音楽書庫
音楽コラム
平田憲彦
12。あるいは、命の誕生へ向かう音
次のコラムは、2023年2月4日に書いている。しかし、このウェブページに掲載することは見送った。なぜなら、まるで彼の旅立ちの時が来ることを僕が知っているかのような、傲慢な気がしたからだ。もちろんそんな気持ちはなかったし、あるはずもない。純粋に音楽を聴いて感動したその気持ちを文章にしたものだ。しかし、数年前から彼の姿や彼のコメントに接するうちに、もはやその時が近々来ることは避けられないだろうと感じていたことも正直な気持ちだった。
ただ、このコラムを掲載することで、その時が早まるなどということにでもなれば、いや、そんな事はあり得ないんだろうが、そういうことに自分が関わってはならないと自制が働いたのである。
そして、やはりその時は来てしまった。
このアルバムが発表されたのが2023年1月17日である。この日は、もちろん阪神淡路大震災が起こった日だ。そして、彼の71回目の誕生日でもあった。
2023年3月28日よりも前からよく聴いていたし、それ以降もよく聴いている。これからも聴くだろう。
12
坂本龍一
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仏教では、死は悲しみではないと教えられる。死は、誕生なのだと。御仏の世界、浄土へと踏み出す第一歩なのだと。だから、死は誕生であり、むしろ祝福されることなのだと教えられる。
命日とは、命の日と書く。それは、命が失われた日ではなく、命のはじまりの日なのだ。
ただ僕達はまだこの現生という時間を生きている。だから、なのかもしれないが、死が生の始まりなのだという仏教の教えは、知性を向き合わせなければ腑に落ちない。いや、知性をもってしても、腑に落ちるものでもないだろう。そこにはきっと、信仰が必要なのだ。
仏教では、死は消滅ではない。死は生誕なのだから、祝うべきものなのだ。現生にいては見ることのできない世界が、そこにはあるのだ。だから、誰もその世界の話を聞いたことはない。行かなければわからないのだから、いま、ここで、誰からも、聞くことは出来ない。
坂本龍一さんは、2023年1月17日にリリースしたアルバム『12』で、それを聞けるようにした。
僕はそう感じた。
仏教は、一切は無である、という。
命あるものは、やがて白い骨になるという。白い骨は灰となり、そして無になる。
愛する多くの友人たちが旅立って、そして僕はまだここにいる。置いて行かれたとは思わないし、追いかけていこうとも思わない。僕の知らない世界にそもそも彼らはいたのだし、僕の知らない別の世界に行っただけのことだ。僕が追いかけたところで、彼らが向かったところへ僕も行けるとは限らない。
でも思うのは、ああ、彼らはこの世界に行ったんだろうということだ。この、アルバム『12』の世界へ、彼らは行ったんだろう。
ブルースが好きだったあいつ。クラシックを弾いていたあいつ。ジャズを愛してた東京のオヤジ。ゴスペルとソウルが好きだった先輩。誰よりも早く一級建築士になったあいつ。みんな、この音が鳴ってる世界に行ったんだ。ここで、すべての音に囲まれて、魂を鎮めてるんだ。
そう、僕も、そのうち行くからさ。
思想も哲学も、喜怒哀楽も、理念も暴力も、愛も、政治も、何もない、命が帰る場所に鳴っている音。
坂本龍一さんはこう言っているような気がした。
「私はここにいます」
20230204
20230530
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