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美術展記事
平田憲彦
バウハウス・デッサウ展
BAUHAUS experience, dessau
東京藝術大学大学美術館
2008年4月26日~7月21日
バウハウス。その名前を耳にして動揺しないデザイナーはいないのではないかと思えるほど、どこか謎めき、まためざすべき地点のひとつであるような、あこがれとも幻想ともつかぬ奇妙な輝きを背負った固有名詞。
私がはじめてバウハウスを知ったのは、1984年頃のことだ。大学に入って間もない頃に出た一冊の雑誌で、バウハウスの名を知った。
私は、18歳になったばかりだった。
その雑誌は『File』といって、たしか4号ほどで廃刊になったマイナーな雑誌だった。しかし、その第二号だったと思うが、『File』に掲載されていたコンテンツは驚異的なものだった。
巻頭特集はサイトウマコトのロングインタビュー。ロング、というのは例えではなく、何頁にも渡ってびっしりと文字が張り巡らされたそのインタビューで、サイトウマコトはあふれんばかりの自信と、誰にも文句は言わせない的な、圧倒的とも言える唯我独尊ぶりを示しつつ、類い希なグラフィックデザインとともに新しい価値観を誇示していた。
わたしはそのインタビューで頭がクラクラしつつ、何度も何度も読み返した。
第2特集が、グラフィックデザイナーに聞いた『自分の1冊の書物』であった。
そこに登場していたデザイナーは、私が尊敬する人たちばかりだが、当時はまだ知らない人が多かった。
田中一光、永井一正、細谷巌、中島祥文、井上嗣也、葛西薫、杉浦康平、福田繁雄、その他あげていけばきりがないほどそうそうたる名前が連なり、自分の人生に影響を与えた一冊の本を紹介していた。
もちろん、大半がデザイン関係の書物である。
サイトウマコトは、デュシャンのコンプリートワークス第2版を挙げていた。当時、古書店でも10万はくだらない貴重本で入手できず、私は大学の図書館で何度も見ながら、そのすばらしさに驚嘆した。(余談だが、その後私は、念願叶って第3版を入手できた。ここに紹介しているのが、それだ。)
私は、それらのブックリストを長めながら、いつか全てを手に入れたい、などと夢見た。
その中で、亀倉雄策が挙げていた一冊の書物がバウハウスだった。
それは、ハーバート・バイヤーがブックデザインをしたバウハウス作品集で、勝美勝の弟子と名乗る偽学生に貸し出して盗難にあったという逸話も紹介されていた。
そう、つまり、亀倉雄策は、その大切な本を盗まれてしまったというのである。
その書物の現物を、未だに私も見たことはない。ただ、数年前に出た『アイデア』の別冊で、その本が紹介されていたので、日本のどこかにはあるのだろう。
私にとって、バウハウスとは、そのように亀倉雄策の記憶と繋がりつつ、盗むまでしてでも手に入れる価値のある書物とともに、なかば伝説となった。
その後、決定的となったのは、パウル・クレー、ワシリー・カンディンスキーを知ってからだ。
クレーは、『造形思考』という書物に残されているように、緻密で理論的講義をしつつ、感情を絵画化する。カンディンスキーもしかり、『点・線・面』で、後世に残る絵画教育の実践を遺した。
今、この現代でバウハウスにインスピレーションを得たデザインを見つけることはたやすい。バウハウスは、絵画で言うとセザンヌのように、現代美術でいうとデュシャンのように、ロックで言うとエルヴィスのように、クラシックでいうとバッハのように、今も血となり肉となって、我々が目にする多くのデザインにその命をつなぎ続けている。
2008年最大のデザインイベントは、間違いなくこの『バウハウス展』であると思う。
この展覧会は、ドイツ、デッサウ市にあるバウハウス・デッサウ財団所蔵のコレクションから日本初公開となる146点を含んだ241点を中心に、国内外から集められた260点におよぶ貴重な製品と資料によって構成されている。
これほどの規模で、ドイツ国外で紹介されるのは、世界で初の試みとのことだ。
デザイナーにとって、バウハウスはひとつの単語だが、認識や思いは各人それぞれだろう。
であればこそ、このような大規模な展覧会で、バウハウスをもう一度とらえ直してみることはとても意義のあることだと思う。
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