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音楽コラム
平田憲彦
クラプトンはホワイトルームを演らなかった
エリック・クラプトンの名を聞くたびに、僕たちはある種の気の緩みを感じてしまうのは、なぜだろう。
初来日したのが1974年、今年2014年には来日40周年になるエリック・クラプトンを、僕たちは気安く『クラプトン』と呼ぶ。誰もエリックとは呼ばない。ジョン・レノンはジョン、ポール・マッカートニーはポール、ミックもキースも、僕たちが大好きな英国人ロックミュージシャンは、日本ではほとんどファーストネームで呼ばれる。
しかし、エリック・クラプトンは『クラプトン』だ。
そういえば、ジェフ・ベックは『ベック』、ジミー・ペイジは、僕はジミーと呼ぶが、多くの人は『ペイジ』と呼ぶ。この関連に何か意味でもあるのだろうか。考えられるとすれば、日本でカテゴライズされている『三大ギタリスト』はみなファミリーネームで呼ばれている、ということになる。
大して深い意味はないのだろうが、なにか気になる。なぜ『エリック』ではなく『クラプトン』になったのだろう。
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僕が初めてクラプトンの演奏を聴いたのは、1978年ごろ、中学2年の時だ。ビートルズのホワイトアルバムに収録されている『While My Guitar Gently Weeps』だった。そのころ僕は、クリームもレインボーコンサートも知らなくて、クラプトンのこともあまりよく分かってなかった。
大学2年の春、住んでいたアパートの隣室に神戸から友人が引っ越してきて、彼に初めて聴かせてもらったのがジェフ・ベック、ストーンズで、僕は19歳だった。その頃、僕は大いにブルースにはまっていて、そのまま自然とクラプトンを聴くようになった。
かなり気に入った僕は、クラプトンのアルバムを順番に聴いていった。中でもお気に入りだったのが、『E.C. Was Here』『Just One Night』『There's One in Every Crowd』、もちろん『461 Ocean Boulevard』も大好きだし、クリーム時代の『Crossroads』も素晴らしい。
たぶん、クラプトンのほとんどのアルバムをもっていると思うが、いまでもそれらのアルバムを好んで聴く。
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2014年2月26日、僕はようやく初めてクラプトンのライブに行った。大阪城ホールでやったそのライブは、実に素晴らしいものだった。
名曲と言われ、代表曲とも言われている『White Room』『Sunshine of Your Love』を演奏せず、『Layla』はあの有名なイントロのエレクトリックバージョンではなく、アンプラグドでやったアコースティックバージョンを女性コーラス付きで演奏した。
そして意外でもあり、おもしろくもあったのが、メンバーのキーボード担当であるポール・キャラックが本編で2曲のリードボーカルを取り、さらに、アンコール唯一の曲もキャラックがリードボーカル、クラプトンはバックに回って『ひとりのギタリスト』としての演奏に徹したことだ。
今回の来日は、次のパーソネルである。
エリック・クラプトン (G, Vo)
ポール・キャラック (Key, Vo)
クリス・ステイントン (Key)
ネイザン・イースト (B, Vo)
スティーヴ・ガッド (Dr)
※コーラス
ミッシェル・ジョン (Chor)
シャロン・ホワイト (Chor)
つまり、ギターはクラプトンだけである。キーボードは、一台がピアノサウンド、もう一台がオルガンサウンドだ。リズム隊は、鉄壁にして安定感とバランスがずば抜けたフュージョン畑の二人。そして女性コーラスを二人。
この編成、クラプトンがいまどういうサウンドを指向しているかがはっきりと出ている。
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50年のキャリアの中でクラプトンがたどってきた道のりを、僕たち日本のファンはかなり詳細なことまで知っている。彼の音楽をずっと聴き続けてきて、僕たちは一喜一憂してきた。その分岐点とは、『ブルース』である。
クラプトンがブルースに接近すると喜び、ブルースから離れると落胆した。クラプトン自身もそうだったのではないかと思う。
ショービジネスの世界で生きていくためには、自分のやりたいことだけをする自由はない。僕たちがクラプトンをリスペクトするのは、彼は自分の手で自由を手に入れる努力を続け、そしてそれを実現したからだ。
それは、『好きなときに好きなだけブルースを演奏する自由』である。アマチュアミュージシャンなら、そんなことは当たり前だろうが、プロのミュージシャンで、しかもロック畑でビッグセールスを持つミュージシャンがその自由を手に入れたということは、ロックが誕生して以来、クラプトンしかいないかもしれない。
ブルースアルバムを出したいと思い続け、それがなかなか叶わなかったという。クラプトンでさえもそうだったことに、僕たちは驚く。アルバム1枚作るのに数百万から1千万以上のコストがかかるという事実を考えれば、クラプトンといえども、好き勝手は許されなかったということだろう。
