美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
アッジェと36分の1
大学時代、写真の授業を受けた。実技と教養という二種類あって、実技は脇リギオさん、教養は重森弘庵さんが教鞭を執っていた。実技では、35ミリのモノクロネガでずいぶんと沢山撮影したように思う。撮影して、現像して、焼き付ける。それらをすべて自分でやるわけである。
二年間の授業でモノクロは終了し、3年生からはカラーになった。ただし、私は広告の授業を選んだので、写真は二年間しかやらなかった。
教養についても同様で、二年間重森さんの講義を受けた。今となっては、もっと吸収すべき内容が多かったと思うが、ほとんどのことを覚えていない。実技も同様。
ただし、それぞれにひとつだけ、今も生きている貴重な教えがある。
実技の脇さんからは、『35ミリフィルム1本、36カットを真剣に撮って、ようやく1カットまともな写真が撮れる。』というものだ。
36分の1という確率で、まあまあの写真が撮れるということ。私は、はじめ半信半疑だった。もうちょっとあるだろう、1カットなんてことはないだろう、と。しかし、最初の課題で写真を撮ったとき、脇さんの言っているとおりだということがわかった。そんなに簡単に、自分のイメージ通りの写真が撮れるはずはない。それが身にしみたし、今でもその教えは生きている。
教養の重森さんからは、アッジェを教わった。アジェとも表記するが、重森さんは“アッジェ”といっていたので、それを踏襲する。
アッジェはフランス人写真家で、写真の黎明期を生きた。アッジェの写真はそもそも、画家が絵を描く際に資料にするべき街の風景や細部を写した写真で、いわば、記録や資料としての写真であった。撮った数は膨大である。
それが、長い時間を経て、極めて芸術性の高い写真であると見直され、資料写真が芸術写真へと変容した。そんな写真家。それがアッジェである。
本人は芸術作品だという自覚をもって写真を撮っていないので、写っている写真はとてもまっすぐなのである。奇をてらったアングルも無ければ、特別な意味を込めたショットもない。ライティングも、ビックリするくらい光が回っている。あるのは、ひたすら画家が求める資料としてのパリの風景であり、街の細部なのだ。
それが、たぐいまれな視線を表出し、結果として傑作写真の洪水を生み出すに至った。
重森さんは、しきりにアッジェの話を講義に出し、いかにアッジェがすごいかを淡々と、しかしスライドを交えながら熱く語った。
アッジェの写真を前にすると、エヴァンスでさえ凝った写真に思えてしまうくらい、“普通”である。しかし、その普通の空気の中に、写真というもののチカラを感じる。作者の存在を可能な限り排した“パリという街”が親しげに現れてくるのである。
田中一光が言っていた“風のようなデザイン”に通じる、対象が自然に現れているビジュアル。
学生時代に買ったニコンFE2は今もしっかり動いているが、もはや35ミリフィルムカメラの時代は風前の灯火である。しかし、ニコンはたいしたメーカーだと思う。伝統のFマウントというキャッチコピーは、まだ生きていると言っていいだろう。
エントリー向けのデジタル一眼カメラでは、別途用意した露出計さえあればマニュアルレンズを使って今でもちゃんと撮れるし、上級機種のD200では、設定さえしてやれば、ボディ内蔵の露出計が動作する。
アッジェの写真にほとんど人が写っていないのは、カメラと感材の性能の関係で露光時間が長いため、人がいても流れてしまって定着されないからだ。だから、アッジェの写真のほとんどは、人の写っていない“生のパリの街”が生きている。
今デジタルで、しかもオートフォーカスで、露出のことなどあまり考えなくてもすむようになってしまったが、ニコンの旧式マニュアルレンズを最新のデジカメに装着して、露出計で計測しながら撮影すると、写真の長い長い時間の流れを、少しだけ感じることが出来る。
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