大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
武田和命
撰者:吉田輝之
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こんにちは、吉田輝之です。前回のコラムから3週間がたちました。今回被災された方々の心情、状況、察して余りあります。また直接被災されていなくても、何か鉛のカケラを飲み込んだままでいるようなお気持ちの方も多いと思われます。
今回は、推薦したいレコードというより、自分が今一番聞きたい一枚というわがままな理由で選びました。武田和命(カズノリ)の「GENTLE NOVEMBER」です。
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武田和命は70年代すでに「伝説にして幻のテナーマン」だった。十代の私にとって、ある種「憧れの人」だったともいえる。当時、熱心に読んでいた相倉久人氏や平岡正明氏の著作に、山下洋輔や富樫雅彦とともに武田和命の名が頻繁に登場し、その無口頑迷、少し後ろを向いた態度、その演奏の凄さについての筆写に強力な印象を受けた。
1939年11月14日、東京都大田区蒲田の生まれ。高校を出てキャバレーでサックスを吹き、次第にフリージャズに傾倒。1964年、富樫、山下と日本で最初のフリージャズバンドを組むが短期間で空中分解する。相倉久人氏は当時の武田を「60年台初期の日本ジャズシーンでフリー・フォームのジャズを、頭からでなく、からだで最初にこなしたプレイヤーのひとり」と当盤のライナーノーツで記している。
1966年、(油井正一氏いわく)心ならずも滞京していたエルヴィン・ジョーンズと共演する。「心ならずも」というのは、1966年11月に、三大ドラマーのドラム合戦という演目でトニー・ウィリアムス、アート・ブレイキーと共に来日したおり、麻薬所持の容疑がかかるが、やっていないと認めなかった為、日本に勾留されたことをいう。この麻薬容疑については、今では「完全にシロ」であったことが証明されている。その間生活ができない窮状を救ったのが新宿ピット・インのオーナー佐藤良武で、共演者に山下洋輔、武田和命達を選び、ピット・インでエルヴィンを演奏をさせた。その時にエルヴィンが認めた唯一の日本のジャズマンが武田和命だ。
1967年、本田竹曠(p)、紙上 理(シガミ・タダシ)(b)、渡辺文男(ds)と武田カルテットを結成。このバンドは「初代 キ●●●・バンド」と呼ばれる程の暴れぶりだったらしい。
彼が伝説と呼ばれる理由の一つは、この時代の武田の音源が殆ど残っていないのだ。(本田竹曠の「ワッツ・ゴーイング・オン」で演奏しているが、このレコードが何故か手に入らない)
1970年代初め、彼は忽然と失踪してしまう。ソニー・ロリンズが失踪したのは、第10回のコラムで松井さんが書いておられる通り「自己鍛練」のためだが、武田和命の失踪の原因は謎であった。そのことについて当盤のライナーノーツで油井さんは「スイングジャーナル誌の武田に対する酷評が原因ではないか」と武田自身に問いただしたが、武田はこのことを否定し「当時家庭を持ち、ジャズでは生活ができなかったため」答えている。
「酷評」というのはSJ誌が「編集部」名義で武田の演奏を「テーマもろくに吹けない」と酷評したうえ最後に「ガンバレ武田!」と最後を閉めたものである。油井さんが言うようにこれは酷い。当時SJ誌は相倉久人氏と対立していた。SJ誌は、筆者名を明かさず、相倉氏を非難する代わりに、氏と同志といってよい程近い関係にあった武田和命の事をぼろ糞に書き、最後は偽善としか言いようのない言葉で締めた卑怯で最低の記事である。
しかし、ジャズでは食えないためだけで、キャバレー等のバンドで働き、70年代、ほぼ10年近くもジャズシーンから姿を消していたといのは何か納得がいかない。1970年代というのは、「日本のジャズ」が大きく盛り上がった時代である。最近では「和ジャズ」とか「J-JAZZ」という少し斜めから見た言い方をされているが当時は「日本のジャズ」と言っていた。本当は「日本人のジャズ」と言いたかったはずだ。
戦後、進駐軍の要望で、少し音楽の覚えがある者がジャズなんて知らなくても生活のためジャズをやりだした(秋吉敏子)。次の世代は、ベニーグッドマン物語を見てかっこいいと思いジャズをやりだした(渡辺貞夫)。さらに次の世代はピアノが弾けるのでダンスパーティに呼ばれてジャズをやりだした(山下洋輔)。苦労は多かっただろうが、イノセントな理由で始めたといえる。だが、1961年のアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの来日を機に日本人のジャズマンに大きなアイデンティティ・クライシスが訪れる。
「極東の地に住む、我々日本人が何故JAZZを演奏するのか」という疑問である。この問いかけに当時の先鋭的なミュージシャンはすぐに答えを出した。
