書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
再読のススメ
『読まないんだったら返して。次待ってる人がいるんだから』
とカウンターの中から声がする。
私はジントニックを一口飲んで、借りている書物の表紙を思い出した。
おもしろかったよ、読む? と聞かれて、もちろんと返事したのは良かったが、私の読書は乱読で、気の向くままページをめくることがほとんどなのだ。つまり、書物には音楽のように接している。スピーカーに向かってアルバム1枚を聞き続けることがあまりないように、集中して1冊を読む、ということを最近はあまりしない。
かといって集中して聴いたり読んだりすることがないか、というとそうでもなく。出会いみたいな瞬間が自分を動かすことが多いので、かなりいい加減にやっている。
本屋大賞をもらったとかで有名らしい『告白』という小説を借りてしばらく放っておいたら、どうやら貸した本人は私がすぐに読むものと思ってったらしい。1週間経っても返してこない私にしびれを切らしたようだ。
じゃあ『オン・ザ・ロード』は読んでるの? と私が切り返すと『もちろん』と返事され、私は苦笑いした。
ケルアックの『オン・ザ・ロード』が青山南訳で出ていたが、最近になって文庫本で出た。それをプレゼントしたのだ。
基本的に、よほどの場合を除いて、私は本やCDはプレゼントする。貸す、ということはまずない。それは、自分が所有している本やCDは、いつでも見たいときに見れるようにと思って買ってあるのである。だから、貸すということは、たとえわずかな期間でも自分の手元から離れることになり、それは困るのだ。だから、オススメの作品の話になったとき、私は貸すのではなくプレゼントするのだ。だからつまり、返してもらう必要もなく、気楽でいい。
先日は友人から江國香織の本をまた借りて、まだ読まずにデスクの上にある。いつでもすぐに返せるように、家には持って帰っていない。ま、そのうち読むだろう。
そんないい加減な感じだから、借りた『告白』もまだ2割くらいしか読めていない。
それ以上に読書が進まないのは、別の書物にはまってしまい、そちらを読んでいたからだ。
川端康成の『雪国』である。それも、電子書籍で。
『雪国』を初めて読んだのは、たぶん二十歳の頃だろう。ものすごく文章がうまい、ということと、登場人物の『駒子』という芸者が魅力的で、印象深く覚えていた。
その後も何度か思い立ってパラパラとページをめくることがあり、そのたびに少し読んでは『うまいなあ』と感嘆していたのである。
昨今の電子書籍ブームで、私の周りでも電子書籍を読む人が出てきた。私はかれこれ10年ほど前から電子書籍を読んでいる。なので、こう言っては何だが、私は電子書籍のベテランである。あの狭い画面でもまったく苦にならない。むしろ、何十冊ものお気に入りの書物を持ち歩けて、実に幸せである。
『雪国』は、『新潮文庫の百冊』という電子ブックにパッケージされていて、私はそれをテキストファイルに変換し、自分のPDAに入れて読んでいるのだ。私的複製だから法的にはまったく問題ではない。
そんな次第でふと、『雪国』を電子書籍として読んでみようと思い立った。
私は、気に入った作品は何度も読む。むしろ、新しい作品を読むよりも、お気に入りの作品を何度も読むことの方が多いかもしれない。
気に入った作品を何度も読むのは、その都度発見があるからだ。それは私を感動させる。芸術作品は1度体験したくらいではその神髄はわからない。文章表現や人物描写、構成の妙など、小説という芸術表現においてもそれは同じだ。
とりわけ小説は、架空のストーリーという土台を作り、その世界に生きている人間を描き出す芸術だ。架空の人物ということは、今までに会ったことのない人物に、我々読者は出会うのである。書物の上で。
現実には存在しない人物達が描き出す、存在しない物語。だからこそ、現実の本質を描くことが出来るし、読者は、自分の単一視点だけではない複数の視点で人間を感じることが出来る。
そういう『創作された世界や人間像』は、ただ一度読めば理解できるというものではない。何度も読んでいくうちに、作品の世界観や登場人物の個性が読み手である自分の心にしみこんでくる。
ストーリーを理解するだけなら1度読めば十分だろうが、小説の醍醐味はストーリーではない。いかに真実の人間が描かれているか、という部分だ。そこを堪能するには、何度も読むのがいちばん。とりわけ気に入った作品があるのなら、なおさらのことだ。
電子書籍で読み直した『雪国』は、やっぱり素晴らしかった。紙で読もうが電子で読もうが、良い作品は良い。
ほとんどエロ小説か、と思わせるような冒頭部からしても、直接的な単語を一切使うことなく、あれほどのエロティシズムを表現できるということに、私は日本語表現の究極を感じる。そして、台詞回しで人間性を表現できる可能性の、多大なチカラを感じてしまう。
ジャンルを問わず全ての優れた表現は、つまるとこと人間を描いているので、結局のところ表現されている本質は同じであることが多い。しかし、その中にある人間の多種多様な喜び悲しみは、ひとつではない。
それらの一つ一つが読み手に内在するそれぞれの感情と響き合い、共感したり反発したりしながら、見知らぬ人物との出会いが生まれていく。
小説作品を心ゆくまで楽しむには、気に入った作品を何度も読むこと、それがオススメだ。
さて、そろそろ『告白』の続きを読まなきゃ。
今度は本気で怒られそうだ。
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