美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
すこーし愛して
女優の大原麗子さんが亡くなったのを知ったのは、2009年8月6日夜、ウェブの朝日新聞だった。その誌面では、大原麗子さんの写真が掲載され、とある言葉が添えられていた。
『ながーく愛して』
これは、糸井重里さんがサントリーレッドという国産ウィスキーの広告で書いたテレビCM(1981年)のセリフコピーから引用されている。
『すこーし愛して、ながーく愛して。』
このセリフを大原麗子さんが語る。
ツヤがあって色っぽい。しかしどこか幼い。
このとんでもない存在感は、ただごとではない。当時、このコマーシャルを見た多くの男がそう思ったことだろう。(今また見たい人はYouTubeで検索を)
糸井さんはその著書『糸井重里全仕事』(マドラ出版)の中で、サントリーレッドの広告でどのようなクリエイティブを意図したかを端的に語っているが、彼の広告制作手法は『広告では商品に自分の良さを語らせる』という、本当に王道、ど真ん中のクリエイティブが多い。
『すこーし愛して、ながーく愛して。』
これは、広告では大原麗子さんが語っているが、サントリーレッドの広告だ。つまり、大原麗子さんはサントリーレッドという商品の分身なのだ。だから、『自分を愛してほしい』と視聴者に、つまり消費者に語りかけている主体は、サントリーレッドという商品自身なのである。
糸井重里さんの凄いところは、その商品メッセージの中に生活スタイルまでも提案しているところにある。
このコピーでは『すこーし愛して(少しずつ飲む)、ながーく愛して(時間をかけて飲む)。』という、飲み方の提案もしているし、むしろ、ウィスキーとはこうやって飲むものだ、というメッセージとも考えられる。
さらに、『ながーく愛して』、つまり何度もリピートして購入して欲しいというメッセージも込められている。
そしてとどめが、このセリフは女から男に向けられた生身の言葉としても、恐ろしいほどのリアリティがあるということだ。
深く短く愛されるよりも、少しでも良いから(つまり自分だけでなくてもいいから)ずっと愛してほしいという、男の幻想としか思えないようなメッセージである。しかし、この商品のターゲットは男なので、このあり得ないメッセージはちゃんと効くのである。
ダブルミーニングの極地。レトリックの最良の見本ともいえる。
サントリーレッドは安価なウィスキーだ。そこに大原麗子さんという女優をあてるところにも、クリエイティブのすごさがある。
糸井さんは前述の著書の中で、大原麗子さんは妻というよりはおめかけさんだと位置づけ、おめかけさんとこっそり安い酒を飲む幸せ、という、実に男にとって身勝手なシチュエーションをイメージして、このクリエイティブを考えたと語っている。これがまた男の馬鹿さ加減を見切っていて天才的な着眼点である。
商品特性に対して正面から取り組んで、強烈なインパクトを残した広告の名作。
だからこそ、オンエアから28年もたった今でも、強い印象を残している。
大原麗子さん本人は、自分の死亡記事のキャプションに、まさかコマーシャルのナレーションが付けられるとは夢にも思っていなかっただろうが、逆に僕は思う。それほど監督の狙い通りの芝居が出来た名優だった、と。そしてそれは、舞台でも映画でもコマーシャルでも手を抜かない、本物のプロだけが出来ることである、と。
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