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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第7回

バトル・ロイヤル
シル・オースチン vs レッド・プライソック
撰者:吉田輝之


【Amazon のCD情報】

こんにちは、吉田輝之です。梅の花が薫る季節になりましたね。先週後半は関西でも最低温度が零度となり体調を崩された方も多いのではないでしょうか。 今週は、そんなあなたのため、寒さを吹き飛ばす実に暑苦しい、いや失礼、熱い熱い闘いが聞ける「BATTLE ROYAL !/SIL AUSTIN vs RED PRYSOCK」です。

この世の中に、かつて「ホンカー(HONKER)」と呼ばれる「ころがり、のたうちながらブリブリと下品で大きな音で吹きまくるR&B(アールアンドビーではない、リズムエンブルーズです)創世記に活躍したテナー奏者達」がいたことを知ったのは何時だっただろうか。
おそらく、1970年代後半に音楽評論家の中村とうよう氏が編集したレコード「ブラック・ミュージックの伝統(上下)」で、ジャイブやジャンプブルースとともに紹介されていたと思う。今思えば、とうよう氏がこの時点でこれらアメリカでも忘れられていた音楽を世に知らしめたのは実に早く、画期的なことであった。只、僕は知識として知っただけで、ホンカーそのものを意識しだしたのは、90年代になってキング・カーティスやジュニア・ウォーカーといった人を聴きだしてからだ。

しかし、ホンカーとして取り上げられた人たち、WILD BILL MOORE、PAUL WILLIAMS、HAL SINGER、BIG JAY McNEELY、WILLIS JACKSON、SAM“THE MAN”TAYLOR、EARL BOSTICなどなど、サム・テーラー以外全く知らず、こんな人達が存在していたこと自体驚きであった。大体、唯一知っていたサム・テーラーにしても、当然「ムードテナーの帝王」としてであって、ホンカーであったことなどまるで知らなかったのだ。

ホンカーには次のような特徴がある。

1) その言葉の由来通り、HONK(雁)の泣き声のような音「グワ グワをもっとえげつなくしたような音/honkは“吐く”という意味もある」からなる単純なリフ(例えばヴァーヴァ・ヴァバ・ヴァバ)を繰り返すホンク
2) 馬のいななきのようにテナーの音域をはるかに超えた高音域で叫ぶように吹くスクリ−ム、またはホーシング
3) 声を出し唸りながら吹くグロウル
4) 「ヴォワー、ボォヘ」という最低音域で大きなおならのような音を突然吹く
5) 身をよじりながら、寝ながら、床を転げまくりながら、時に走りながら吹く

これらホンカー独特の奏法は、サキソフォンを1840年代に発明したアドルフ・サックス氏ですら予想だにしなかっただろう。もし彼がホンカー達の演奏を聞いていたら、あたたかも、美人とは言えないが真面目で聡明なかわいい自分の娘が、これでもか、あれでもかと陵辱しまくられたのと同じように感じ、激怒したのではないだろうか。

しかし、よく考えてみれば、これらの奏法はホンカーだけのものではない。
コルトレーンやロリンズは演奏が高揚すると明らかにホンカー的な奏法をするし、ジョニー・グリフィンは若い頃、シカゴでバリバリのホンカーであった。アイラーやファラオに到っては、調性がないだけで殆どホンカーと同じ奏法で吹くのだ。

およそ1940年以前に生まれた黒人のテナー奏者は、程度の差こそあれ、皆ホンカー的な奏法を使うと言っていいだろう。
だが、「コルトレーンもロリンズもホンカーだ」と言い切るにはやはり無理がある。
なんと言おうか、ホンカーには独特のたたずまい、雰囲気があるのだ。

ホンカーとは本質的に
 ジャズマンというよりブルースマン
 芸術の徒というより芸能の輩(やから)
だと僕は思っている。

ホンカーのレコードの殆どは1940年代から50年代にかけてリリースされた、黒人大衆が買うことができる安いSP。だから、演奏は2分から3分と短いものばかりだ。しかし演奏の現場では聴衆はみんな踊りまくって聴いていたわけで、その演奏は数十分から時に1時間を越えたという。ホンカーが長時間吹きまくる演奏がないかと探していて見つけたのが10年程前に何と日本でCDリイシューされた「BATTLE ROYAL!/SIL AUSTIN vs RED PRYSOCK」(Mercury/1959年)である。

