美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
コダックへ、愛をこめて
2012年1月、コダックが米国で破産法を申請したニュースは、僕がいま仕事をしているデザインや編集の業界には、かなりの衝撃をもって広まった。
別途連載中である僕の父の欧州での写真は、どれもコダックのエクタクロームというフィルムで撮られている。当時は1967年、コダックが世界市場を圧倒していた頃だ。
僕は1988年に大学を卒業し、東京にある小さな広告代理店に入社した。そこでグラフィックデザイナーとして修業時代を送ったわけだが、その会社は子会社として写真スタジオを併設していて、よくそこで撮影を行った。3人の所属カメラマンがいて、どなたも僕より20歳も30歳も年長で、たくさんのことを教わった。
しかし、僕が写真についての多くを学んだのは、東京時代で最後に勤務していた会社である。当時は1995年、僕は30歳だった。そこでも写真スタジオを併設していたが、僕は仕事として日本コダックの広告を担当させてもらっていた。
日本コダックは、東京のさる中堅広告代理店に発注し、そこから僕が勤務していた広告会社に外注していたのである。僕が担当していたのは、情報紙がメインだった。プロカメラマンに向けて発行している月刊情報紙で、プロが役に立つ撮影のノウハウをコンパクトに掲載する内容だった。僕がアートディレクションとデザインをして、同僚の編集者が編集行程と文章制作の管理をして、掲載写真は外部のカメラマンに依頼し、高品質で仕事の役に立つ専門紙というコンセプトの媒体だった。
そこで僕は、この業界に入って初めて写真フィルムの本物の知識を教わったのである。
コダックの仕事だったので、扱うフィルムはもちろんコダック製だ。EPP、EPR、EPNといった主力商品や、富士フイルムのベルビア、プロビアに対抗して生まれたパンサーやE100Sといった新商品まで、幅広いフィルム商品を使って、美術的観点と技術的観点が合致した写真を撮影していった。
コダックの担当の人たちや、間に入っていた広告代理店のスタッフたちは、とても紳士で、しかも非常に優秀なプロフェッショナルだった。仕事の本質を鋭く理解し、専門家には専門家の自由を与えるという包容力も有していた。
なので、コダックの仕事はとても楽しかったし、充実していた。
当時僕が勤めていた会社の社長は、社員に常にこう言っていた。『自分よりも優秀な人と仕事しなさい』と。
僕にとってコダックの仕事は、まさにそれを体現したものだった。コダックで一緒に仕事をさせてもらった人々は、みな僕よりも優秀だった。それは仕事というだけではなく、人としても尊敬できる、素晴らしい人たちばかりだった。
しかし、そういう幸福な仕事は長く続くものではないのか、米国コダックの事業方針が新しくなって広告代理店が変わることになってしまい、我々チームは解散することになったのだ。
当時は、グラフィックデザインや広告制作が、手作業の版下からMacを中心としたデジタルに移行しようとしている初期段階にあった。そういうことも刺激的で、仕事に没頭し、まさに寝る間も惜しんで仕事をしていたのだ。気がついたら終電が無くなっていて、会社の地下で段ボール箱を広げて寝たということも、何度もあった。
グラフィックデザインのことも多く学んだし、共に仕事をした編集者からは、文章のことや、編集のこと、そして仕事の進め方など、数え切れないくらいの教えを受けた。広告しかデザインした事のない僕には、編集に関わるデザインの仕事はまったく初めての体験だったのだ。随分と叱られたなあと、懐かしく思い出す。すべてが僕にとって栄養だった。
コダックはもちろん世界を代表するメーカーだったし、ハイステイタスなブランドでもあったので、コダックの情報紙をアートディレクションし、デザインもさせてもらったことは、当時も、そして今でも僕の誇りである。
コダックという名前、コトバは、僕にとっては単なるフィルムメーカーの社名ではない。大げさに言えば、自分自身の中にある一部分と言い換えても良いくらいの、大切なアイコンだ。
ほんとうに、愛すべきアイコンなのだ。アップルやギブソンのように。
しかし、こうやってノスタルジーに浸り、昔は良かったと思われてしまったら、実はもう企業は終わりなのだ。
人の命には限りがある。今まで死を免れた人は一人もいない。全ての人は、必ずいつか死を迎える。
だからこそ、人の人生は思い出となって残り、それは永遠に生き続ける大切な魂になる。
しかし企業は違う。
企業は理論的には永遠に生き続けることが出来る。ただし、それには一つだけ条件があるのだ。
顧客に必要とされること。顧客の希望を叶える事が出来るということが、生き続ける条件だ。
顧客に必要とされなくなった企業は、もはや存在する価値を認めてもらえない。
舞台を降りるしかないのである。
どれほどコダックが輝かしいブランドだったとしても、一時は世界のほとんどのシェアを持っていたとしても、それは永遠ではない。
顧客の希望は常に変化しているし、それを叶え続けていかねばならない。
企業は、生き続けてこそ意味があるのだ。
ブランドはそれが生きていてこそである。
思い出になってしまってはならない。
企業は、それが生み出すサービスが顧客を幸せにし、またその企業に所属する人々を幸せにする装置である。
上手く動かすことが出来ていれば、顧客は増えて行き、利益も増えて成長する。
コダックの終焉は、まさに終演である。
顧客を喜ばせることが出来なくなったら幕は下ろされるのだ。
自分への戒めとしても、コダックはこれからもアイコンであり続けるだろう。
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