書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
※
八百万の死にざま
ローレンス・ブロック
田口俊樹訳
早川書房(1988年)
そのバーのカウンターで、Yさんに初めて会った。そのときの私はまだ24歳で、駆け出しのグラフィックデザイナーだった。自分でアートディレクションをした仕事もまだ無く、ラフや版下を作ったり、色校正のアシスタントをしたり、そんなことをやっていた。
JAZZの世界では結構知られたそのバーは東京の真ん中にひっそりと、しかし毅然とたたずみ、10席ほどしかないカウンターはいつもいっぱいだった。自分のような歳の男はまだ行く場所ではないことを理解しながら、しかし、あこがれと背伸びと、根拠のない自尊心が、いつも私をそのバーへと向かわせていた。仕事の話、酒、女、そしてJAZZ、あるいは個人的な会話。話し相手のいない私は、それでも一人で通っていて、会話に入ることは出来なくてもそこにいるだけでくつろぐことが出来た。そうは言っても、私の安月給でこの店に通うことがどれほど身の程知らずか良くわかっていたが、ボトルを入れることは出来なくても、何とかショットで粘って通い続けていた。
常連たちの持つある種共通の価値観が似たような空気を形作り、それをうまく包んでいる店主、そんな世界がそのバーでは堪能でき、そのうち自分も空気を作る一人になれるだろうと、これまた根拠のない確信めいたものがあった。
JAZZを学生時代に知った程度の私には、その店の持つJAZZへの深さにはとうてい及ばず、また、常連たちのJAZZ通具合もマニアの域に達している人が多く、あるいは実際にJAZZミュージシャンも飲みに来るので、リクエストなんて怖くて出来なかった。かかっているレコードを聴くだけで十分で、何千枚あるのかわからない、狭い店いっぱいに並んだレコードをいつも眺めていた。
今の私のJAZZ観はそこで作られたと言っていいほど、JAZZのおもしろさ、楽しさ、厳しさを教わった。実際に流れ出るJAZZを前にして、JAZZ好きとJAZZミュージシャンが、JAZZバーの店主を交えてJAZZについて語る。そんな私にとって奇跡のような時間が、多く過ぎていった。
そんな若造がYさんに会ったのが、そのバーである。
バーの常連というものは、いつもカウンターの端に座りたがるという話を聞いたことがある。実際、毎日のように来ていたIさんはいつも入り口近くの席に座り、私からするとそこは彼のための席で、たまたま空いていても座ってはいけないような気さえしていた。しかし、Yさんはいつも空いている席に適当に座っていた。私が初めて会ったのは、ちょうど真ん中あたりの席だった。JAZZが好きなの? それがYさんが初めて私に話しかけてくれた言葉だったのではないかと思う。その後、気にして聞いていると、いつもYさんはそのセリフで、初めて話す若い人に対して会話の口火を切るのだった。
後から考えると、Yさんは40歳、50歳くらいの初対面の人に対してはそんな会話をしていなかったので、ある種、若造をちゃかしていたのかも知れない。何でここにいるの? こんなとこで何してんの? というふうに。Yさんは年齢で人を区別する人ではなかったが、だからこそ、年齢に対してかなり自覚的だったように思う。
私から見るYさんは、いつも横顔の人だった。それもそうだろう、カウンターで隣になることが多く、親しくなるにつれ、私はYさんの隣に座りたがったのだから。
不思議なことに、Yさんのことを私は作家だと思いこんでいた。作家ってのはこんな風に飲むのか、こんな風に話すのか、なんて勝手に思っていた。それほど、Yさんは知的で、しかも不良じみていた。正体不明の魅力があふれていて、これは作家に違いないと決めてかかっていたのである。しかしそれもそのはずで、Yさんには作家はもとより、ミュージシャン、デザイナー、編集者、建築家、レーサー、そんなクセのある様々な友人がいて、しかも誰からも好かれていたのである。女にもモテた。決して2枚目ではないYさんではあったが、ひたすらかっこよかった。
おまけに、面倒見も良かった。わたしが世界を旅するという向こう見ずなことをやらかす頃、同じく常連だったひとつ年上のドラマー志望の男がニューヨークに行く少し前、私とその男とでYさんの家に何度も泊めてもらった。そいつがニューヨークに行った朝、コーヒーを入れてくれたことを良く覚えている。
