音楽書庫
音楽コラム
平田憲彦
春の海
正月に流れる有名な曲だが、宮城道雄さんという日本の作曲家が書いた曲だ。この曲は日本の古典楽曲だが、1929年作曲ということで、昭和時代の曲である。僕は長い間、この曲は江戸時代、あるいはそれよりももっと前の時代に生まれた曲だと思い込んでいた。
琴と尺八で奏でられるこの有名な曲は、そもそも尺八パートをフランス人のヴァイオリニストが演奏して欧米で知られるところとなり、日本でも有名になったということだ。
今聴くと、僕にはブルースやゴスペルのフィーリングを強く感じる。ちょうど琴の部分をギターで、尺八の部分をハーモニカで演奏すると、かなり似た感じになる。ブルースのスケールとはちょっと違うのでまったく同じにはならないが、醸し出す雰囲気は近いように思える。
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作曲した宮城道雄さんのことを僕はまったく知らなかったが、よく考えると、神戸市中央区にある三井住友銀行神戸営業部の巨大な建物の脇に、ひっそりと宮城さんの碑があったことをすっかり忘れていただけだった。僕はその碑のそばをよく歩いていた。その碑からは、常に『春の海』の旋律が流れている。
宮城さんの名を直接耳にしたのは、京都にあるブルースバーだった。京都をひとり旅していた僕は、ジャズやブルースの店をハシゴして歩いていたわけだが、一軒のブルースバーに入ってのんびり飲んでいると、流れている曲がブラインド・ウィリー・マクテルであることに気がついた。
随分と渋いブルースマンを掛けてるなと思って店の人に話しかけたところ、彼女のファイバリットがマクテルだという。まだ若い女性なのでそのギャップに驚きつつ、戦前ブルースの話が出来ると思って僕は喜んだ。戦前ブルースを聴きながら飲めるなんて、自宅しか無理だろうと思っていたのだ。
彼女はロバート・ジョンソンはあまりお好みではないようだったが、マクテルをはじめ多くの戦前ブルースの話に花が咲いた。ブラインド、そう、盲目のブルースマンの話である。
そうして僕は、彼女に『ブルースを演奏するの?』と聞いてみた。すると答えは意外にも『お琴とお三味線をやってます』とかえってきた。
彼女曰く、琴も三味線も、ブルースに通じるものがある、とのことだった。僕は今までそういう意識で聴いたことがなかったので興味深く話を聞いた。
そんな中で、彼女が習っている流派の源流が、宮城道雄さんだった。僕はその時、宮城さんの名前を聞いても何も連想できなかったが、気を利かせた彼女が『<春の海>を作曲した人です』を話してくれて、ようやくわずかに理解したのである。しかし、僕の理解は浅かった。
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宮城道雄さんは、1894年に神戸で生まれている。邦楽の世界では、かなり偉大な足跡を残した人のようで、今でも僕はウィキペディアを見ないと彼のことがよく分からないほど、無知この上ない。
8歳で失明したとの記述を読んで、ハッとしてしまった。ブラインド・ウィリー・マクテルをはじめ、ブルースマンの中には盲目のシンガー、ギタリストが多い。1956年、移動中の列車の昇降ドアから外へ出て、落下して亡くなっている。その話は、バーで彼女からも聞いていた。
盲目のブルースマンたちと宮城さんを強引に結びつける気はないが、それでも、『春の海』を聴いて、この美しい曲を盲目の音楽家が作ったのかと思うと、ブラインド・ウィリー・マクテルのあの憂いを帯びた声やギターを思い出し、気持ちが浄化されていく。
楽譜を読める読めないなどの話が雑談で出てくることが多いが、彼らにとっては読む以前のことだったはずだ。耳と、弦を弾く指、そして声が、音楽のすべてだったろう。理論も理屈も越えて、音楽が生まれ、そして消えていくその一瞬の旋律こそが、彼らにとっては音楽だったんだと思う。それこそが生きることだったのではないだろうか。音楽とは、技術や楽器ではなく、心で演奏するものだということを、彼ら盲目の表現者達は語っているように感じた。
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2014年の大晦日、紅白歌合戦を見ていた。僕は紅白がわりと好きなので楽しんで見ているのだが、紅白を毛嫌いしている人もいると聞く。この音楽イベントの何が気に入らないのか僕にはサッパリ分からないが、見るべき所、聴くべき要素は多い。
テレビの生放送で4時間近くの音楽イベントを、ここまでパーフェクトに運営できるその管理運営力は、おそらくイベント運営の究極ではないかと思える。そして出演するミュージシャン、シンガー達の鬼気迫る表現には、もう脱帽と言うしかない。
それは、若いアイドルシンガーから、ベテランの演歌シンガーまで、すべてに当てはまる。彼らを見ていると、それぞれに、自分が音楽で何を成すべきかを心から理解しているように感じる。これぞ、プロである。ジャンルや時代を超えた音楽表現のひとつの究極点が、この4時間に集約されている。
音楽とは、主義主張や芸術表現を越えて、自分の心を他者に届ける媒体なのではないか、と紅白を見て感じ、その翌日の元旦に聴いた『春の海』で、さらにその思いを強くした次第である。
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