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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第12回

アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード
グレイト・ジャズ・トリオ
撰者:平田憲彦


【Amazon のCD情報】

2011年2月、私は雑誌『クーネル』の、とある頁に釘付けとなっていた。そこには、見開き全部にターンテーブルの写真があった。息をのむ存在感ある写真。その前後には、懐かしい人と、その家族の写真。そして、読み応えのあるインタビューが載っていた。
ベイシーというジャズ喫茶、その店主と家族である。素晴らしい写真。しばらく忘れていたベイシーを思い出したのだ。



たった一曲の為だけにレコードを買うということ。今のようにデジタルで音楽を1曲から買える時代ではなかった頃、2000円も3000円もするアルバムを、その中に収録されている1曲の為だけに買うことは、かなり勇気のいることだった。どこか確信めいたものがあるか、あるいはヤケクソか、または勢いか、ともかく、気合いを入れないとそんな冒険はなかなか出来なかった。
むろん、購入して聴いた後、素晴らしい楽曲は1曲ではなく、うまくいくと全曲がアタリ、などという幸運に恵まれることもあったが、たいてい、1曲の為に買ったアルバムは、その1曲のみが輝いていることが多かったように思う。

その曲とどのようにして出会ったのか、というドラマもまた貴重な思い出となるが、それ以上に、その曲が自分に降りてきたというような有り難い恵みですらあるその幸運を、心からかみしめるのである。だから、そんな思いをして購入したアルバムは、その1曲だけが輝いていてもいっこうに構わないのだ。

もう20年ほど前の事になるが、私は通っていたジャズバーの店主と、その飲み仲間と一緒に岩手県一関市に向かう新幹線にいた。車内ではみなジャズの話はせず、飲みつつ笑いつつ、目的地に着くまでの時間を楽しんでいたが、誰もが同じ思いであったことと思う。

ベイシー。
一関にある伝説のジャズ喫茶、ベイシー。
我々は一路、ベイシーに向かっていた。
バーの店主はベイシーの店主と知り合いであった。そういうこともあり、席を確保してくれていたのだ。

ベイシーの音は世界一。ジャズを聴くなら、ベイシーに行かなければ話にならない。そんな語り部たちが大勢いた。
いったいどんな音なんだ、とベイシー未経験者は誰もが思うのだ。そりゃ、小さなスピーカーから聞こえる音と、それなりの大きさ、例えば天地が60センチほどあるスピーカーから聞こえる音と、違いがあって当たり前だ。
しかし仮にも幾多のジャズ喫茶に何度も行っている強者のようなジャズ好きが声をそろえて『ベイシーはスゴイ』というのだから、そりゃスゴイのだろうと誰もが素直に思うのであった。

ベイシーと名付けたのは、もちろん店主の菅原さんがカウント・ベイシーを信奉しているからで、彼はベイシー本人に店に来てもらうため、当時車イスだったベイシーの為に店の敷居を全て取り払ってコンクリートで整備し直したくらいの人だ。ベイシーが来店したときのサインは、今でも壁にあることだろう。

1曲の為だけにレコードを買う、ということと同じように、我々は、ただベイシーという1軒のジャズ喫茶に行く、というためだけに、東京から新幹線に乗って一関市へ向かっていたのだ。
音楽がないと生きていけないような人種にとって、うってつけの奇妙な旅であった。

ベイシーは巨大な蔵を改造した建物で、ひっそりと、しかし確固たる意志を持った修行僧のように、そこにあった。
煉瓦が見える外観。それほど大きくはないエントランスを通って、我々は店内へと吸い込まれていった。
客はまばらで、割とすいていた。ジャズが鳴っていた。ただ、それだけである。菅原さんが迎えてくれて、『よく来たねえ、まあ座ってよ』などと、まるで家の座敷へ上がったかのようなにこやかな笑顔で迎えてくれる。

東京のバーの店主と、一関のジャズ喫茶の店主は、久しぶりの再会をかみしめつつ、我々は空いている席にそれぞれ座った。珈琲を頼む人、ビールを頼む人、まだ居心地が定まらず、前の前の巨大なスピーカーから流れてくる音に、『これってそれほどスゴイ音か?』と皆がそういう顔つきをしていた。

同行した仲間に、一人ドラマー志望の男がいた。私と生まれ年の同じ、数年後には単身ニューヨークへ修行に旅立つことになる彼は、もしかすると誰よりもこの日を待ち望んでいたのかもしれない。
それは、菅原さんはドラマー出身で、スピーカーの前にはドラムセットが常設してあるくらい、ベイシーにはドラムが欠かせない魂のような存在だったからだ。

ドラムが主体の曲を、菅原さんはかけてくれるのではないか、と彼は期待していた。
私は、ともかくベイシーと言えばカウント・ベイシー、『カンザスシティセブン』である。インパルスの名盤だ。これを是非とも聴きたかった。

聴きたいレコードある? と有り難い声がかかる。みな思い思いのレコードの名を口にしたが、幸運なことに『カンザスシティセブン』を最初にかけてくれた。

もう、そこから天国である。さっきまでかかっていたレコードは、なんというか、ボリュームを抑えていたのか、『カンザスシティセブン』はとんでもないサウンドを奏で始めたのだ。
私は、このレコードは数え切れないくらい聴いていた。好き、という単語すらもの足らないくらいの、ともかく愛しているといっても良いくらいのアルバムだ。それが、まったく初めて聞くサウンドのように、ベイシーを満たし、私を満たした。

