美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
パッケージデザインのバイブル
パッケージデザインのルーツは古い。おそらく前史にさかのぼると思う。中に何が入っているかさえ分かれば良かった旧き良き時代のパッケージデザインは、時代が進むにつれて変化してきたのは周知の通りである。
それは、競合商品が出てきたり、大量生産が可能になったことで単価が下がり、それがかえって大量消費を必要としてしまった経済情勢がパッケージデザインに変化を強いてきた。
商品を運ぶ物流状況におけるパッケージデザインと、店頭に並んで消費者の購入意識に働きかけるパッケージデザインとでは、その手法が大きく異なるのは言うまでもない。
類似商品が多く、また一般化してしまった商品が多い状況の現在、パッケージデザインは大きな役目を負わされている。その最も大きなポイントは、消費者を幸せに出来るかどうか、という点だろう。
消費者の期待を裏切らずに内包されている商品を正しく伝えなければならないし、類似商品の個性を明確に表示し、メーカーの経済効率に寄与することも求められる。
そんな状況のなか、消費の飽和と言われた1980年代にヒットしたのが、無印良品である。無印良品がやったことはミニマリズムのフィロソフィーであった。つまり、パッケージデザインをしない、という逆説的手法である。商品をそのまま、あるがままの姿で店頭に設置し、仕様は小さなシールで貼っただけ、という仕組み。これは、商品開発から携わった田中一光さんの着眼点が大きな意義を持っていた。
しかし、パッケージデザインにおいて、市場が飽和したからといってデザインすることそのものを無化するという積極的放棄という方法論はミニマルアートのコンセプトの引用だが、デザインの進化という意味では残念なことであると僕は思う。
確かに素晴らしい着眼点であり、過剰さを逃れたパッケージデザインで生き生きと存在感を示す商品達は店頭で輝いている。しかし、解釈やエモーショナルなメッセージをデザインという媒体に込めて商品を包むという古典的なパッケージデザインの王道ではない。
僕は、やはり王道のパッケージデザインが好きだ。商品を開発した何人もの担当者と、パッケージデザインを担当する制作チームとがアイデアと知恵を出し合って、まだ見ぬ消費者に愛されるようにデザインを作り上げていくその過程と、出来上がったデザインによって生活に喜びがもたらされるであろう消費者の幸福に思いを馳せるのである。
世界中に尊敬するデザイナーがいる。その中でも、パッケージデザインで素晴らしい仕事をしている佐藤卓さんの本を、僕はパッケージデザインの仕事を頂いたときに必ず読み返す。そこには、佐藤さんがデザインしてきた商品の数々が掲載され、佐藤さんがどういう考えでそれをデザインしたかが丁寧に記述されている。
化粧品やアルコールからスナック菓子、果ては生理用品まで、その範囲は多岐にわたる。出来上がったデザインも、一人のデザイナーが作ったとは思えないほどバリエーションに富んでいる。しかしどれも同じような清潔感、美しさ、そしてメッセージのわかりやすさで貫かれている。
この本は、佐藤卓という一人のデザイナーの作品集であるにとどまらず、デザイン・フィロソフィーであり、それらを後世に残そうとする熱いメッセージでもある。
まさにパッケージデザインのバイブルとして、いつも僕に勇気をくれるのである。
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クジラは潮を吹いていた
佐藤 卓 著
トランスアート刊
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