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アート・コラム
平田憲彦
バート・キャパ、ゲルダ・タロー。2人の写真家
横浜美術館からプレスリリースが届いた。2013年1月26日から開催される展覧会の案内だ。
『ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 2人の写真家』
ロバート・キャパは、もちろん知っている。戦場カメラマンの元祖と呼んでいい人物で、写真家でありジャーナリストであり、そして活動家であった。
写真家集団マグナムの創設者の1人であり、戦場で銃弾を受けて倒れ落ちる兵士を捉えた写真や、ノルマンディー上陸作戦の渦中写真などで一躍世界にその名をとどろかせた。
写真の芸術性とは別に、その記録性に命をかけた写真家である。実際、キャパは戦場で地雷を踏み、その生涯を終えた。
しかし、ゲルダ・タローの名は知らなかった。
プレスリリースに目を通し、しばし黙考。
引用する。
〜〜〜世界で最も著名な写真家のひとり、「ロバート・キャパ」ことアンドレ・フリードマン(1913-54年)が生まれてちょうど一世紀が経ちます。しかしこの「ロバート・キャパ」という名が、当初フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タロー(本名ゲルタ・ポホリレ、1910-37年)の二人によって創り出された架空の写真家であったという事実は、あまり知られていません。〜〜〜
アンドレ・フリーマンという本名も知らなかったが、まさか、架空の人物だったとは。
そして、ゲルダ・タローという女性写真家との共作として、ロバート・キャパなる人物が創造されていたとは、まったく知らなかった。
あの、誰もが知るロバート・キャパは、括弧に入る『ロバート・キャパ』であり、実態はアンドレ・フリードマンという男性カメラマンと、ゲルダ・タローという女性カメラマンの合作だったのだ。
引用を続ける。
〜〜〜 1934年にパリで出会い意気投合した二人は、1936年春に「ロバート・キャパ」という架空の名を使って報道写真の撮影と売り込みをはじめます。仕事が軌道に乗りはじめてほどなく、フリードマン自身が「キャパ」に取って代わり、タローも写真家として自立していきますが、その矢先の1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とします。〜〜〜
架空の写真家『ロバート・キャパ』の分身の1人、ゲルダ・タローは27歳の若さで戦場に散った。戦場カメラマンとして殉職したということか。
ゲルダ・タローは、本名がゲルタ・ポホリレということだから、彼女は二つの架空の名前を重ねて生きていた。プレスリリースに掲載されているその姿は、とても戦場で写真を撮るとは思えない華奢な印象だ。
さらに引用を続ける。
〜〜〜タローの存在とその死は、キャパのその後の活動にも大きな影響をおよぼしたと言われています。 本展覧会は、ロバート・キャパとゲルダ・タローそれぞれの写真作品にもとづく二つの「個展」によって構成されます。横浜美術館が所蔵する194点のキャパの作品を一堂に展示する初めての機会であり、またICP(国際写真センター、ニューヨーク)の企画構成による同館所蔵のゲルダ・タロー作品85点の展示は、タローの仕事を総括的に紹介する日本ではじめての試みとなります。 〜〜〜
長島友里枝さんが寄稿したリーフレットは読み応えがある。機会があれば是非一読されたい。
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