書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
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BLUES AND GOSPEL RECORDS
Robert Dixon, John Godrich, Howard W. Rye
Oxford Univ. Press(1997年)
この書物は、その書名がすべてを物語っている。
『BLUES AND GOSPEL RECORDS 1890-1943』、その通りの内容がここにはパッケージされていて、それは随時更新され、版を重ねるごとに精度が向上している。早い話、1890年から1943年の間にリリースされたブルースとゴスペルのすべての楽曲が収録されているディスク(レコード、CD)の記録で、ただそれだけである。
このような書物は俗に『ディスコグラフィ』と呼ばれる。ブルースやゴスペルという音楽にとどまらず、あらゆる音楽は、べつにディスクに記録されたものだけが真実であるはずもなく、記録されなかった音楽の方がむしろ多いだろう。記録はたいてい恣意的な場合が多いので、記録それ自体を過大に重視することは音楽そのものをとらえる場合においてあまり良しとされるべきではない。ディスコグラフィとは、まずそのような考えを念頭に置いてとらえるべき書物である。はっきりと言えることは、実務的な目録としての記録であり、ディスコグラフィが音楽そのものを表現しているわけでは、もちろんない。
ではどんな実務に向けられているのかといえば、レコードコレクターが自分のコレクションをリスト化したデータベース、あるいはコレクションを充実させるためにすでにあるデータベースを参照する、といったふうに、データベースとして収集実務に役に立つということである。では、コレクター以外には役にたたないのか、ということになるが、実際ディスコグラフィは、むしろコレクター以外に需要があるといって良かろうと思う。
それは、徹底して精度が高められ集まった情報は項目の宇宙と化すことで、まるで詩集のような空気をまとった書物となっているからである。ディスコグラフィには『正確な情報』という命題がそもそも前提となっているので、必然的に文字による事実が横溢している。それは、どのミュージシャンがどんなことを考え演奏したか、などという物語は一切省かれ、ただ、いつどこで誰が誰とどんな楽器で何を演奏し、それがはじめに記録されたのはどのレコード会社で、今はどのレコードで聴くことが出来るのかといった、感情や演出がまったく入り込まない、主観を排除し徹底して突き詰め調査された事実の掲載である。
ジャーナリズムともレコードガイドとも違う、独特の世界がディスコグラフィにはあるのである。
事実の追跡によって羅列された文字たちが、なぜ詩集のようなのか。それは、突き放された言葉たちによって連なる世界が、装飾を奪われることによってかえって豊穣さをまとい、詩情を産み落としているからに他ならない。
そんなわけで、戦前のブルースとゴスペルに特化した唯一と言っていいディスコグラフィ『BLUES AND GOSPEL RECORDS 1890-1943』は、ファンをうならせ、感動させる言葉たちが満ちあふれている。
この書物もディスコグラフィの伝統にのっとるように、文字しかない。レコードジャケットの写真でも載っているのかと思われる方もいるかもしれないのではっきり書いておくが、この書物の表紙をくるむソフトカバーは別として、写真は一切ない。1点もない。解説もない。あるのは、編集時点で判明している事実のみのデータである。だからこそ、有無を言わせぬ説得力があり、その魅力が読む側に想像の自由をもたらせているのである。
レコードジャケットの写真もなく、解説もないこの書物を、はじめてブルースやゴスペルに接する方におすすめする気にはなれないが、索引を見ただけでもいかに世界は豊かであったかがたちどころにわかるということからも、ブルースやゴスペルを愛してさえいれば、これはきっと大切な書物になるということは間違いないだろう。
※余録※
これは私がはじめてアマゾン・ドットコム(US)を利用して購入した書物である。
今はなくなってしまったが東京の銀座に『イエナ』という洋書専門店があり、そこで古いバージョンの『BLUES AND GOSPEL RECORDS 1890-1943』を手にとって見たことがあった。しかし、これはいいなと思っている内になくなってしまった。
しばらく経ってから最新バージョンがリリースされたという情報がブルースの通販専門誌に載り、これは買うしかないと思ったところ、かなり高価。たしか、25000円くらいの値が付いていたように思う。それはブルース好きには大変有名な通販専門誌なので信頼は置けるのだが、やはり流通の事情があってやむを得ない価格なのだろうと思った矢先に、アマゾン・ドットコムを思い出したのである。
そのころはまだ日本語版のアマゾン・ドットコムは開設されていなかったので、かなり緊張して注文した記憶がある。まあ、やはり洋書を本来の定価で購入するというのは価格的なメリットが一番なので、多少のリスクも覚悟の上、というわけだ。定価95ドルの本を11,400円で購入できた。
発注してから10日くらいで到着。やはりうれしいものである。いや、安かったことではなく、遙か海の向こうからわざわざ自分が取り寄せた、という、手に入れた充足感がうれしさを増幅させてくれたわけだ。
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