音楽書庫
音楽コラム
平田憲彦
つまずく青年のバラード
そういえば先日、友人がこんな話をしていた。
『浜田省吾だけをカヴァーするバンドのライブに行ってきたよ。かっこよかったよ』
どうにもイメージしにくいが、ストーンズのカヴァーばかりするバンドは良く理解できるので、それの浜田省吾版、と考えればいいのだろう。
僕自身はあまり聴かないが、それでも少しくらいは知っている。中学生の頃、CM音楽で流れてきた『ブルー、レッド、イエロー』というフレーズは、今でも良く覚えているし、とても惹きつけられた記憶がある。
僕の友人には浜田省吾好きが多い。
音楽談義をしていて、ふと誰かが「浜田省吾」の名を口にしようものなら、たちどころに皆の顔色は変化する。
相手の様子を伺いつつ、
「たまに聴くけどね」
とひとりが口火を切れば
「あ、俺も時々」
と別の誰かが後を追い、やがて実は皆が少なからず聴いていることが明らかにされる。
1980年ごろに20歳前後を過ごした世代にそれは顕著で、パブロフの犬のようなパターン反応をする時があるほどである。
昔、あるいは今も、浜田省吾さんはそういった世代の男たちに鳴り響いているのである。
それは、同時代的に語られることの多い佐野元春さんや桑田佳祐さん、あるいは山下達郎さんといった日本の音楽シーンをリードしてきたミュージシャンの中にあってはやや異質な趣が漂うことは否定し難い。
音楽性というよりはメッセージ性が浜田省吾さんには際立っているのだ。それも比較的泥臭いメッセージが。
楽曲はとても良くできていてメロディも美しい作品が多い。さらにロックンロールのバイタリティもしっかり備えているので、全方位をカバーする音楽性が浜田省吾さんにはある。
しかしそれを上回る特性が泥臭いメッセージ性である。
コンサートで必ずと言っていいほど演奏される「JBOY」という代表作に、その特徴が顕著に現れているが、浜田省吾さんの歌の主人公は多くの場合青年である。
それは、少年期を脱して青年になり、実質上は大人になっているにもかかわらず、現実では大人になりきれていない青年だ。
しかし、実のところ大人の男などどこにもいないのではないかと浜田省吾はつぶやいているように思える。
男はつねに大人になれない青年なのだと。
浜田省吾さんの歌に出てくる青年は、上昇志向と劣等感を常に抱え、だからこそ、いつもどこかでつまずいている。
仕事につまづき、オンナにつまづき、夢につまづき、そして自分自身につまずく。
その描写は説明的で泥臭く、しかしリアルだ。
そうやってつまずく青年を描きながら、決してその青年を甘やかさないのも浜田省吾さんの特徴だ。
青年が自分に欠けているものを対象化し、それを受け入れ、そして超えていかねばならないことを、浜田省吾さんは聞き手に投げかける。
甘い自分を身勝手に許し、周囲の受容を期待するような人生応援歌ではなく、厳しさを身をもって生き抜くことの素晴らしさとやるせなさを歌う、それが浜田省吾さんである。
おそらく、その世代の男たちの本質に突き刺さるのだ。
1980年代は、70年代から続く日本のポップスが大きく進化した時代だ。70年代は米国のフォークやロックの模倣がまだ黎明期で、本当の意味での日本のポピュラーミュージックになる直前であった。日本人ミュージシャンのライブでスタジアムを観客が埋め尽くすほどのポピュラリティが育つのが80年代である。
それは経済情勢も大きくシンクロしている。停滞していた日本経済がバブル景気と呼ばれる時代へと向かいつつあったし、90年代に入ってすぐにそれが崩壊し、また低成長期に入ってしまうわずかな急上昇を80年代の日本は経験した。その時に20歳前後であった男たちが多く耳にした日本のPOPミュージックが、『浜田省吾』なのである。
今聴くと少々気恥ずかしくも聴こえる浜田省吾さんの歌は、しかし、かなり真面目なのだ。生真面目ともいっていいくらい真っ向勝負の人生を突っ走って、そしてつまずく。
頑張ることが損することだと言わんばかりのリーマンショック以降世代には理解しにくい80年代のバブル世代は、周囲の栄枯盛衰を20歳代で嫌になるくらい見尽くしてきた世代でもある。
週末のタクシーに2時間も並んで、それでもまだ乗れないくらいのバカバカしい世間が垂れ流す放蕩を尽くしたこの世代の男たちは、それでも懸命に、仕事に友に女性に向き合っていた。そしてうまくいかずにつまずき、浜田省吾さんを聴いてきた、そんな世代だ。
頑張ることは美しい。つまずくことはかっこいい。彼は今も歌っている。
損して得取れ、などという先輩諸氏の古典的な叱咤激励が、浜田省吾さんの歌には今も流れているのである。その『得』とは、『誇り』と言い換えてもいいだろう。
説明的で、くどく、汗臭くても、浜田省吾さんの歌を聴く男たちがいる。
だから、ある世代にとって一度浜田省吾さんを耳にしたら、その歌が刻み込まれてしまうのだろう。
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