音楽書庫
音楽コラム
平田憲彦
ビートルズ、赤い情熱と青い希望
今の音楽の聴き方として主流のひとつは、サブスクをスマホでイヤフォンだろう。きっとそれはグローバルな潮流で、しばらく変わることはないと思える。そう考えると、今の環境に最適化されたミックスでビートルズを提供したいとジョージ・マーティンの息子が考えたのは、自然な流れに思える。
ミュージシャンは音楽を生み出す側だが、プロデューサーはミュージシャンとリスナーを繋ぐ立場である。聴き手がどう感じるかを重視して音楽を調整することが仕事だ。父親が心血注いでプロデュースした歴史的バンド、ビートルズの音源を、現在と未来へ生き続けるよう快適なサウンドに再調整して引き継いでいきたいと息子が考えたことは、やはりカエルの子はカエルといえそうだ。
1962年、リスナーはラジオやポータブルレコードプレイヤーで音楽を聴いていた。当時のデバイスにはスピーカーはひとつしかついていない状態が主流であったので、モノラルミックスでうまく聞こえるように調整することは必然だったろう。やがてリスナーの日常環境でのスピーカーは2つになっていくが、ステレオのイヤホンやヘッドホンで聴く機会は稀で、通常はスピーカーで聴くことが主流であることは変わらなかった。
だから当時はモノラルが主なミックスでよかったのだ。また、技術的にも現在のステレオサウンドには及ばなかったし、ステレオだったとしても、それを優れたリスニング環境でリスナーが聴くことはレアなケースだったのである。
極端に左右が分離した奇妙なステレオサウンドのビートルズを、ステレオイヤホンやヘッドホンで聴くことは、少なくとも快適な音楽環境とは言い難い。それはリスナーをビートルズから遠ざけることはあっても、積極的なリスニングへと誘うことは困難に思える。それならモノラルで聴く方がマシだが、イヤホンで聴く自然なステレオサウンドに慣れた今のリスナーは、モノラルサウンドを楽しめるのかという疑問が出てくる。
そのような事情を考えれば、今回のリミックスは、今とこれからの音楽試聴を考える上で最適解だと思える。また、こんな多大な手間暇とコストを掛けて50年前の音源を生まれ変わらせることが許されるミュージシャンは、おそらくビートルズくらいではないか。
今回導入されたミックスの技術を使えば、「楽しむために聴く」ということがが困難な音源、たとえば戦前の録音などもクリアに聞こえるように蘇らせることもできるかもしれない。そんな淡い期待を抱かせるくらいの出来映えが、今回の赤盤青盤の2023年リミックスである。
もちろん、現在の最新の楽曲で成されているような、広がりも奥行きもある自然なステレオサウンドには及ばないが、ビートルズのサウンド、とりわけ初期のサウンドが違和感のないクリアなステレオサウンドになったことは事実である。
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赤盤青盤2023年リミックスの最大の聴き所は再構築されたクリアなステレオ化だが、もうひとつの聴き所は、新たに追加された楽曲である。それらも2023年リミックスの恩恵を受け、信じられないくらいの立体感と奥行き、音の粒立ちを表現できている。
長らく聴き込んできているビートルズファンの中には、違和感があったりモノラルの方が良いと言ったりなど、いろいろな感想があるようだが、前述したとおり、今回の狙いが、サブスクをステレオイヤフォンで聴くという今のリスニング環境への最適化と考えれば、この2023年リミックスはどう考えても圧倒的に正しいと言える。
しかし、追加選曲についてはそうとも言えないというのが僕の正直な感想である。もちろん、過去を懐かしむとか、オリジナル赤盤青盤こそ素晴らしいという原理主義的発想ではなく、赤盤青盤の趣旨と、通して聴いたときのビートルズというバンドの独自性を考えれば、残念ながら今回の楽曲追加は赤盤青盤にこそそなわっていた良さを曖昧にしてしまっていると感じた。