そのころ、私は渋谷のアパートに住んでおり、偶然にその男も近所だった。だから、どんなに遅くまで飲んでも帰ろうと思えば歩いてでも帰れたのであるが、Yさんは泊まりに来いとよく誘ってくれた。
決して口数が多い方ではないが、しゃべるときははっきりとしゃべる。私にとって、Yさんは初めて出会った男であったと、今になって思う。男とはこういうものなのかなと、私はそう思った。女にも酒にもだらしなかったし、その頃はあまり仕事もしていなかった。何で酒が飲めたのか、まだよくわからなかったが、だらしないのに、それを感じさせないかっこよさがあった。決して人を見下したりしなかったからか、卑屈な態度が全くなかったからか、礼を尽くすからか。それにしても、そんな謎だらけのYさんであった。
Yさんはかつて大学を出てテレビ局に入社していたと、その後知った。しかしクルマに夢中だったYさんは、レーサーを夢見てコースに出ていた。レース中大事故にあった時に、まだテレビ局にいたかどうかはよく記憶していないが、意識が戻った後、『これから、おまえの人生は余録だよ』と知人にいわれたという。
そんな話を聞きながら、ある日またいつものカウンターで飲みながら、クルマの話になった。
ポルシェだな。
Yさんは、今まで乗った車の中で最高だったクルマにポルシェ911をあげた。ポルシェはドライバーが望むようにクルマを動かすため、全てのものが最適な位置にある。そんな風に言っていた。しかし、その頃Yさんはもう免許を持たず、クルマに乗ることはなかったのである。
マット・スカダー、その名前が出たのも、いつものバーだった。お薦めの本を教えてよ。そう訊いた私に、Yさんは2冊の本を教えてくれた。1冊は『キャットチェイサー』。これはエルモア・レナードの探偵アクションものだ。もう1冊が『八百万の死にざま』。ローレンス・ブロックによる、探偵小説だった。
マット・スカダーというアル中探偵とニューヨークを舞台にした、重く沈んだミステリーである。私は早速本屋に行き、この二冊を手に入れた。夢中になったのはマット・スカダーであった。
これはシリーズ化されている。10冊以上出ている人気シリーズだった。痛快さはみじんもなく、謎が解決する爽快感も、未来へ開く明るさもなにもなく、そこにはひたすら暗い現実と、自らの罪と罰を問い続ける一人の探偵がいた。
かつてニューヨーク市警の刑事だったマットは、ある非番の夜、飲んでる最中に犯罪現場に出くわし、罪もない人を撃ち殺した犯人を追って通りに出た。そして犯人を狙撃したのである。犯人は死んだ。しかし、一発の玉がそれて跳躍し、たまたま通りを歩いていた女の子に当たったのである。
女の子は即死した。
犯人は死に、そしてマットは表彰された。そのすぐ後、マットは警察を辞め、ニューヨーク郊外で暮らしていた家族とも別れ、マンハッタンの安ホテルをすみかとして生きていた。探偵業で得た日銭を酒代と教会への寄付に換えながら。
罪もない人を撃ち殺した悪を罰するために職務を遂行し、悪に対して罰を与えたと同時に悪ではないものに対しても理不尽な死を与えた。その、どうしようもない矛盾を生きることになったのが、マット・スカダーである。
自らに罰を与えようとしたのか。職を辞し、離婚し、家族と離れただけではまだ罰にはなっていなかったのだろうか。そうして酒に逃げたのである。探偵料が入ったら、そのうち10%を教会に寄付をする。それが居心地の良くないことだと知りつつも。それしか思いつかないといった、不器用さを隠す器量もなく。
この“自らの罪と罰”という重いテーマはシリーズを追うごとに深まってゆき、『八百万の死にざま』で美しい結晶となって作品化されていた。何人もの人が無惨に死に、また殺され、欲望に破れ、さまよい歩く魂の彷徨が暗いトーンの中で描かれながらも、軽妙な会話とニューヨークの騒音が見事な文章表現となって昇華された、奇跡的な小説だった。
Yさん。これはYさんなのかもしれない。マット・スカダーとYさんとは、どこかで驚くほど似ていたのである。若い頃に奥さんと娘さんとも別れ、無頼に生きていながらも友人が多く、抜群な知性があったYさん。Yさんは本当は『八百万の死にざま』だけを私に教えたかったのかもしれない。しかし、何か気が引けたのか、全く毛色の異なる『キャットチェイサー』も加えておいた。そんな気さえしたのである。