「ジャズをやりたいからやるのだ」と。逡巡し苦悩することよりも、決断し実行することを彼らは選んだのだ。渡辺貞夫はテレビコマーシャルで言っていたではないか!“飯食ってる時も、風呂入ってる時も、クソしている時もジャズだ”と。(少し違ったかも知れないが…)
しかし、一つの答えを出せば、さらに大きな問題が出てくるのが常である。
「では、アメリカのジャズ奏者、特にあのものすごい黒人ジャズメンとどうすれば戦えるのか」という問題である。
70年代は、60年代に苦闘した日本人のジャズメンがその大いなる問題の回答を出していった時代だ。
事故で半身不随となった天才富樫雅彦はパーカショニストとして、1975年に『スピリチュアル・ネイチャー』という絶対に黒人に出せない“間”を生み出す。
山下洋輔トリオは、例をみないフリーフォームスタイルでヨーロッパに衝撃を与える。
渡辺貞夫はバッパーとしての姿勢を貫きながら、一方でブラジル音楽やアフリカ音楽に接近し、1978年に発表した『カリフォルニア・シャワー』でビルボードのジャズ部門で一位になる。
このような状況を、武田和命はキャバレーの片隅からでも見つめていたはずだ。シーンに復帰すれば大きな活躍の場が与えられたはずである。しかし、彼は沈黙を続ける。1978年、彼は東京のライブハウスであるR&Bバンドで演奏していることを平岡正明氏の友人に「再発見」されるまで。
この「再発見」は、1962年にカントリーブルースシンガーのスリーピー・ジョン・エスティスが研究者たちによって「再発見」されたことに匹敵する。
その話を聞いた山下洋輔はすぐに武田和命の元に行き、ジャズシーンへの復帰を説得し、山下洋輔グループに参加することなる。
翌1979年、その山下洋輔グループ(ベース:国仲勝男/ドラム:森山威男)をバックに吹き込んだ40歳での初リーダアルバムが「GENTLE NOVEMBER」である。(この文章を読んでいただいている皆様。本題に入る前になんと前書きが長いと呆れたことでしょうが、勘弁してやってほしい…)
レコードのA面に敬愛するジョン・コルトレーンゆかりの4曲を、B面に武田和命のオリジナル4曲が並ぶ。
1曲目はコルトレーンの初期の傑作「ソウル・トレーン(SOUL TRANE)」、2曲目は敬愛する黒人アルト奏者、アーニー・ヘンリーに捧げたナンバー「テーマ・フォー・アニー(THEME FOR ERNIE)」、3曲目はマッコイタイナーの作曲したOLEに入っていた、おそらくイスラム系の女性の名前「アイシャ(AISHA)」、4曲目がロジャーズ&ハーツ作のBALLADSに収められていた「イッツ・イージー・ツー・リメンバー(IT'S EASY TO REMEMBER)。
オリジナルはすべて英名だが勝手に日本語に訳せば「昔、私が語ったこと(ONCE I TALKED)」「我らが日々(OUR DAYS)」「小さな夢(LITTLE DREAM)」そして「優しい11月(GENTLE NOVEMBER)」である。しかし、表題曲は、武田和命が11月生まれであることから山下洋輔が命名した曲で少し違うニュアンスの邦題の方がいいのかな。
曲名を並べ、演奏を聴けば、この作品のテーマがわかってくる。それは、「想い」である。
演奏は武田の伝説からくるハードなイメージに大きく反して、誰もが想起するのはコルトレーンのバラードだろう。最初は僕もそう思ったが、コルトレーンのオリジナルを聞き返すと、コルトレーンとはまるで違う。
武田和命はここで、「いかに小さく吹くか」「いかに弱く吹くか」「いかに狭く吹くか」をこころがけて演奏したのではないだろうか。しかしこの表現は、大きく、強く、広い世界に直結している。10年近く沈黙していた理由は不明だが意味はあったのだ。
バックもまるで「我」のない演奏だ。(あの超絶技巧の山下洋輔の演奏が、あまりにトツトツとしており感動的である。)
傑作だ、名盤だと括ってしまうには、あまりにも切ないレコードだ。
僕は、このレコードを聴いた後、いつもビリー・ホリデイの「LADY IN SATIN」のIT'S EASY TO REMEMBERを聴く。
レディ・デイは歌っている。「想い出すのはたやすい。けど忘れるにはあまりに難しい」と。
※
PERSONNEL
武田和命:Tenor Sax
山下洋輔:Piano
国仲勝男:Bass
森山威男:Drums
1979年9月20、21日録音、埼玉。
Side A
1. SOUL TRANE
2. THEME FOR ERNIE
3. AISHA
4. IT'S EASY TO REMEMBER
Side B
1. ONCE I TALKED
2. OUR DAYS
3. LITTLE DREAM
4. GENTLE NOVEMBER
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