赤盤青盤の趣旨、それはビートルズが生み出した楽曲の『The Best of The Best』である。これは、オリジナル楽曲こそ素晴らしい、という意味ではない。偉大な過去の作品や憧れのミュージシャンの影響を受けてコピーやカバーでバンドをスタートさせたビートルズが、どのようにそれらを消化して自分たちの音楽として昇華させたか、というその成果のことだ。ミュージシャンとしての目標や理想が紛れもなく結実した音楽群。それが赤盤青盤だ。だから、オリジナル楽曲作品だけでベスト盤を編集することに意義があるのだ。
今回の2023年リミックスで追加された『Twist and Shout』などのカバーは、もちろん演奏も歌唱も素晴らしい内容で、リミックスによる恩恵も最大限発揮されているが、カバーはあくまでもビートルズのメンバーたちによる『憧れの具現化』である。憧れの楽曲やミュージシャンに少しでも近づきたい、同じ音楽の息吹を感じたい、敬愛する曲と一体化したい、そういう思いが成し遂げた表現である。それは聴けば理解出来るくらいストレートに表現されている。つまり、オリジナル作品から感じられる音楽の創造という情熱の動きと、好きな楽曲への愛情という動きは、向いている方向がまるで違うのである。
オリジナル作品とは、憧れではない。憧れを基点として自分たちの表現が生まれ、それらをいかにしてメロディを生み出して音楽作品にまとめ上げるか、いかに歌詞を書いていくか、正解も着地点もなく手探りで生み出される表現作品である。ジョンが亡くなる直前にプレイボーイインタビューで語っているとおり、『ひとつとして満足しているアルバムはない』というくらい、暗中模索で作り上げる作品なのだ。すでに『正解』として提示されている楽曲をカバーするという気持ちとは、何もかも異なるのである。カバーとオリジナルの演奏から、それらの根本的な違いがはっきりと出ている。
また、オリジナル作品の追加にしても、残念ながら『The Best of The Best』とは言いがたい雰囲気も感じられる。そのうちのひとつは、ジョージに対する『忖度』である。赤盤においてジョージの作品が収録されていなかったことに配慮した結果のようだが、ジョンがインタビューで語っているとおり、初期のビートルズにおいて、ジョージの楽曲はジョンが考えるレベルに達していなかった。それも聴けばはっきりと認識できる。
『If I Needed Someone』が追加されているのが、忖度の典型だ。ジョージの楽曲創造が発揮され始めるのは、『Rivolver』からである。『Taxman』が追加収録されていることはビートルズの『The Best of The Best』という意味では合致すると思うが、『Within You Without You』や『I Me Mine』もジョージへの忖度で追加収録されたと感じられるくらい、『The Best of The Best』のニュアンスを弱めてしまっている。
同じことがジョンやポールの楽曲にもいえる。『Got To Get You Into My Life』や『Tomorrow Never Knows』、『I'm Only Sleeping』、『Dear Prudence』、『I Want You (She's So Heavy)』は、『The Best of The Best』とは言いがたい選曲である。誤解のないように書くと、それらが素晴らしい曲であるのは言うまでもないし、僕も大好きな曲である。しかし、それらの曲は収録されているオリジナルアルバムで聴ける。サブスクならなおさら、いつでも聴けるのである。『The Best of The Best』の中に混在させることが正しい選曲だったのかどうか、やはり疑問に思えてならない。
そうは言っても、リミックスされた追加楽曲で感動したことは正直な感想だ。とりわけ、『I Saw Her Standing There』と『Hey Bulldog』には驚かされた。クリアなんてもんじゃなく、ライブを観ているような臨場感が再現されている。『Twist and Shout』はジョンのとてつもないボーカルが一層凄みを増しており、バンドのグルーヴも凄い。息を呑むほどの演奏を堪能できる。
だからおそらく、オリジナルアルバムの状態でリミックスされたバージョンが、これから望まれるリリースだろう。
