音楽書庫
音楽コラム
平田憲彦
ユルくてカッコいいことは罪かもしれない、ストーンズ
8年ぶりというストーンズの来日公演。そんなに経ったかと思う反面、たった8年でまた来てくれたか、とも思う。
僕は初来日の1990年以来、毎回ストーンズの来日ライブには顔を出している。音楽を聴きに行くというよりは、彼らに会いにいっていると言う方が近いかもしれないけど。
初来日の時はまだインターネットがなくて、僕はバンド仲間と渋谷の109にあったチケットぴあに徹夜で並んだ。道玄坂の歩道はストーンズのチケットを求める連中で埋め尽くされてた。並んでいて、後ろを振り返って延々と続く行列の光景はよく覚えている。すごいなこれは、と。
無事チケットを入手出来た朝、僕たちは喫茶店に行って珈琲を飲みながら互いのチケットを見せ合い、宝物のように撫でまわした。たしか10日間くらいの、ほぼ連続公演だった。僕は初日ともう一日の、二日見に行った。
そのライブで買ったTシャツは今でも持っている。もうずいぶんくたびれてしまったが、大切にしている一枚だ。
待ちに待った初日、一曲目の「スタート・ミー・アップ」でかき鳴らされたキースのギターは、今でもハッキリと覚えている。感動のあまり泣いてしまった。スタンドの後ろの方で、ミックもキースも豆粒ほどにしか見えなかったし、PAも悪くて音は反響しまくっていたが、それでも初めて見るローリング・ストーンズに、心からしびれた。
1990年、僕は25歳だった。今回の来日公演の2014年、僕は49歳だ。
ということはつまり、あたり前だが、ストーンズの面々も24年の歳をとったわけだ。
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僕が今回ストーンズを見た3月6日の前週、2月27日に大阪城ホールでエリック・クラプトンのライブを見た。それが良すぎたこともあるのだろうし、キースの調子がイマイチだったということもあるかもしれないが、ストーンズの演奏はかなりフラフラだったように思う。
クラプトンの大阪城ホールは素晴らしい音響だったが、東京ドームのストーンズのPAはお世辞にも褒められたものではなく、とても不安定かつアンバランスだった。PAスタッフも頑張ったんだろうが、やはり仕事しては残念な仕上がりだったと僕は感じている。
2013年の後半からこのストーンズまで、ポール・マッカートニー(大阪京セラドーム)、クラプトン(大阪城ホール)、ストーンズ(東京ドーム)と3つ連続してビッグネームのスタジアムライブを見たことになる。
そう考えると、今回のストーンズは、スタジアムライブでのサウンドクオリティは最も低かったと言わざるを得ない。
キースのギターの音量が奇妙に大きくなったり小さくなったり、ベースの音量が弱すぎたり。音の輪郭もぼやけていた。ポールやクラプトンがあれほど素晴らしい音づくりができているので、スタジアムという環境ではなく、PAのテクニックが原因だと思う。ライブは一期一会なのでいろんなことがあって当然だが、ちょっと残念だった。
演奏面でもキースがとりわけ危なっかしくて、ああ調子悪いんだろうなあと一聴してわかるくらい。ギミーシェルターはハラハラしながら見てた。イントロもソロも、ほとんどまともに弾けてない。
もちろん人間だからそういう日もあるだろうが、なにしろ僕はキースがヒーローなので、心配になってしまうくらいだったのだ。
しかしそれでも、さすがキースは決めるところは完璧に決めるわけである。
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」や「スタート・ミー・アップ」のイントロは完璧で、「リスペクタブル」でのギターソロの出だしはキースにしかなし得ないだろうと思わせる鬼気迫る迫力があった。
ヘヴィでグルーヴィーにしてブルージーなリフ。これこそストーンズの真髄なんだと思わせる凄みに圧倒された。
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「リスペクタブル」は、そう、布袋寅泰さんがゲスト出演したアレである。そりゃストーンズと共演できて本人は嬉しいだろうが、残念ながら僕はちっとも嬉しくなかった。人物その人に好意も悪意も興味も何もないけど、ゲストならストーンズのグルーヴを引き立てるギターを弾くべきだと僕なら思うが、どうやら彼にはそういう考えはなかったようだ。
クラプトンだったら僕は嬉しかっただろう。クラプトンはそういうギターを弾く。ゲストで入っても、バンドのグルーヴを引き立てつつ自分の存在感もアピールする。そして異種交流のマジックが生まれる。クラプトンはそういう奥ゆかしさと図々しさが同居できている。
今回の布袋さんは、米国でゲスト出演したレディガガと同じだったかな、僕が思うに。まあ、いいんだけど。ショーだし。
まったくの余談だが、ストーンズのライブにゲストで呼ぶ日本人ミュージシャンとして僕が最適だと思うのは、チャーさん、鮎川誠さんである。
そんなことで、無邪気に気ままにギターを弾く布袋さんを含めたギターソロバトルに突入した際、ロニーは相変わらずのマイペースだったが、キースはすごかった。ギターってのはこう弾くんだよ、と言わんばかりの堂々とした出だしは、もう風格を通り越して哲学ですらあったと思う。
いわゆる、ジョン・リー・フッカーやライトニン、マディが出す「自分だけのサウンド」と同じように、個性際立つキースのギターサウンドだった。これこれ、これがキースだ、と感動するギター。
この境地にたどり着いたら、もう調子が良かろうが悪かろうが、音そのものが人生になるわけである。これが僕の目指す音でもある。
キース、さすが、あっぱれ。凄かった。
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調子のイマイチなキース、いつものゆるゆるのギターを楽しそうに弾くロニー。しかし最も素晴らしかったのは、ミックだった。本当にミックは凄かった。ボーカル、パフォーマンス、サービス、これを完璧と言わずして何を完璧というのだろう。
ロック、エンターテインメント、ライブパフォーマンス、そういったショータイムの究極だと思う。ビッグネームであったとしても、これは誰にでもできるというものじゃない。
これほどのソウルフルでロックンロール魂あふれるボーカルは滅多に聴けないだろうし、イマイチなPAをも凌駕してしまうパッションに満ちていた。
ミック、あなたは凄かった。
今回の日本公演は、今まで僕が見てきたストーンズの来日公演の中でも、ミック・ジャガーの本質を最も印象付けたツアーかもしれない。
同じ曲を何度も何年も繰り返して歌いながら、このテンション、この新鮮味。もう奇跡としかいいようがない。
あなたには、飽きる、ということがないのだろうか。そう、ないんだろう、ミックは全身全霊でストーンズを楽しみ、仕事して、そして音楽の深い部分にコミットしていたと思う。さらに、観客とのコミュニケーションも引っ張って、もう神業とはこのことだ。
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僕は今回のストーンズのライブで、最も感銘を受けたのがミックだった。
キースは当然ヒーローなので、僕にとっては批評を超えた存在、生きてるだけでありがとう、という人なので、もう生キースを見れただけで満足。しかしやっぱりライブに来てるんだから、ハイクオリティの音楽を聴きたい。それを今回叶えてくれたのは、僕にとってはミック・ジャガーだった。
ライブをやるならここまでやらなきゃ。という至上の見本とも言える素晴らしい内容。
しかし、ところで、キースはどうなったんだろう。
ほんとに心配。
なんてことを考えさせてくれるくらい、ストーンズはゆるゆるで、ズルズルで、ルーズで、ロックンロールだった。
こんな体たらくなのに、こんなにカッコいいってアリなんだろうか。
これもまた、ブルースの進化形のひとつなのかもしれない。
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