簡単に表現すると、目の前に本物の奏者がいるような音、ということだ。これ以上の言葉は見つからない。目をつむると、目の前にはどう考えても本物のベイシー&カンザスシティセブンというバンドが演奏している、本物のサックスの音、本物のピアノの音、そして目を開けると、そこには巨大なスピーカーがあり、私はベイシーのソファに座っている、という次第だ。
魔法である。手品である。あり得ない。
こんな体験は生まれて初めてだった。

私は、本物のミュージシャンの演奏で『カンザスシティセブン』を聴いたのだ、としか思えなかった。今まで自分で聞こえていなかった音が次々と聞こえてきて、ミュージシャンの息づかいも感じ、『カンザスシティセブン』のすばらしさを再認識したのである。

次にかかったのが、ドラマー志望の彼の為のアルバム。
グレート・ジャズ・トリオのヴィレッジバンガードでのライブ盤だ。ピアノはハンク・ジョーンズ。ベースはロン・カーター。そしてドラムはトニー・ウィリアムス。
菅原さんは、若きドラマーにトニーの演奏を聴かせようと思ったのだろう。

1曲目がチャーリー・パーカーの『ムース・ザ・ムーチェ』。トニーのスウィンギーな、しかしハイスピードのドラムから始まるこのナンバー、カクテルピアノも弾くようなハンクが、強烈なリズムでビバップをドライブしていく。曲を聴きながら、何か違うな、この勢いは、どこか不穏な、いや、大地がうごめいているようなグルーヴがある、パーカーのビートとは明らかに違う、心の底から興奮してくるような異様なまでにドライブ感が増幅したビート。
そう思っていたら、トニーのドラムソロが始まった。
私は、今でもあの瞬間を忘れることが出来ない。ベイシーの音響システムが生み出す本物のサウンドで、トニー・ウィリアムズが次々とたたき出すビートは店全体を揺さぶり、バスドラムは地響きを立てる。ハイハットは空気を切り裂き、緊張感と重たいリズムが異様なミスマッチを生みつつ、空間を変容させていく。
自分がドラムの中に入っているかのような、音楽の誕生の瞬間に立ち会っているかのような、これこそ無我の境地というのだろうか、ただただ、トニーのドラムサウンドに包まれ、ビートの波に飲み込まれていた。
一言で表現するなら、快感、これしかない。

マイルス・クインテットでは、変拍子をいきなり挿入したり、複雑極まるリズムを重層的に組み込んだドラムで、張り詰めたサウンド空間を構築していたトニーだが、この『ムース・ザ・ムーチェ』ではあくまでも継続するリズムは一定していて、しかし煽り立てるようなグルーヴを生み出している。驚異的なスウィング感であった。

ドラムソロが終わってテーマに戻ったとき、店内にいた全員が大喝采と拍手。
これはもう、レコードを聴いているのではない、本物の演奏者が目の前で音楽を奏で、それを聴いている我々聴衆が、その素晴らしい演奏に思わず拍手するという、ライブ会場で起こっている現象とまったく同じ事が、まったく同じ心理状態で、ベイシーというジャズ喫茶で起こったのである。

レコードの片面が終わり、我々はトニーのドラムの話で持ちきりとなった。もう、スピーカーの前に行って、トニーに握手を求めたい気分だった。しかし、そこにはトニーはいないのだ。
もう、信じられない体験だった。

興奮冷めやらぬなか、私は鳥肌が立った。
目の前に、ビリー・ホリディがいたのだ。もうとっくに天国へ行っているはずのビリーが目の前に。
私はすでに、目を開けてもベイシーの音楽を堪能できるまでに店内になじんでいたのだろう、店主はビリーのレコードをかけていた。目の前はスピーカーと暗闇だ。テーブルがあり、椅子があり、珈琲とビールがある。しかし、紛れもなく目の前にはビリー・ホリディがいて、あのハスキーでチャーミングなボーカルを披露していた。
私は唖然としながら、ビリー・ホリデイの歌を聴き、そして心から感動していた。

一関のホテルに泊まり、翌日もう一度ベイシーに寄ってから、我々は東京に戻った。

私は早速レコード屋に向かった。あの1曲、グレート・ジャズ・トリオのヴィレッジバンガード・ライブ盤に収録されている『ムース・ザ・ムーチェ』を聴くためだ。
今も私は、このナンバーをよく聴く。他の収録曲は決して外れではなかったが、やはりこの曲なのだ。



2011年3月11日、東北地方を襲った大地震は巨大津波と共に大きな災害をもたらせた。私は知人がまったくいない東北地方で、唯一言葉を交わしたことのある菅原さんを思い出した。
かつて一緒にベイシーを訪れた東京のバーの店主に連絡を取ったのだ。

ベイシーのサウンドシステムに命をかけてきた菅原さんらしい、気合いの入った言葉を聞いたそうだ。
『お店もガタガタだけど、隣りの町のことを考えるとそれどころではない、オーディオもどうでもいい、物だから。俺たちはまだ寝るところがあるからいい。隣り町は流されて大変なことになっている。中尊寺はなぜ避難場所として開放しないのか。世界遺産とか言ってる場合ではなく、また、高野山の許可がでないからとか言ってる場合ではなく、今まで皆のお布施で成立ってきたのに、こういうときこそ庶民にそのお返しをするべきではないのか、と僧侶に言ってきた』

ベイシーに流れるあのジャズ、あの音は、菅原さんの魂だ。私は改めてそう思った。だから、カンザススティセブンが目の前に現れ、トニー・ウィリアムスのドラムが心に迫り、ビリーの歌声に涙したのだ。


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