しかし彼は、『アンプラグド』という『ややブルースが多めに選曲された』アルバムを世界的に大ヒットさせ、その成功の理由である『アコースティックでブルージー』という要素を武器にレコード会社と交渉し、ついに全曲ブルースカバーで占められた『From The Cradle』をリリースすることに成功する。『ゆりかごから』というタイトルが泣かせる。
そして、クラプトン自身が最大限にリスペクトするロバート・ジョンソンの曲だけをカバーしたアルバムを2枚も出す。
ここでおそらく、クラプトンは本当の自由を手にしたのではないかと僕は勝手に考えている。
ロバジョンのカバーアルバムを出してからのクラプトンは、アルバム作りも余裕が出た。それはきっと、ライブでもそうなのではないかと思う。
僕が今回見たライブは、18曲中9曲がブルース。残りの曲もブルースフィーリングが濃厚な曲が多かった。
『Wonderful Tonight 』、『Tears in Heaven 』、『Pretending』、この3曲くらいじゃないだろうか、いわゆるブルースから遠い楽曲は。
ロバジョンの『Little Queen of Spades』には驚いた。こんな渋い選曲をやるとは。
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さて、今回はライブの良さを改めて思い知った日にもなった。つまり、ライブは聴くのと見るのとでは大違いということだ。
スポーツを生で観戦する醍醐味は、『周辺を同時に見ることが出来る』良さにある。たとえば野球であれば、テレビで見ているとどうしてもピッチャーとバッターとの関係性に画面が固定される。打ったら打ったで、ボールが飛んだ方向にカメラは移動する。つまり、カメラが写していない場所で何が起きているかを知ることが出来ない。スタジアムで野球を見る楽しみとは、カメラが追いかけない部分を見ることが出来るという点にある。
ピッチャーが投げた時、バッターが空振りしたとき、レフトはどういう動きをとったか、ライトはどうだったか。そこにこそ、野球のおもしろさがある。
ライブもまったくそうである。今回は特に、クラプトンは3曲もバックギタリストに徹したので、リードボーカルのポール・キャラックが歌っているとき、どうしてもスポットライトはキャラックに向けられる。しかし、その時にクラプトンはどういう動きを取っているのかが、ライブを見に行っているとよくわかる。
また、クラプトン自身がリードボーカルの曲でも、ソロを取るときにはどういう立ち位置に移動するのか、フットペダルを踏むタイミング、メンバーとのアイコンタクトはどうしているのか、など、とても多くの事が理解出来る。
そして、今回僕は凄いことに気がついてしまったのだ。いや、もうみんな知っているのかもしれない。
クラプトンは、ソロを弾くときはほとんど2弦と3弦しか使わないのだ。たまに4弦も使っているが、おそらくソロの音の大半は2弦と3弦で弾かれている。そして、スクイーズ奏法だけではなく、スライドインやハンマリングを多用し、それらがものすごいスピードで複合技となっている。
また、ソロはほとんどが12から16フレットあたりを中心に弾かれている。ローポジションでソロを弾くことはほとんどないということもわかった。
ソロで1弦を使わないのは、僕の想像ではきっと音がやせているからだろうと思う。そのかわり、1弦のポジションで出しやすい音をあえて2弦や3弦で弾く。そのためにどうしてもフレットポジションは高くなる。そして、左手のフレット移動も激しくなる。それはある意味でリスクである。
ではなぜそういうリスクを張ってまでハイポジションでソロを弾くのか。1弦を使えば、12フレットあたりでほとんどの音を賄えるはずだ。
それはきっと、音の太さにあると僕は思う。クラプトンのソロは、ものすごく音が太い。そしてとても艶がある。その音を出すには、1弦では無理なのだ。ギターを弾く際、もっとも美味しい音を出せるのが3弦である。ただ、3弦で高い音を出そうと思えばどうしてもフレットは高くなる。しかし、3弦でしか出せない太く艶のある音が出る。そして、使う弦を絞り込んでいることで、音の太さと艶を統一でき、サウンドの世界観をまとめることが出来る。
※
僕にとってのギターヒーローは、しかしクラプトンではない。大好きなギタリストだし、尊敬するギタリストでもあるが、ヒーローじゃない。それは、等身大だからだろうと思っている。それだけ神がかり的じゃないし、努力の跡が見えるギタリストだからだろう。僕たち一般人に近いといえば言い過ぎだろうが、とても人間的に感じるわけだ。
ロバジョンの『Stones in My Passway』を1週間毎日練習して、ようやく弾けるようになった、なんてことを平然と言ってのける普通さがある。そう、今も彼はアマチュアリズムを残している。今もまだ、クラプトンはひとりのブルースファンであり、天才ブルースマンをあがめる無邪気な少年なのだ。そこがたぶん、日本人にも伝わるのではないかと僕は感じている。
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