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そして選曲上の最大の難点が、やはり最後に収録された『Now And Then』だろう。そもそも今回の『赤盤青盤2023年リミックス』は、ジャイルズ・マーティンによると、『Now And Then』を収録するアルバムがないことから、それの受け皿として着目されたという経緯がある。本来は『Anthology 3』に収録される予定だったのが、クオリティの問題が解決せずに収録が見合わされ、お蔵入りになった曲だから、収録される受け皿アルバムがそもそも失われていた曲なのだ。それが、赤盤青盤の50周年というタイミングに着目され、急遽受け皿アルバムに選ばれてしまった。
つまり、すでに企画の段階から、赤盤青盤の本来の趣旨であった『The Best of The Best』から外れていたのである。
赤盤青盤2023年リミックスを通して聴いて違和感を拭えないのは当然とも言える。
どう好意的に解釈しても、『Now And Then』はビートルズの活動中に生み出された楽曲ではないので、〈1962年〜1970年の作品〉という枠には入らない。これは明らかなことだ。また、ビートルズ解散後に生まれたことからも、ビートルズの作品と言い切るには無理がある。もちろん、メンバーが『この曲は自分たちの楽曲だ』と言えばそれは通るのだろうが、残念ながらジョンもジョージもいない今、メンバー全員が『Now And Then』をビートルズの作品だと明言することはできない。あくまでも認識として、また愛情によって、『Now And Then』はビートルズの楽曲であり、メンバー全員が録音した最後の楽曲であるという『記録』や『認識』だけでビートルズの作品といえるだけのことなのだ。
ここでまた誤解をさけるために言うと、僕は『Now And Then』を素晴らしい作品だと思うし、この楽曲を多大な努力の末にリリースさせた人たちの魂こもった熱意には感動している。どうせなら、『Free As A Bird』と『Real Love』も同じ技術でクリアにリミックスしてもらいたいとさえ思う。そして、その3曲のみでアルバムをリリースしてほしい。そうすれば、ラストレコーディング3部作の音響的クオリティは統一され、解散後に再結集したメンバーによる録音で成されたアルバムになるだろうから。
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僕が初めて赤盤青盤を聴いたのは、1978年、中学1年生のときだ。お金がなかったので、僕が赤盤を買って、僕にビートルズを教えてくれた同級生が青盤を買い、ふたりでカセットテープに録音し合って、やっと赤青両方を揃えることが出来た。当時はレコードを聴くことはたいへんな努力と資金が必要だったのだ。とりわけお金のない中学生には。
テープが伸びるほど聴いたという表現は、けっして誇張ではない。伸びきって音がふにゃふにゃになっても聴き続けたのが、ビートルズである。僕の当時の目標は、ビートルズの全曲をカセットテープに録音する(収集して思う存分聴く)ことだった。中学3年間でそれは達成出来た。そのころ、レンタルレコード屋という商売が出てきて、そのおかげでアルバムを毎月1枚ずつ借りてきては録音する、ということを続けられたのである。(お金がないから1ヶ月に1枚しか借りることができなかっただけだが)
赤盤青盤は、その頃の僕のバイブルだった。まさに、赤い情熱であり青い希望だったのだ。
45年後、そのバイブルが、驚異的に音響が向上されて再登場することになるとは。
2023年の赤盤がスピーカーから流れてきて、僕はほんとうに涙を止めることができなかった。心が震えるというのは、こういうことを言うんだろう。
僕はまだ生きている。しかし、すでに旅立ってしまった多くの同年齢の友人たちもいる。彼らは2023年赤盤青盤を聴けていない。なんだか申し訳ない気持ちになる。しかし、それでいいんだろう。僕もやがて彼らのところへ行く日がくる。そして、その後に誕生する音楽もある。そうやって誰かが引き継いでいくんだろう。
父親の仕事を引き継いで未来へ繋げたジャイルズ・マーティンのように。
20231227
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