書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
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Picasso The Italian Journey 1917-1924
Mario Andreose
Rizzoli(1998年)
今我々が見ることの出来るピカソの作品は、ピカソの生涯90年のうち約80年ほどにわたっている。あの天才の80年間にわたる作品の数たるや膨大である。まだ10代の頃に描かれた緻密で存在感たっぷりのデッサンから、死ぬ間際に描かれた線のみのドローイングまで、人の人生が毎日同じではないように、ピカソの作風はまるで生き様そのものであるかのような変貌を繰り返してきた。
ピカソの表現はタブローにとどまらず、彫刻作品をはじめ様々に展開されていて、デュシャンなどは、その自著の作家紹介的文章の中で、ピカソのことを“グラフィックデザイナー”と記しているほど、ピカソの表現領域は多彩である。“画家”とひとくくりには出来ない表現領域の広さが、ピカソがそのままひとつの宇宙をなしているかのような底なしの魅力をたたえているからに他ならない。
この書物は、そんな多彩というにはあまりにも豊かなピカソの表現の歴史の中で、最も写実性がロマンティックに昇華された時代の作品ばかり集めたものだ。サティやコクトーとともに参加した“アート・セッション”といってもいい『パラード』の衣装、舞台美術、妻や息子の美しさを驚くべきデッサン力で色彩豊かに描いたシリーズなど、優しさと愛情に満ち満ちており、飽くなき変貌を繰り返したピカソの作品中、最もポピュラリティを獲得している作品群であろう。
なかでも、古典的な光の演出を全く独自の手法を駆使し自由に描いた女性のシリーズは、とりわけすばらしい。神聖な中にも肉感的で生命力にあふれ、ピカソが、生きるということはすでにひとつの表現であることを作品で証明したものであり、調和と逸脱が信じがたいバランスで表出している奇跡的な作品で埋め尽くされている。描くということがどれほど生きることであるのかを、これほど生々しく体験できるタブローは、そうざらにないだろう。途中で絵筆を置かれたかのような闘牛士に、表現を完成させ意志を塗り込めるということはどういうことなのかを、われわれはピカソによって知ることが出来るのである。
また、妻オルガと息子ポールに向けられたまなざしには過剰な魂がみなぎっている。夫であり父でもあるピカソは、ここではまるで表現を放棄したかのような愛情への従属が見られる。しかし、ピカソは表現を手放すどころか、未知の領域へ向かおうとしているかのような野心に満たされている。それがまた我々を感動させずにはおかないのである。
これらの作品は、幸いにしてすぐにでも見ることが可能だ。フランスへ行けばいい。あるいは、スペインへ行けばいい。たまに日本にも作品が来て運良く見れる機会もあろうが、待っている必要はないのである。
この作品集を所有し、また見ることで心が満たされることは間違いないが、ぜひ本物を見ていただきたい。作品は本物を見なければならない。オルガや闘牛士が、あるいは海岸を疾走する女性たちが、いったいどのような大きさで表現されているのか、色彩はどのような輝きなのか、それは残念ながらこの書物をもってしてもわからない。デュシャンの言う網膜上の絵画という概念ではなく、現実的な絵画体験として、本物を見なければ、作品を見たことにはならないのである。
この書物は、そんなピカソの天才ぶりを身をもって体験できるアンソロジーであり、大切なアルバムのようなものなのである。
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