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Kind of Jazz Night

さんふらわあ JAZZ NIGHT 初代プロデューサー
大橋 郁がお届けする『KIND OF JAZZ』。
うろたえず、媚びない。
そんなジャズにこだわる放浪派へ。
主流に背を向けたジャズセレクションをどうぞ。


撰者
大橋 郁
松井三思呂
吉田輝之
平田憲彦

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第41回

ベイシー・イン・ロンドン
カウント・ベイシー
撰者:大橋 郁


【Amazon のCD情報】

第38回で、松井さんが紹介した西宮北口のジャズ喫茶「コーナーポケット」は、私達が高校1年の頃オープンして以来36年の永きに亘って、今も殆ど姿を変えずに営業を続けている。マスター鈴木喜一さんが亡くなった後は、奥様があとを引き継いで今も当時の雰囲気のまま営業を続けている。(※その後、2012年9月3日に閉店しました)

今回は、松井さんが紹介したジョニー・グリフィンとエディ・ロックジョー・デイヴィスの「GRIFF & LOCK」と同様に、やはりコーナーポケットのマスター鈴木さんがこよなく愛したカウント・ベイシー楽団をとりあげる。

1980年3月20日、私は初めて生でカウント・ベイシー楽団を聞く為に、大阪厚生年金会館大ホールにいた。
音響システムを全く使用せず、ピアノの音もドラムの音も、管楽器の音も一切マイクを通さないで、生音で聴かせるベイシー楽団の音量は、当時、大音量の音響システムを駆使したロックのコンサートに行き慣れていた私の耳に、少し物足りなく感じた。しかし、それは最初の数分のことだ。始まって直ぐベイシー楽団の音に魅了された私の耳は、少しも音量が小さいとは感じなくなっていた。
ブッチ・マイルスのドラム、フレディー・グリーンのギターに支えられ、ベイシーの小気味よいピアノの味付けをバックにしたベイシー楽団の演奏は、一糸乱れず統率された完璧な演奏だった。そして、曲の途中で前面に降りてきてソロを取り終わってお辞儀をして席に戻るときのミュージシャン達が皆、なんといい顔をすることか! リラックスしまくってベイシーサウンドに酔いしれる聴く側の「緩さ」とは真逆に、皆キリリとした顔で緊張感を保ちつつ、誇りに満ちているようだった。
正に全盛期に勝るとも劣らないベイシー楽団に接することが出来たことは、一生の宝である。
完全にノックアウトされた私にとっては、ベイシーに対する感謝と至福の時であった。そして全ての演奏が終わった後、真っ先に前方の席で立ち上がり、スタンディングオーベーションをしたのは、西宮北口のジャズ喫茶「コーナーポケット」のマスターの鈴木さんだった。

さて、そんなベイシー楽団の全盛期を切り取ったアルバムのひとつが「ベイシー・イン・ロンドン」(1956年9月録音)だ。録音状態は決して良いとは言えないが、それが全く気にならない出来の良さなのである。

このアルバム中で私のお気に入りのひとつである「コーナーポケット」。ここでは、ふたりのトランペット奏者が続けてソロをとり、フランク・フォスターのテナーサックスソロへと移る。一人目のトランペッターは、ラテンバンドの王者ペレスプラード楽団の名曲「セレソ・ローサ」のテーマを引用した印象的な出だしだ。後にこの曲をコーラスでカバーしたマンハッタントランスファーも、このトランペットソロの完全コピーをしている。
続く2番手のトランペッターはソロの途中で「コーナーポケット」のテーマそのものが出てくる。二人とも、同時期に出ているアルバム「エイプリル・イン・パリ」(1955年7月と1956年1月録音)と全く同じアレンジ、ソロオーダーだ。緊張感あふれる流麗でスリリングなソロである。
どちらのアルバムも日本盤は大和明氏が解説を書いていて、このふたりのトランペッターのソロオーダーをサド・ジョーンズ(tp)→ジョー・ニューマン(tp)としているが、他の資料では、逆の順序ではないか、と推測しているものもある。私にも正直よく分からないが、この時期の映像を見るとサド・ジョーンズが先にソロを取っているものがあったので、やはり大和明氏の推測が当たっているのだろうか。

それにしても、スタジオ録音の「エイプリル・イン・パリ」も名盤ではあるが、各ソロイストのソロは「ベイシー・イン・ロンドン」でのライブの方がスリリングさに満ちており、私としてはこちらに軍配を上げたい。そのようにこのバンドは、アンサンブルの素晴らしさはもちろんであるが、メンバー一人ひとりの技量も無論素晴らしいものであり、短い時間で簡潔でスリリングなソロをとる。これは、ベイシー楽団の一員であることのプライドと緊張感がシナジーになって生み出されているのではないだろうか。ともかく切れ味鋭いブラス隊とサックス陣、そして鉄壁のリズム隊が、この曲を完璧なものにしている。
これだけで、デザート不要の満腹スイングが出来る。小難しいことは一切考えることなく、ここまでガッツリスイング出来れば、まさにドラッグもお酒も使わずにトリップしてしまいそうだ。

