美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
病める子
ムンク展を見た。神戸の県立美術館で開催されている『ムンク展』である。
ムンクは、『叫び』がやたらと有名で、僕はあまりムンクのことをよく知らなかった。
今回の回顧展では、その『叫び』は来ていない。それ以外の作品が来ている、といってもいいくらい、100点を超える規模の作品が、多くの会場を埋め尽くしていた。
良い展覧会というものを、僕はこう考えている。
ひとつの作品が自分に語りかけてくるか、どうか。
ひとつ、でいいと思っている。
そういう意味では、この『ムンク展』は、とても良い展覧会だった。
『病める子』という作品があった。
会場の中程に、比較的大きめのキャンバスに油彩で表現されていたその作品は、周囲の作品と大きく際だって異なった印象を放っていた。
表現の手法がまるで違っているのである。
荒削り、という言い方がピッタリの、ナイフで削られた部分の多い、しかし、明るい色調で悲惨な光景が描かれていた。
ベッドに腰掛けた娘と、その手を握りしめて顔が見えないくらいにうなだれている大人の女性。おそらく、その女性は母親で、ベッドの娘は実の娘だろう。
なぜそう思うかというと、ベッドの娘が女性に投げかける視線は、透明な慈愛に満ちているからであり、うなだれている女性は、まるで謝罪するかのような申し訳なさが溢れているからだ。
おそらく、治ることのない病に冒された我が子を看病する母と、その母を見つめる娘、というシーンである。
その絵には、解説はなかった。
単に、『病める子』というタイトルだけが掲示されていた。
気になりつつ、別の展示部屋に映り、僕はもう一枚の『病める子』に出会った。
それは、上記の作品と同じ構図だが、左右が逆になっていた。そして、表現手法がアクアチントによる版画になっていた。
ここで僕は、もしやムンクは、この主題を多く残しているのではないかと思って、図録を開いたのである。
すると、やはり書かれていた。
この絵に描かれた主題は、15歳で結核によって亡くなったムンクの姉ということだった。
ムンクはこの主題を20歳を越えて描き始め、その後およそ40年にわたって描き続けたという。
ひとつの主題を40年も描き続けられるその魂に、わたしはまず感動した。
そして、それ以上に、描かれた絵がすばらしい。
15歳の娘にとっては、病そのものがすでに自分の人生であり、落ち込む母親の悲嘆はもはや自分とは関係のない感情ではなかったか。
母に向けられたその透明すぎるといえば透明なその目線が、ありのままを受け入れる魂を表現しているようで、見ているこちらが無になっていく錯覚に陥る。
この、何度も繰り返し描かれた『病める子』の中から2点を同時に見ることができたのは、とても幸運なことのように思われた。
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