大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦
ルイ・アームストロング&デューク・エリントン
撰者:平田憲彦
【Amazon のCD情報】
神戸、三ノ宮にあるジャズバー、『さりげなく』で大橋さんと飲んでいた。元町の大衆酒場から流れてきた我々は、心地よいカウント・ベイシーのリズムに誘われて、ジャズコラムの新連載を始めようと盛り上がったのである。
大橋さんの膨大なジャズネタを、是非とも読者に役立てて欲しいと私は思った。ワイルドターキーが背中を押してくれたに違いない、その場で連載開始が決まったが、大橋さんは、自分だけではもったいない、是非書かせたい人が他にいる、と話し始め、結局4人でリレーしていくこととなった。
人柄はそのまま文章に出るが、それもまた、ジャズのアドリブと同様に4人の個性を楽しんでもらえたらと思う。しかし共通しているのは、ジャズにしびれ、欲しい音、聴きたい音を求めてさまよい歩いてきた4人の男たちが、ひとりでも多くの人にジャズを聴いてほしいという想いなのだ。それも、誰もが知る名盤だけではなく、無名盤にもしっかり流れている熱いスピリットを。
※
新宿ゴールデン街にまだ不穏な空気が濃厚に漂っていた頃、シラムレンというバーがあった。迷いそうな狭い路地に入るとそこはもう東京も日本も超越した空間となり、自分が何者かも不確かになってくる。二筋目か、あるいは三筋目か、怪しげな赤い灯や青い灯をくぐり抜け、2階へ通じる狭く急な階段のある入り口を見つけることになる。
一人しか通れない階段を上り、屋根裏のような部屋の扉を開けると、そこにはカウンターだけのバーがあった。多くの客は日本酒を頼み、マスターは腕で一升瓶を挟んですぽんと栓を抜く。ガラスコップになみなみと注がれた酒は、対流する紫煙と共に大音響で鳴り響くジャズで一層味が冴え渡るのだ。
シラムレンはボトルキープも出来た。私は焼酎をキープしたような記憶がある。しかしそれも定かではない。何より目に焼き付いているのは、カウンターの背後全面に埋め尽くされたカセットテープなのだ。カセットテープには、世界中からかき集められたジャズが録音され、客の求めに応じて、あるいはマスターが雰囲気をみて選び、スピーカーを震わせていた。
私はその頃、22歳だった。大学を出て就職したばかりで、違う部署の先輩営業マンに連れて行かれたそのシラムレンは、東京のジャズ好きにはちょっと知られた店だったと聞く。先輩は年の頃40歳くらい、ジャズと日本酒で毎夜都心をを徘徊していた。倍ほども歳の違う先輩は、私がジャズを好きだと知って喜んだ。そして事ある毎に私を連れ回してくれた。
シラムレンは、彼にとって自慢の店だった。薄暗い店内と、怪しげなマスター。夜の11時にならないと出勤しないママ。客はどう見てもまともなサラリーマンなどひとりもいなくて、シラムレンに入るともう家に帰れないのではないか、ドアを出たらそこは香港なのではないか、そんなことを夢想するのが自然なことのような、奇妙な雰囲気に満ちていたのだ。
初めてシラムレンに入った夜、日本酒を飲みながら先輩のジャズ談義を聞く。
「バクチで損ばかりしているジャズマンって、誰か知ってるか?」
「知りませんよ、そんなの(笑)」
「ボビー・ハッチャーソンだよ」
「そうなんですか?」
「ハッチャーソン、張っちゃあ損。」
「・・・・・」
「面白いだろ(笑)ははは!」
全然面白くなかった。
しかし、本人は上機嫌である。
そんな事ばかり喋って時間が過ぎたころ、マスターが一つのカセットテープを我々の前に差し出したのだ。
「Louis Armstrong and Duke Ellington」
先輩も知らないアルバムだった。私は、もちろんサッチモとエリントンは何枚か持っていたが、このアルバムは知らなかった。
ただ、サウンドは想像できた。あのサッチモと、あのエリントン。だったらサウンドはこんな感じかな、などと。
先輩も同様だったようで、珍しいね、セッションアルバムか、などと言いながら聴かせてくれと頼んだのだ。
マスターがデッキにカセットを入れ、プレイボタンを押す。
信じられない音が出てきた。力強いピアノは重く泥臭い。ベースはうなり、ドラムのリズムがねちっこい。これはスウィングジャズではない、モダンジャズでもない、何だこれは。
そしてサッチモのボーカルが切れ込んできた。私の甘い想像など一瞬で蹴散らしたそのサウンドに唖然とした。まるでブルースバンドじゃないか。
こんなサッチモは聴いたことがなかった。「素晴らしき世界」のポップなサッチモではなく、「ホットファイブ」のディキシーなサッチモでもない、アーシーでブルージーでソウルフル、そしてパワフルなサッチモだった。
1曲目は「Duke's Place」、出だしのサッチモの声がいかにすごかったか、今でもよく覚えている。曲は完全に「C Jam Blues」で、それに歌を入れたバージョン。
デュークのところへ連れて行ってくれよ、というフレーズから始まるドライブ感たっぷりなブルースナンバーは、そこにいた客全員をノックアウトしたのだ。
誰もがサッチモのボーカルとエリントンのピアノに驚嘆していた。
後で知ったことだが、このアルバムはサッチモのコンボにエリントンが参加したセッションということだった。
録音は1961年、ニューヨーク。
パーソネルは次の通り。
Louis Armstrong (trumpet,vocals), Trummy Young (trombone), Barney Bigard (clarinet), Duke Ellington (piano), Mort Herbert (bass), Danny Barcelona (drums).
あっという間の10曲。エリントンナンバーをサッチモが歌い、サッチモのコンボでエリントンがピアノを弾く。濃厚で贅沢な時間、そこがゴールデン街でも何処でもよかった。ただもう一度聴きたかった。何杯目かの日本酒を飲みながら、私は必ずこのアルバムを買おうと決めたのだった。
※
あれからもう20年以上が過ぎた。
シラムレンは、今も健在である。ママが亡くなって寂しくなったが、マスターはまだ元気である。
先輩営業はその後部長になったと聞いたが、それ以上はわからない。
2000年に、このアルバムは「The Great Summit」と名付けられ、未発表ナンバーが7曲も収録されて再発された。
追加された7曲も全てが素晴らしいナンバーで、とりわけ感動的なのが『I Got It Bad and That Ain't Good』。イントロからしばらく続くエリトンとサッチモのデュオを堪能し、やがてピアノトリオの編成になるというリッチなナンバー。サッチモのボーカルとトランペットが冴え渡る絶品のバラードである。最小限の音を奏でるエリントンのピアノとのコンビネーションは、あまりにも美しい。
最後を締めくくる『Azalea』もエリントンのピアノトリオをバックにサッチモが気持ちよさそうに歌う小粋なバラードナンバー。
ともかく、ハードなブルースから4ビート、スウィング、そしてバラード。サッチモとエリントンのコンボ共演という希少性だけでなく、アメリカンミュージックのエッセンスが詰め込まれたサウンドを堪能できるという意味でも、素晴らしい再発バージョンとなっている。
このアルバムで聞けるサッチモやエリントンは、どこか違う。今聴いてもそう思う。このセッションでは、何かが起こったのだ。それは音楽の奇跡と呼ばれるものだろうが、あの夜も奇跡が起こったのだと私は思う。
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