私が見た来日公演でも、ベイシーが右手の拳を頭上に掲げて、右に一振り、左に一振りしただけで、「パッ!パッ!」と、おもしろいようにバンドが正確にフォルテッシモでリズムを刻み、音色を変える。まるで、ハイドンの交響曲「驚愕」のようなメリハリのつけ方に圧倒される。
これくらい音量やアタックを自由自在に操れるのは、一言でいえばベイシーという人がそこに座っているから、ということに他ならないであろう。ベイシーバンドの音は、ベイシーがそこにいれば、その音になる。私はベイシーという人物について殆どなにも知らないが、強烈なリーダーシップを持っているのだけは間違いがない。ベイシーバンドの音の勢い、スピード感、ダイナミックさ、ドライブ感、こういったものは、全てベイシーの「気」からくるに違いない。
確かに、サドジョーンズやフランクフォスターなど、素晴らしいメンバーが揃っていることも、特徴の一つではあるが、素晴らしいのは、各人のソロだけではない。

敢えて極論するなら、ベイシーという人がそこにいれば、あとは誰がやってもあの音、つまり「ベイシーサウンド」になるのであろう。
専門用語で「アインザッツが正確である」という言い方があるそうだ。
アインザッツとは「休止後における歌い始め、奏し始めの瞬間」のことで、アインザッツを上手に揃えることは、アンサンブル技術の中では非常に困難な壁であるらしい。

聴き手にとって、フレーズの出だしがバラけずに美しいかどうかで、受ける音楽の印象が全く違ってくる。出だしが曖昧であると、ぼやけて濁って聞こえ、その音楽は台無しになってしまう。素人楽団では、自分の音を上手に出すことに専念して、各人が譜面にかじりついてしまい、美しいアンサンブルにならない。しかしベイシーバンドでは、メンバーがリーダーのベイシーの出す「呼吸」や「空気」を読み取って正確なアインザッツをつくる。つまりバンドの面々は、そのために集中力を維持できるかどうかが、需要なポイントとなる。
ベイシー楽団の一員であるということは、ベイシーが何を求めているのかを理解し、集中力を維持出来る、ということなのだ。前述の日本公演でも、我々を至福の世界へ連れて行って酔わせてくれる為に、ベイシー楽団の面々は、極度の緊張感と集中力を保っていたのであり、私見たメンバーのキリリと緊張した顔はその表われだったのではないだろうか。

ところで、ベイシー楽団の花形ポジションは何だろう? 打楽器を叩くようなトツトツとしたベイシーのピアノも忘れ難いし、生音であるにも関わらず、常に必ず聞こえているフレディ・グリーンのリズムギターも、このバンドにはなくてはならない存在だ。
しかし、誰か一人となると、やはりドラマーに尽きるのではないだろうか? サッカーで云えば背番号10番の司令塔、野球でいえば4番打者、まさにダンスミュージックとしてのジャズバンドの最も美味しい部分を独り占めしている感がある。
スポーツ中継で云えばヒーローインタビューにあたるのは、何と言ってもドラムのソニー・ペインであろう。敢えて言い切ってしまえば、ソニー・ペインのバンドだ。そして名曲「コーナーポケット」はドラマーの為の曲だと、言い切ってしまいたい。それくらい、歴代のベイシーバンドのドラマーは「選ばれしドラマー」であるし、その中でもひと際ソニー・ペインは光っている。
「コーナーポケット」と「シャイニーストッキング」は非常に似たアレンジになっていて、終盤部分のTutti(管楽器のソリによるアンサンブルパート)の合間にあるドラムソロは圧巻である。
私も初めてこのレコードを聴いたときは、「将来は絶対ドラマーになってやるっ!!」と決心した。
(まあ、これは長嶋茂雄に憧れた野球少年がプロ野球の選手になろうと決心するのと同じようなレベルの話だが。)

ソニー・ペイン(dr)という人は、根っからのエンターテナーであり、強靭で正確無比なリズムを叩きだすこと以外に、やたらパフォーマンスの多い人である。
スティックを使ってお手玉をしたり、次々とスティックを放り投げては、キャッチしたり、肩にスティックを乗せては反対の手で取る、などと曲芸を披露してカウント・ベイシー楽団を盛り上げてきた。
しかも、これをきちんとしたリズムを刻みながらするのである。 ということは、相当な時間をこの練習の為に使っていたものと思われる。普通は、曲芸の練習をするくらいなら、当たり前のドラミングの練習に時間を割きたいところだろう。きっと楽器をもうひとつマスターするくらいのエネルギーをこの余興の為に要したのではないか? これは今風に言えば、楽団の『Cutomer Satisfaction(お客様満足度)』向上の為に、努力を惜しまなかったということではないだろうかと思う。
きっと、ソニーペインも他のメンバー同様に極度の緊張感と集中力の中で、演奏をしていたのだろう。そして、その緊張を持続せしめることが出来たのは、カウント・ベイシー楽団の一員であるという誇りであったのだろうと考えたい。そして、極東の黄色い少年をスイングの嵐の世界に連れて行ってくれたベイシーにただただ感謝するのみである。


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