レコード店でこのジャケットをみて、「シル・オースティン? レッド・プライソック?知らんな〜」と思いつつも「バトル・ロイヤル」というタイトルに加え、副題に「テナーサックス世界選手権(For The Tenor Sax Championship Of The World」とあり、さらに二人のふてぶてしい顔を見て「これは単なるテナーバトルではなくホンカー同士の闘いだ」と直感した。曲もわずか3曲、うち2曲は10分以上に渡る演奏だ。

何だか高校生の時にビニ本を買って帰るように興奮して持って帰り、ビニールを剥ぎ取り聞いてみると、まさしく、その通りホンカー同士の激闘であった。

【第1ラウンド】(実際にジャケットにROUND ONEと記載されている)
シル・オースティンの曲「NO.1 SIL」で、いかにもジャンプブルースといった軽快だが二管とは信じられない程分厚いリフによるテーマで始まり、まず互いが長尺のソロを取る。最初にソロを取るのが右のスピーカーから聞こえてくるシル・オーステティンである。このオースィンのソロが凄まじい。途轍もなく分厚いダークトーンで
「阿鼻叫喚」(あびきょうかん)
「狂乱怒涛」(きょうらんどとう)
「悪逆非道」(あくぎゃくひどう)
「怒髪衝天」(どはつしょうてん)
「狼藉乱暴」(ろうぜきらんぼう)
「造反有理」(ぞうはんゆうり)
「精力絶倫」(せいりょくぜつりん)
「人妻蹂躙」(ひとづまじゅうりん)

といった濁音満載の四文字熟語を撒き散らしながら吹きまくるシル・オースティン。
凄いぞ!シル・オースティン!!
次にソロを取る左のスピーカーから聞こえてくるレッド・プライソックも十分太い音だがシル・オースティンに比べると聞き劣りする。しかしレッドさん、どうもスロースターターらしく徐々に調子を上げていき、ついには本領発揮、強力なスクリーミングを繰り出す。しかし、あぁ、まさにその瞬間を待っていたごとく、シル・オースティンがカウンターパンチを繰り出し再び猛攻を始めるのだ。この猛攻にレッド・プライソックは耐えきり、怒涛のエンドテーマで終わる。
1ラウンドから11分50秒の凄い闘いだ。しかしパワーでシル・オースティンが圧倒しており採点は10対8でシルの軍配だ。

【第2ラウンド】
この演奏のバックのギターは、実はデトロイト派のジャズギターの巨匠ケニー・バレルであり、このケニー・バレルが一曲目から煽り捲くる。ケニー・バレルは“その道”でも一流であったことがわかる。2曲目はそのケニー・バレルの「KENNY'S BLUES」である。3分50秒の短い演奏で、二人が渋いソロを取るが、1ラウンドの激闘の後だけに、互いの様子を見ているといったところだろう。採点は8対8。

さて、第3ラウンドが開始する前の休憩時間に、原田和典さんのライナーノーツを参考に二人について紹介しておこう。

レッド・プライソック、1926年ノースカロライナー生まれ。マイルスと同年生まれである。17歳の時にテナーサックスを始め、21歳でプロ活動を開始。兵役を経て47年、タイニー・グライムス(ギター)の楽団に入る。50年タイニー・ブラッドショー(歌手)の楽団に移り53年に独立、マーキュリーと契約し「ハンドクラッピング(55年)」「フットストンピン(57年)」「ヘッドスナッピン(57年)」という実にホンカーらしい曲名のレコードでヒットを飛ばす。

シル・オースティン、1929年フロリダ生まれ。44年にニューヨークに移り、46年アポロシアターのコンテストで優勝、ロイ・エルドリッジ(トランペット)の楽団を経て49年からクーティ・ウィリアムス(トランペット)の楽団で活躍、その後レッド・プライソックの後釜としてタイニー・ブラッドショーの楽団に入った後、独立し56年にマーキュリーと契約。ホンカーとしての作品もあるが、なんと言っても、ムードテナーとして「ダニーボーイ」の大ヒットを飛ばし、マーキュリーで30枚以上のアルバムを出す大スターだった(全く知りませんでした)。

しかし、二人とも“その筋”で実に由緒正しき楽団で経験を積んできており、本質的に生粋のホンカーであることがわかる。
それにしても、このレコードが吹き込まれた1959年、レッド・プライソックが33歳、シル・オースティンがまだ30歳である。皆さん、このジャケットに写っている二人の顔姿を見てほしい。どう見てもその年齢より20歳は上に見える。

