大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
エラ・フィッツジェラルド
撰者:大橋 郁
【Amazon のCD情報】
タワーレコードのワゴンの中にこんなものを見つけた。10枚組で2000円ほど、というとんでもない安い値段で。録音年月日、録音場所、演奏者も一切記載がなく、あるのは曲目のみという不親切なCDではあるが、中身は間違いなくEllaの若かりしころの歌声。Chick Webb楽団との共演だ。
そしてもう一つの見っけもんはアメリカの本屋で手に入れた絵本。Ellaの伝記である。デビュー前のElla、Chick Webbとの出会い、ハーレム随一のSavoy Ballroomの興奮、バップ期のDizzy Gillespieとの活躍をある描が目撃者として、読者である子どもに、(時には極東の50過ぎのオヤジにも…)愛情深く語ってくれる。JAZZミュージシャンはアメリカの大切な偉人たちなのだからエジソンやリンカーンと同じ棚にEllaの伝記がある、アメリカとはそういう国だ。
Ellaは1917年4月ヴァージニア州ニューポート・ニューズ生まれ。父親のいない極貧家庭に育ち、後にニューヨーク州のYonkersという街で育つが、14歳で母を心臓発作で失い孤児となる。ダンサーになりたくて、幼少よりストリートで踊っていた彼女は、1934年11月21日に、17歳でマンハッタンのアポロ劇場のアマチュアナイトに出演した。しかし、自分の前に出演した地元のダンス・デュオの演技に圧倒され、突如彼女はダンスの予定を変更して、歌いだした。小さな声で歌い始めたが、バンドの音と共に次第に調子を上げ、結局その日のアマチュアコンテストのウィナーとなる。
Harlemで活躍し始めた彼女は、翌1935年Harlem Opera House専属歌手になり、さらに当時最も人気のあったSwingバンドの一つ、Chick Webb楽団の司会者Bardou Aliの目に留まり、紆余曲折の末、Chickは自分の楽団にEllaを迎え入れた。
そして、ハーレムで最高のダンスホールSavoy Ballroomのレギュラーとして、毎晩ダンス客達を沸きに沸かせる。自分の原点がStreetであることを忘れない彼女は決して尊大にならず、ステージから降りて、ダンス客達と踊った。Ellaを擁したChick Webb楽団は当時NYで最高にイケテるバンドだった。そして、1937年5月11日Ella20歳の時、Benny Goodman Orchestraを迎えてのバンド合戦が開かれた。
因みにSavoy Ballrooomのバンド合戦とは、ゲストバンドを迎えて交互に演奏し、客がどちらを気に入ったか、拍手で勝者を決めるというもので、当時しばしば行われた。Chickは1937年にはDuke Ellingtonに負け、1938年にはCount Basieと引き分けたというから、如何にChickがSavoyのレギュラーバンドだったといっても当然八百長抜きのガチンコ勝負だったのだろう。
さて、1937年当時のBenny Goodmanは、ドラムに名手Gene Krupaを擁し、King of Swingと呼ばれていた完璧なバンドである。Benny GoodmanのPeckinから始まったバンド合戦は、4000人のダンス客を相手に5時間続いた。Chickの演奏するHarlem Congoで最高潮に達したバンド合戦はChick Webb楽団の勝利に終わった。Savoy Ballroomを足掛かりにEllaはさらなる高みに登っていく。そして1938年Ellaは21歳でAl Feldmanの手による不朽の名作『A-Tisket, A-Tasket』を録音する。
このレコードは当時で100万枚セールスを記録したというのだから凄い。
1905年生まれのChickは(1909年生説もあり)、幼少時より脊柱結核を病んでおり、1939年には34歳の若さで夭折する。Ellaは22歳にして、ショウビジネス界での師であり、人生の師でもあった12歳年長の頼りになる人物を失ったことになる。その後Ellaは楽団のリーダーとして2年近く残り、やがてソロ・シンガーとして独り立ちすることになる。
1930年代から1940年代半ばにかけてのスイングミュージックは、人々が広いダンスホールで踊るダンス音楽であった為、スイング・ジャズは迫力あるビッグ・バンド中心であった。多くのビッグ・バンドが専属歌手をかかえ、一般家庭に普及し始めたラジオ・ショウやダンスホールで華やかな演奏を繰り広げた。当時絶大な人気を誇り、歴史上のバンドとして現在も名高いバンドといえば、ベニー・グッドマン楽団とグレン・ミラー楽団が筆頭であろう。
