美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
エリオット・アーウィット・ファースト・キッス
いつものバーで飲んでいると、「今度『パーフェクト』をやろうよ」という声がした。
その1曲だけのための一時的ユニットでやろうということらしい。
言い出したのはキース・リチャーズ好きのフクッチ。
キースつながりで仲良くなったので、飲むときはいつもストーンズの話ばかりだが、パーフェクトをやりたいとは意外な選曲だった。
パーフェクト。それはフェアグラウンド・アトラクションのデビュー曲で、当時の英国ナンバーワンヒットを記録した曲だ。
1988年にデビューし、素晴らしいアルバムを発表した英国スコットランド出身のバンドは、エディ・リーダーという魅力的な女性リードボーカルと、カントリーテイスト満点のギタリスト、メキシコのギタロンというベースパート、そしてドラムの4人編成だった。
エディのボーカルは小粋だが芯があり、ソウルフルで、さらにジャズテイストも持つスウィンギーな魅力があった。アルバムを1枚だけ残して、風のように去っていったフェアーグラウンド・アトラクション。その解散を、おそらく誰もが惜しんだことだろう。
アルバムは『The First of a Million Kisses』と名付けられ、エリオット・アーウィットの素晴らしい写真がジャケットに使われた印象深い作品だった。アーウィットはいうまでもなくマグナムのメンバーで、傑作を数多く残している歴史に残る写真家である。
アーウィットはマグナムの中でもユーモアあふれる作品が多いことでも知られ、モノクロームに描かれたその世界に市井の人々の喜びや哀しみをひっそりと忍ばせるような作風が多くの人々に支持されてきた。日本でもファンが多い。
そのアーウィットの作品の中でも、かなり有名な『キス』の写真を採用しているが、あろうことか大胆にトリミングし、まったく別物に変容させてしまったそのアートディレクションは、1988年当時の僕には強烈なインパクトがあった。
基本的に、アート作品はオリジナルをトリミングしてなならず、そのままの比率で使用しなければならない。それはきっと今でもそうだろうし、それがアートを別の作品に流用する際の不文律としてまかり通ってきていた。それをあっさりとトリミングしてしまったその手際に、当時デザイナー見習いとして社会人になったばかりの僕や、僕の同僚デザイナーたちには驚きとして映ったのだ。
そして同時に息をのんだのは、トリミングされてもなお、アーウィットの作品に宿る本質がまったく揺るがないということである。素晴らしい作品は、トリミングされてもその強さが変わることはなく、むしろより一層その本質が浮かび上がってくるということを、目の当たりにした。
当時僕が在籍していた会社は広告代理店で、僕は制作部にいた。その部屋では15人くらいのデザイナーやコピーライターが仕事をしていたが、ラジカセが置いてあって常に何かがかかっていた。自分の好きな音楽を、カセットやCDで自由にかけても良いというありがたい慣習があって、僕もよくブルースやロックをかけていたが、このフェアーグラウンド・アトラクションのアルバムは、僕と同期のコピーライターが好んでかけていた。
『The First of a Million Kisses』は、日本では『ファースト・キッス』と命名され、皆がそう呼んでいた。
「ファースト・キッスを聴いた?」
「聴いたよ、すっごくいいよね」
という会話があたりまえのように、フェアーグラウンド・アトラクションは大いに流行っていた。
1988年。日本はバブル崩壊の前夜である。
今思えば、このアルバムが全英チャート1位をとり、しかもシングル『パーフェクト』も1位というのは、ちょっと信じがたいことだ。
全編がアコースティックで、その音楽的基調はブルース、フォーク、カントリー。そしてドラムもブラシワークが多く、ジャズのテイストが濃い。1988年と言えば、U2やガンズンローゼズ、ペットショップボーイズなどがチャートを賑わしていた頃である。
表現作品は時代を超える。古いブルースやジャズが今でも聴き継がれているように、ロックやポップスもそうなのだ。
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