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音楽コラム
平田憲彦
ポールは、ビートルズだった
僕は1990年のポール初来日ツアーを見ている。それから考えると、今日、2013年11月12日に大阪で23年ぶりにポールのライブを見たということになり、そりゃ僕もポールも歳を取ったはずだ。
1990年のときは、リンダと一緒にステージに立っていた。
1990年のポール来日。三塁側スタンドから見たが、あまり良いライブじゃなかったという記憶がある。ショーマンシップは旺盛だったが、バンドサウンドが派手で、ロックスター気取りに見えてしまった。実際はどうだったのかわからないが、音楽のライブというよりは、なんだかサーカスのようだった。
1990年、その頃僕はまだ25歳で、英国にも行ったことがなかった。
1990年のライブがあまり良くなく、今回の2013年ライブが良かったというのは、僕の感想だけでなく、いろんなメディアでも同じ論調のようだし、少し検索しても同じような感想のブログはあれこれと出てくる。
ライブは、いろいろな要因が交差してそのクオリティが決まる。
まずは、演奏者の心理状態と健康である。まずここが良くないと、演奏も良くならない。健康状態は、だましだましでも出来るが、心理状態はそういうわけにはいかない。
たとえば、ステージ直前でメンバーが喧嘩したり、イラつくことがあったりしたら、その日のステージを良くすることはかなり難しい。また、演奏中でも、マイクの状態やサウンドの状況がアンバランスになると、これまたステージは微妙なものになる。
次に、PAといわれるサウンド調整がある。これが何よりも重要で、そう、出演者の体調よりもPAのほうが大切だと言ってもいいくらい、音響状態は大切だ。ここがダメだと、いくら演奏が良くても観客には良い音楽には聞こえない。演奏者にとっても、自分が出した音が自分にもちゃんと聞こえるようにするための『モニタ』と呼ばれる音響装置が良くないと、演奏も良くならない。
演奏されているサウンドを、演奏者にとっても、観客にとっても、バランス良く聴きやすくするのがPAの役割なのだ。
そして重要なのが、観客である。とりわけ日本人はオトナシク聞き入る傾向があるが、演奏者がどういう状況で気分良く演奏できるかは、観客とのコミュニケーションによっても大きく変化する。演奏者にまったく関心がない観客たちを、上手く乗せつつ音楽も良くしていく才能のあるミュージシャンもいることはいるが、なかなか少ない。
こういったいろんな要因が重なって、ライブ演奏とそのコンサートは、クオリティが決まってしまう。
そんなことを考えるに、今回の2013年ポール・マッカートニーのライブは素晴らしかった。
全てが完璧だったと言って良いのではないかと僕は思う。
見に行った人それぞれに良かった点は異なるだろうが、僕はなにより、マーティンD28一本で弾き語りした『ブラックバード』に深く心を打たれた。京セラドームというあの巨大会場で、たった一人でアコギを弾き、歌う、そのサウンドが、まるで小さなライブハウスで聞こえるようなリアリティあるサウンドで聴くことが出来た。
アコギをエレクトリック処理してあそこまで生音に近いサウンドを出すというのは、小さなライブハウスでも難しい。それをあのドームで実現してしまったポールのPAスタッフは驚くべきテクニックだと思う。
コンサート自体は、ジョージが亡くなってからレパートリーに入った『サムシング』をはじめ、ここ何年かでのライブでおなじみの構成だから、セットリストそのものに驚くことはなかったが、やっぱりサウンドは体験しないとわからない。
バンド演奏も、巨大会場を感じさせないタイトでまとまったサウンドで、PAの素晴らしさも相まって力強く伸びやかだった。
ボーカルもコーラスも演奏も、なにもかもが最高レベルのコンサートだったと思う。
おそらく、MTVアンプラグドがきっかけになったアコースティックサウンドのリバイバルや、リンダ、ジョージが亡くなったこと、そして、ジョンが残した楽曲にオーバーダビングして完成させたビートルズの新曲を2曲リリースしたこと、そんなことがこの23年間に起こり、ポールのライブに向かう考えも変化してきたのではないか。
ビートルズの実質的ラストアルバム『アビイ・ロード』に収録されている最後のナンバー『ジ・エンド』のインストからコンサートはスタートし、ポールが考えるビートルズを代表する楽曲と、ソロ時代の楽曲を演奏し、最後に『アビイ・ロード』のメドレーで締めて『ジ・エンド』で終わる。
ポールは、ビートルズでやろうとして出来なかったライブ演奏を、今実践しようとしているかのような気迫があった。バンドの楽器編成は、まさに『ゲットバック・セッション』の時と同じである。
そして、ジョンの楽曲、ジョージの楽曲を取り上げて歌うことは、ポールにとっての追悼であることは間違いないが、先に逝ってしまったメンバーに対する贖罪にも感じる。
ポールは、いまライブを行うことでビートルズにケリを付けようとしているのかもしれない。思い残すことなくビートルズを演奏し、後世へと引き渡していくために。
『もうビートルズはいないけど、僕からビートルズを感じて欲しい。僕はあと何年かしたらジョンとジョージのところへ行くけど、今僕の歌を聴いて、ビートルズの一部でも感じてくれたらうれしいな。僕は本物のビートルなんだから。そして、ビートルズを忘れないでいてほしい。いま聴いてるみんなが、みんなの子供たちに伝えて欲しい。ビートルズを聴いたよ、って』
そんな声が聞こえてくるようなライブだった。
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