音楽書庫
すばらしきブルース&ゴスペルの世界
〜おすすめアルバムガイド〜
平田憲彦
信じがたいボトルネック・ゴスペルギター
Praise God I'm Satisfied
Blind Willie Johnson
【AmazonのCD情報】
コップに水を満たす。コップによって水の量を変えることで、コップをたたいたときの音に、音階の変化が生じる。小さな頃に、誰もが学校で目にした理科の実験です。しかし、これを理科の時間にやっていたことが音楽にとって不幸とも言える出来事で、言うまでもなく、これは音楽の時間にこそ行われなくてはならない体験なのです。
それは、水が音を生み出すという音楽の原体験とも言うべき出来事であるためで、それはたとえば“水”というだけのことであり、別に水でなくても、風に揺られてカサカサと鳴く木の葉でもいっこうに差し支えありません。
“音”というのは音楽体験を生きる上で極めつけに重要なものなのです。それを肉体的に体現化したのが、古くはタップ、近来ではヒップホップです。タップサウンドを耳にしたときに感じる、あの途方もないスウィング感、ヒップホップでしゃべくりが音楽に変容するあのスリリングな瞬間、これは音楽とはメロディや歌だけではないことを雄弁に物語る出来事です。
そして、ヒップホップで音楽に新たな地平を切り開いたのが、レコード盤を、音楽を再生するという目的以外の、つまり、レコード盤と針をこすりあわせて生み出す不測のサウンド、スクラッチサウンドです。
摩擦音を音楽に取り戻し、また昇華させたヒップホップは、音楽の原風景でもある音への憧憬を具現化した希有な存在に他なりません。
摩擦音を耳にし、その得体の知れない生命力あふれるサウンドの虜になってしまう私たちは、いまここで信じがたいサウンドを聴くことが出来るという奇跡的な事実に感謝することになります。それはいうまでもなく、ギターの弦と金属、あるいはガラスがこすれ生み出される摩擦音が艶やかなつぶやきに変容する瞬間であり、高音と低音との豊かで深い空間、その間隙を縫って立ち昇る、これほどの不似合いもなかろうというつぶれきったダミ声と共鳴するゴスペルサウンドなのです。
ブラインド・ウィリー・ジョンソン。
一度耳にしたら忘れることはないその記名性たっぷりの声、そして、信じがたいボトルネック・スライドギター。
ハウリン・ウルフやサニーボーイの声がどれほどダミ声と言っても、これほどのつぶれ具合はある意味、危ないとさえ言えるでしょう。のど、大丈夫ですかと、思わず聞いてみたくなるつぶれ具合。もうこれは歌と言うよりは、どちらかと言えば声、いや呻き、いやいや、叫び、なんと呼ぼうが、これがブラインド・ウィリー・ジョンソンのゴスペルサウンドなのです。
そのボーカルが、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの盲目をもって意味づけすることは容易ですが、そうではなく、歌い、そして演奏することが生きることであるブラインド・ウィリー・ジョンソンにとってそのボーカルは、むしろ自然な響きとなって私たちに届いてきます。
一聴して驚きを禁じ得ないその声は、やがて、こうでなくてはならないだろうとまで思わせる魅力を放ち、聴くほどにそのたぐいまれなボーカルの虜になってしまうのです。
歌われている内容は、もちろん、アメリカ南部特有のゴスペルである、イエス・キリストへの賛歌であり、また恋歌とも取れる情熱を持って歌い、叫び、うめく声でもあります。しばしばブルースとゴスペルは同じようなもので、歌詞だけが違うのだとの通説がありますが、実際、ブルースとゴスペルは同じではありません。歌詞だけが違うのでもありません。それは、このブラインド・ウィリー・ジョンソンを聞いていただけれはたちどころにわかることで、どれほどブラインド・ウィリー・ジョンソンのボーカルがだみ声でディープなフィーリングをたたえていても、その音楽はあくまで明るく、どこまでも無邪気さをまとった陽性に満ちています。
それはいうまでもなく、ゴスペルがそもそも肯定的音楽であることに由来し、別段ブルースが否定的音楽と言うわけではありませんが、ブルースは比較的“負”のエネルギーを全面開放した感情の発露からくる肯定であるのに対し、ゴスペルは全面的に“正”のエネルギーからくる肯定と幸福への希求が音楽的に昇華したものであることからくる違いなのです。
地の底まで落ちて行くかのような深くつぶれきったダミ声と、すすり泣くようなボトルネック・スライドギター・サウンドは、ともすればこれ以上ない暗さをまといかねませんが、ブラインド・ウィリー・ジョンソンのゴスペルは、ゴスペル本来の明るさと力強いボーカル、そして音階を飛び越え、声以上に声となる多彩なスライドギターサウンドによって驚くほどの輝きを放ち、私たちを幸福にしてくれます。
