美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
単なる原画ですから
大阪の国立国際美術館で開催されていた横尾忠則ポスター展が閉幕した。本人もコメントしていたが、これが最初で最後の全ポスター展になるだろう、とのことで、実際に展示会場へ足を運ぶと、そのコメントの意味も自ずと理解できた。
膨大な量。約900枚という凄まじい数のポスターが、壁を埋め尽くし、天井からぶら下がり、部屋を縦断し、おびただしいイメージの洪水が美術館を浸食していた。
私が初めて横尾忠則さんの作品と出会ったのは、高校生の時である。今からだいたい30年前。その頃はすでに横尾さんはニューペインティング期に入っていて、グラフィックデザイナーの仕事よりも画家としての仕事に没入していた。西宮の大谷美術館で見た作品は、油絵具が塗りたくられ、品位も構図もない、感情だけがあらわになったかのような暴力的な表層をまとっていた。
初めて見た横尾作品は、60年代から70年代にかけてのポスターや広告作品だったから、そのニューペインティングは大変意外で、かなり違和感があった。実は今でもそうである。横尾作品のニューペインティング時代からは、私はあまりインスパイアされることはない。
900点という前代未聞なポスター展は、横尾忠則が神戸新聞社に入社する前の時代から、最新作まで含まれていたので、その全てを俯瞰できる構成となっていた。
私が今でも多く刺激を受け続けている60年代から70年代の作品もすべて展示され、その圧倒的な破壊的パワーに唖然とした。
情念と性欲と自己愛が渦巻き、極端な内省は他者への攻撃的なメッセージとなることをグラフィックで表現化しているその腕ずくの力は、こぎれいで整然とした透明感あるグラフィックデザインを寄せ付けない破壊力があるのだ。
彼は、とりわけタイポグラフィーが素晴らしく、本当に誰にも似ていないグラフィックイメージで強烈なタイポグラフィーに感情を塗り込めるような作品を作った。ブックデザインもその流れがあり、杉浦康平さんとも粟津潔さんとも似ていない日本の湿り気を定着させていた。
紛れもなく、日本を代表するグラフィックデザイナーだと確信している。
※
私が横尾さんに会うのは、今回が二度目だった。1度目は、20年ほど前にとあるメーカーの広告に出演してもらったことがあり、その時の撮影で。
スチール撮影だったが、彼の自宅まで訪問して、アトリエで撮った。
2回目の今回は、ポスター展開催前日の記者会見である。
私は、横尾忠則さんはグラフィックデザイナーだと今も思っている。それはサイトウマコトさんがグラフィックデザイナーだというのとあまり変わらない。
デザイナーである彼が、アート思考を内包していただけの話で、彼が制作する作品は、そのほとんどがデザイン的な視点が入っている。
私は、以前から気になることがあった。
それは、たとえば一枚のタブローがあるとする。それはもちろん横尾さんが描いたタブローだ。彼は、自分のタブローを元にして、そこからオフセット印刷のポスターを制作するということも頻繁にやっている。その両方が、彼にとっての作品となっている。
しかし、同じ絵を使っているにもかかわらず、当然のことだが、タブローの色調と、タブローを使って制作したポスターの色調は同じではない。それは技術的にも原理的にも同じ色に出来ないからだ。どんなに最高の技術を使っても、同じ色にすることは出来ない。
しかし、かなり近づけることは出来る。素人目には同じかな、と言えるくらいには近づけることは可能だ。
横尾さんの『タブローと、同じタブローを使ったポスター』は、色がかなり違う。それは、違うことを目的としてあえて違えているのではなく、単に色校正の精度が低くて色が違っているという違いなのだ。
もうちょっと近づけることは可能だ。
それが、なぜ悪いまま放置され、そのまま印刷されたしまったのか。
これくらいの違いは違いじゃない、という見方なのか。
私はそれを質問した。
横尾さんは一瞬不思議そうな顔をして、こう答えた。
「タブローは単なる原画ですから。」
タブローを描いたときはもちろんタブローが作品であり、その色を出そうとして描いている。しかし、それをポスターにしようとしたときは、完成したポスター自体が作品であり、たとえ自分のタブローを使ったとしても、それは単に原画に過ぎない。
そう答えてくれた。
『オリジナル』という価値観自体を否定したデュシャンと同じ認識である。
私の質問に対する彼の答えを簡単にまとめると、つまりこういうことだろう。
〜細かいことは気にしていない。要は自分のイメージがちゃんと見えているかどうかだ。〜
自分が描いた絵を、単なる原画だと言い切る横尾忠則は、もう誰も追いつけないところへ行ってしまったように思う。
余談だが、900点のポスターを収録した作品集はたいへんな重量の大作。12,000円は安いと思う。しかし、その構成がずいぶんおとなしく、横尾作品の本質とはかけ離れた仕上がりだ。
コレクション的視点で見ると、カタログレゾネとしては良くできていると思うが。
なので、オススメなのは雑誌『アイデア342号』の横尾忠則特集だ。おそらく今回のポスター展開催期間に合わせて刊行されたと思うが、ものすごく良い。さすがの編集、見事な構成。
3,000円を切る低価格なので、是非こちらを入手してもらいたい。一生ものの1冊であることは間違いない。
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