書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
※
若葉のうた
金子光晴
剄草書房(1967年)
ともすれば旅の詩人と呼ばれ、実際それほど世界を渡り歩いた強靱な魂は、70歳にして1冊の美しい詩集を生み出した。
はじめて授かった孫娘、若葉をうたった詩集である。
洗面器に跳ね落ちる音に清廉な性を見いだした感性、息子の徴兵検査を不適合にさせるため煙を焚いた部屋に息子自身を閉じこめた激しさと、この詩集に染みわたる愛情とは一切矛盾しない。
金子を代表する作品と同列な激しさと自己を対象化しきった厳しさが、実はこの詩集には潜んでいる。それは、金子光晴の生きることに対する姿勢に他ならず、それはまた、初めて授かった孫娘への新鮮な驚きと、興味、そして思考を大きく逸脱させる孫娘の美しさを永遠に見続けるということは不可能であることを認識する明るい絶望であり、不安とともに孫娘の未来を明るく願う、振りかえることのない肯定性でもある。
難しい言葉を一切使わず、しかしこれほど正直な言葉もなかろうと言った愚直なまで真摯に編まれた詩たちは、これまで人間を見据えてきた透明な視点と何ら変わることがなく孫娘への愛情で貫かれている。それが、読むものにこれほどの動揺を与えるものかと、その点においても驚嘆するほかないだろう。
この詩人は、生まれたばかりでまだ何も知らない小さな孫娘を、敬愛の思いで見つめている。無償を誘うその愛らしさと、そこに差し向ける自己の愛情にエゴイズムを認識する厳しさとの境目に走る絶対的な生への肯定。
旅、そして人間の神髄を味わうにはもってこいといわれる金子光晴が生み出したこの詩集は、エゴイズムを自覚した無償の愛情を生きることが出来るかと、現在と未来を見据えながら問い続けているのである。
※敬称略
Copyright © 2003- Banshodo, Hirata Graphics Ltd. All Rights Reserved.