書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
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日本近代文学の起源
柄谷行人
講談社(1988年)
日本
近代
文学の
起源
表紙ではこう文字がレイアウトされている。実は、これはスタイルではないのである。菊池信義がいかに優れた装幀家であるかは、この見事な表現で明らかだ。
あとがきで、柄谷はこう書いている。
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『日本近代文学の起源』というタイトルにおいて、実は、日本・近代・文学といった語、さらにとりわけ起源という語にカッコが附されねばならない。
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ゲラに対して5色の色鉛筆を使って読み込み、そこから装幀を考え出していく菊池の方法論は、単行本、文庫本といった書物の外見的スケールでエネルギーを変えることなく、テクストを表出させる見事な装幀を生み出す、これは格好の見本だ。
文学史として読まれてしまったら苦笑するだろうと柄谷は言うが、文学史として読まれて苦笑するほうがのんきで良いかもしれない。ここには戦慄すべき洞察と、あまりにも深い知性がすべてのページにわたって展開されている。それが、何ともクールで平易な空気をまとって。
日本と近代と文学について、その起源をゆっくりとえぐり出していく様は、まるで優れたミステリーのクライマックスを読んでいるかのような緊迫感がある。それが全編にわたって繰り広げられているのだから、たまらない。
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われわれが「現実」とよぶものは、すでに内的な風景にほかならないのであり、結局は「自意識」なのである。
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『風景』というものはすでにあったものではなく、それは作り出されたものであるという驚異的な認識にまず背筋に汗をかく『風景の発見』に続き、『内面』『告白』『病』『児童』がどのようにして日本と近代と文学の生成と深く関わってきたかが驚くべき認識力で次々と明かされていく。
これが批評なのか、とつぶやかずにはおれない。
この書物を読むと、柄谷行人は命がけで批評していることを確信してしまう。小説を読み解き、批評する。そしてそれを読むということはこれほどスリリングなものなのかと、あっけにとられるのである。
後に、圧倒的傑作『探求1』をものにする柄谷の天才ぶりがいかんなく発揮された書物『日本近代文学の起源』。
読んだあと、なぜか頭が良くなったような気がする罪深い書物であるが、批評とは何かを知りたければ、まずこれを読むべきであることは間違いないだろう。
※敬称略
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