。
本当に気持ちのいいアルバムなのだ。
スウィンギーなバラード『In The Blue Of The Evening』から幕を開け、丁度真ん中にあたる4曲目の美しいスローバラード『Come Sunday』のみ完全ソロ演奏。あとはトリオである。エンディングのひとつ手前で小気味良いブルースが流れ、哀愁漂うエリントンの極上バラード『In A Sentimental Mood』で幕を閉じる、という構成は単なる企画ものとは思えないほど練り込まれ、コンセプトアルバム的な完成度を誇る。しかし、その完成度の高さを感じさせないくらいの親しみがあり、かわいらしく美しいバラードアルバムとして仕上がっている。
隠れ名盤にしておくのはもったいない傑作だと私は思う。
聴きやすく輪郭のハッキリしたタッチと美しく流麗なフレーズ。しかし実はとてもイマジネーション豊かなアドリブを軽々と繰り広げているトミー・フラナガン。天才ジャズメンとセッションを重ねてきたベテランにして達人、あるいは職人と呼んでもいいかもしれない。世界中に幅広く支持され、もちろん日本でも根強いファンがいる。だからこそ、『トミフラ』と親しみを込めて呼ばれるのだろう。
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