マット・スカダーは、シリーズを追うに従って成長していく。一年に一冊出る最新作を待ちながら、それを読む私たちも、成長していったのである。
食道ガンと診断されたYさんは好きな野球もできずにずっとお茶の水の病院に入ることになった。そのころもまだマット・スカダーを読んでいたのだろうか。私は一度だけ見舞いに行った。あんなに好きだったYさんの見舞いに一度しか行かなかったことを、今私は心の底から悔やんでいる。しかし、そのころの私の何かがそうさせていたのだ。それはきっと、私がよく知っているのだろうが、自分をえぐり出す勇気を、まだつかめずにいる。
ふっくらしていたYさんの頬は大きくくぼみ、私は言葉もなかったが、買ってきた帽子を手渡した。Yさんは帽子が好きだったのである。そこにはYさんが好きだった“サン・スタジオ”の刺繍が入っていた。
サン・スタジオ。アメリカのメンフィスにある伝説の音楽スタジオだ。かつて、エルヴィス・プレスリーがそのキャリアをスタートさせたことで世界的に有名であり、またさらに、ブルースやカントリーでも多くの名作を生み出したミュージシャンが大勢録音してきたスタジオである。Yさんは、ジョニー・キャッシュが好きだったのだ。
この帽子をかぶって、また外に出てきて欲しいという気持ちを込めていた。その、一緒にいたわずかの時間、忘れられない言葉があった。
また免許を取ろうかな。
レースで死にかけて、余録と言われた人生を再生させる魂がこもった一言だったと、私には感じられた。
それが、Yさんに会った最後となった。
誰からも好かれていたYさんが突然いなくなり、誰もがぼんやりしていた。しかし、彼はあまりにも深く深く心の中にいたのである。今まで。だから、これからもそうなのだ。彼と親しかった仲間に入れてもらって、若輩の私もYさんを送る場所にいた。悲しみはどうしても言葉に出来ないが、ふるえる体はとても正直だった。
私には今も、マット・スカダーだ。やはり、これがなくては話にならない。
Yさん、マットはエレインと再婚したよ。
ほんとに、Yさんによく似ているよね。
※余録※
マット・スカダーをこれから読もうという人に対してどれを勧めるかは、バーボンをはじめて飲む人に勧める1本と同じくらいに難しい。長編、短編あわせて20作品以上もある中から、いったいどれを読めというのか。やはり順当なところでは今回おすすめする『八百万の死にざま』ということになるだろうが、別に違う作品から読み始めてもかまわない。しかし、それでも、“何でもいい”というわけにもいかない。
ひとつの方法としては、第1作の『過去からの弔鐘』から順に読み進めるという、全くの正攻法がある。これはこれで、私などははっきり言ってうらやましい。この読み方が出来る人は今から読み始める人か、本当に第1作から読んできた人しかいないからである。次に考えられるのは、『八百万の死にざま』のひとつ前の『暗闇でひと突き』を読み、次に『八百万の死にざま』をよむ、という方法。3つ目の方法は、やはり『八百万の死にざま』を読んで、次に『聖なる酒場の挽歌』を読み、『暗闇でひと突き』に戻り、『倒錯の舞台』そして『死者の長い列』を読む。これが一番いいかもしれない。
まあ、読む順なんかどうでも良くて、早い話、ぜひともマット・スカダー・シリーズを読んでもらいたい、ということにつきる。
それから、マット・スカダー・シリーズ以外にも、作者のローレンス・ブロックは小説の名人で、短編でも優れた傑作を多数リリースしているので、そちらもぜひ体験されたい。これは短編集『バランスが肝心』から読み始めるのがいいだろう。あまりのおもしろさに、きっと電車は乗り過ごすので、気を付けて欲しい。
暗く沈んだマット・スカダー・シリーズはどうも…というかたには、古書店にして泥棒という『バーニィー』シリーズがいいだろう。スカダーものと同じニューヨークを舞台としていながら、軽いノリで気楽に楽しめる1級のミステリーだ。
Copyright © 2003- Banshodo, Hirata Graphics Ltd. All Rights Reserved.