これらのビッグ・バンド専属の歌手になることが、実力、人気ともにトップクラスの歌手であることを意味した。すなわち後の有名ジャズ歌手は一人立ちする前は、圧倒的にビッグバンド専属歌手の経験をしていた。
一方Chick Webbは、当時こそ輝かしい功績を持っていたが、今その名も功績もほとんど忘れられかけている。Jazz Journalismで彼が話題に上ることも滅多にないし、今手に入るChickのレコードはほぼないに等しい。ただ偉大なる歌手Ellaを発掘した功績という面で、たまに話題にされるくらいだ。筆者の憶測の域を出ないが、これは彼が白人中心のスイングビッグバンドの世界で黒人リーダーであったことや、若くして亡くなっていることが影響していると思われる。また、ドラマーの細やかなテクニックを伝えることが可能な録音技術が確立される以前の録音しか残っていないことも原因かと思われる。その意味でこの時代にしか音源を残せなかったドラマーはMusicianの中でも、特に損をしているのではないか。
しかし、Chickのドラミングは正確無比かつ力強くスリリングで、例えば、A Little bit Later OnのChickのドラミングはCowbellの使い方が気が利いていて実にカッコいい!モダンジャズの名ドラマーBuddy Richをして全てのドラマーの父である、と言わしめた。後にドラマーのGene Krupaは派手なソロドラムによってドラマーがバンドの中でスターになる可能性を切り開いたが、この当時のChickは殆どバッキングに徹している。(Chickのバンドはドラムをフィーチュアしたバンドではない。)
余談だが、ロバートデニーロの映画「タクシードライバー」の中で、ストリートドラマーのGene Palmaが、ChickのドラミングのモノマネをするシーンをYoutubeで見つけた。
冒頭に紹介した10枚組のElla名義のCDの前半5枚程度は、当時Chick Webb名義で世に出され、バンド専属シンガーとしてEllaが歌っていた当時のものである。
このCDでは殆どの曲は3分前後である。これは当時のSPレコードの制約上の問題であった。大抵の曲はオーケストラ演奏が主体で、分厚いハーモニーによる演奏がしばらく続いてシンガー(Ella)は、演奏開始して1分後に登場してたったワン・コーラスだけ歌うなんてパターンが多い。これは当時のビッグバンドの特徴であり、芸能のあり方だった。あくまでバンドが主で歌手が従という関係であった。
このCDを聞いていると、まるで自分がSavoy Ballroomにいるかのような気になる。CDには録音Dataの記載が一切ないが、筆者は別の資料を基に可能な限り録音年代を辿ってみた。注目したいのはDISC1〜DISC5だ。
DISC1・・・・1935年〜1936年
DISC2・・・・1936年〜1937年
DISC3・・・・1937年〜1938年
DISC4・・・・1938年〜1939年
DISC5・・・・1939年以降
という風に一応ほぼ年代順になっている。
例えばこの中のDISC1収録のLove and Kisses 始め数曲は1935年6月録音というから、Chick Webb楽団に参加してごく初期のものだ。このごく初期のElla10代の録音こそ、多少白人よりの唄い方をしており、尚且つバンドが主であくまでシンガーである自分は従であるという関係からであろうか、遠慮がちに歌う。しかし、この後3年間にわたってChickは60曲に上る曲でEllaをフィーチュアして録音する。
このCD10枚組の中でもごく初期である1935年〜1936年頃の数曲を除いて、1937年頃以降の彼女の唄い方は全盛期のそれと大して変わらない。1938年にもなると勢いはますます強まり、まるで既にEllaのバンドであるかのような堂々たる唄いっぷりである。
Ellaの最高傑作との評価の高いMack the Knife (Ella in Berlin)はこれより25年後の1960年(Ella43歳)の録音だが、この頃と既にあまり変わらない歌い方をしている。
後年Ellaは、心から敬愛していたであろうCount Basieと数多くの共演盤を残している。どれも駄作がなく、素晴らしくスイングしている。彼女はスイングする心を、最初の師であるChick Webbから10代の時に教わった通り、大切に歌い続けた。だから、彼女の唄い方は終生変わることはなかった。
Basieの音楽の中にはChickの音楽がいっぱい入っている。EllaはBasie楽団をバックに歌うとき、Basieとだけスイングしていたのではない。最初の師であるChickとも心の中できっと一緒にスイングしていたのだろう。
このCDと絵本にはそんなEllaの原点がたくさん詰まっている。
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