シル・オースティンのプロフィールを調べて興味深いことを二つ述べたい。
彼は44年にニューヨークに行き、ホンカーのイメージに反することに、ジュリアード音楽院で学んでいる。当時ジュリアードでは確かマイルス・ディビスが学んでいたはずだ。
もう一つ、シル・オースティンは日本に64年、66年、68年、71年と4回も来日している(これも全く知りませんでした)。68年公演時に同行したピアニストは何とドン・ピューレンである。ドン・ピューレンはモダンホンカーとも言うべきジョージ・アダムスと70年代のミンガスのバンドを経て80年代に双頭コンボを組み暴れまくるが、60年代にシル・オースティンのバンドにいたとは、未来を予見するような組み合わせではないか。

【第3ラウンド】
さて、第3ラウンドは「Take The "A" Train」、言わずと知れたエリントン楽団の超有名曲である。正直言って、僕はこの勝負第1ラウンドでシル・オースティンの勝ちだと確信していた。3曲目は「レコードを売るために1曲は誰でも知っている曲を入れなければいけない」と思ったのか、「あとはリラックスしてジャズでもしようや」と思ったかはわからないが、実にイイカゲンな選曲がまたいい。事実、この演奏テーマの後、今回は最初にレッド・プライソックが、次にシル・オースティンが長いソロを取るが、互いにリラックスした実にスウインギーな演奏で、第1ラウンドの「殺気」はまるで感じられない。しかし、そのままでは終わらないのがこの二人である。演奏スタート後7分3秒から、『恐怖のフレーズ合戦』が始まるのだ。

『フレーズ合戦』、テクニカルタームでは何と言うのか知らないが(知っている人がいれば是非教えて下さい)、一方が短いあるアドリブフレーズを吹くと、もう一方がそれと同じもしくはもっと難しいフレーズを吹き返す、それならばと、一方がまた違うフレーズを吹き相手が吹きかえすという、フレーズの蓄積と技術、そして何より体力・気力が問われる勝負である。
この戦いを仕掛けているのは、明らかに先行で攻めているレッド・プライソックであり、シル・オースティンも返してはいるが、そのフレーズの流麗さ、豊富さで半歩プライソックに分があるように聴こえる。しかしそのようなことより、プライソックが無尽蔵ともいえるスタミナを武器に、シツコイまでに攻めるのを聞いていると、この男(ヒト)が

「戦いを始めたら、勝つまで絶対やめない」
「負けるくらいなら死んだ方がましだ」
「勝つためならどんな手を使ってもよい」

という、何と言おうか、“敵には絶対にしたくない”、“たとえ味方でもあまり日常的に付き合いたくない”ヒトであることが段々わかってくる。

今まで煽りまくっていたバックも疲れて「もう止めましょう」と段々単調になり、この勝負、ともに48フレーズ、実に計96ものフレーズを二人で吹き、最後は精も根もつき、実にイイカゲンにエンドテーマを吹き終わる。

この勝負、前述したようにシル・オースティンの圧勝と思っていたが、3ラウンド終わってみると、結果は「DRAW(引き分け)」だ。

しかし、マイルスが「KIND OF BLUE」を発表した1959年、マーキュリーはとんでもない記録(レコード)を残したものだ。

僕はこのレコードを聞くたびにいつも思う。
「男はすべからくホンカーたれ!」と。


【蛇足である補足】
実はこの拙文1曲目で始めにソロを取るのはシル・オースティン、次がレッド・プライソックと自身満々に書いていますが、正直迷っています。何故なら、原田氏のライナーノーでは、「右チャンネルから聞こえてくるのはレッド・プライソック」とあるからだ。右チャンネルといえば、聞き手から見て右側のスピーカーを指すと思われるが、最初のソロは右スピーカから聴こえてくる。とすれば最初のソロはレッド、次がシルとなる。しかし、2番目のソロの時に、右のスピーカーから「Go、Red」という声が聴こえる。つまり先にシルがソロを取り、次にレッドがソロを取っている時にシルが「もっと吹けよ、レッド」と声をかけているのだ。しかし、こちらが間違っている可能性はある。ここでレッドはシルに比べるとパワーで負けていると書いたが、50年台のレッドの他の演奏をコンピレーションで聴くと「ゴリゴリのスーパーパワーファイター」である。一方シルの演奏はこのレコード以外殆ど聴いておらず、どちらがシルか判定できない。
もし、間違っていたら、関係者はじめ読者の皆さん、本当に申し訳ありません。


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