音階を飛び越え、声以上に声となる多彩なスライドギターサウンドとは果たして何か。それは、まさに音としての魅力と風の音に音階などないという意味で命ある何者かが生み出したサウンドに他ならず、決められていないことのすばらしさでもあります。本来音とはただひたすら音であり、それはまた同時に常に変容し再生しもする、生的事象でもあります。私たちはいつの頃からか“ド”の音は必ず“ド”であり、すこしでも音が上がるとシャープしたとそしりを受け、少しでも下がろうものならフラットしたと非難される、そんな生き方に慣れてしまっていますが、これはかなり作為的かつ学習的な出来事であり、“ド”の音の周辺には、じつは無数に“ド”に近い音が偏在しているということを忘れがちです。
西洋的な楽器のほとんどは、音階を厳格に規定しそれに乗っ取ってサウンドを生み出すことに心血を注ぎ、そこにこそ音楽があるかのような装いすらまとってきましたが、これは音楽の中の、ほんの一部分の世界であり、スライドギターサウンドはその西洋的音楽世界を一変させ、音楽が本来もつ豊かな生命力を鮮やかに現出させてくれるのです。
スライドギター・サウンドがこれほどまでに感動的なのは、なにもそのサウンドがもつ果てしない魅力のみにあるのではなく、むしろ、ポピュラリティでは西洋的楽器の代表とも言えるギターを使って、楽器の仕様上固定された音階装置である“フレット”に触れることなく、そこから空間を持って宙に浮く弦と、金属やガラスが触れ合いまたこすれあうことにより西洋的音楽世界を変容また再生させ、音の持つ生命力を現前化させているからに他なりません。
世界最高のスライドギター・プレイヤーの一人でもあるロバート・ジョンソンのスライドギターサウンドが音楽としての魅力を逸脱し、時としてエロティシズムあふれる生命力を解放するかのような振る舞いを見せるのは、むしろそのサウンドとしての音に起因することでもあるのです。
ブラインド・ウィリー・ジョンソン、そのサウンドは私たちを幻惑させ、その声のみならず、縦横無尽に駆けめぐり、紡ぎ出される高音弦に集中したスライドギターサウンドがもたらす深い魅力と肉感的な振る舞いによって音楽が音楽を越えることを身を持って示すゴスペル体験であり、音楽の起源が音に存し、また、自然に生き、生を求める限りない音楽体験に他ならないのです。
ゴスペルとボトルネック・スライドギターを同時体験できる希有なレコードというだけでなく、音に宿る魂を心ゆくまで堪能できる感動的な音楽として、必聴というほかないでしょう。
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補足
ここでご紹介しているアルバムはYazoo盤ですが、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの全作品はCBS盤で2枚組としてリリースされていますし、同じくCBS盤で、セレクトされた1枚ものにもなっていますので、苦労してYazoo盤を手に入れる必要はなかろうと思います。
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Praise God I'm Satisfied
Blind Willie Johnson
1. Jesus Make Up My Dying Bed
2. Dark Was The Night-Cold Was The Ground
3. Praise God I'm Satisfied
4. Bye and Bye I'm Goin' To See The King
5. You're Gonna Need Somebody On Your Bond
6. When The War Was On
7. God Moves On The Water
8. I Know His Blood Can Make Me Whole
9. God Don't Never Change
10. The Rain Don't Fall On Me
11. Nobody's Fault But Mine
12. Keep Your Lamp Trimmed And Burning
13. Jesus Is Coming Soon
14. Mother's Children Have A Hard Time
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