美術書庫
アート・コラム
平田憲彦
写研書体は、生きている
昨日ほぼ衝動的に買い込んだ2冊の雑誌。『エスクァイア』と『スタジオヴォイス』はいずれも最新刊の3月号で、いずれも本の特集をしている。
『エスクァイア』は〈美しい本、230冊〉、『スタジオヴォイス』は〈今最も面白い小説150冊!〉と特集を名打ち、それぞれオススメの本を取り上げている。あたりまえだが、編集方針は全く違う。
こういった本を紹介する特集でおもしろいのは、そのセレクションだけではなく、リコメンドしている文章であったりする。つまり、ブックレビューということだ。万象堂でも『書物迷宮』と題して似たような企画をやっている。あれと同じである。
『エスクァイア』は、本を紹介するのみならず、書店や出版社も紹介し、そのフィールドは世界へ広がっているという気合いの入った企画となっている。
『スタジオヴォイス』は小説のみにフォーカスしたリコメンドで、関係者の対談が多数収録された内容。対談では小説だけで話が弾むというわけでもなかったようで、アチコチ話が飛んでいる。それもまたおもしろいが。
そもそも違う編集方針で作られたにも関わらず、発行タイミングと主題が同じになってしまったこの2つの雑誌。共に、いわゆる“サブカルチャー”としてカテゴライズされることもあってか、出稿されている広告も似ている。というか、同じ広告すらある。
『エスクァイア』を読み進めているうちに、なんだか、気分がいい。この心地よさはなんだろうと思い、気が付いた。書体だ。この『エスクァイア』、本文に使われている書体はほとんど全て写研の書体なのだ。
MM-A-OKLをはじめ、写研が生み出した美しい書体が贅沢に、存分に使われている。これは贅沢というよりは、単に電算写植で本文組みしているだけなのかもしれないが、それでも、1990年頃から始まったDTP革命で様変わりしていった本文組、グラフィックデザインは、写研からどんどん離れていった。Macのフォントを写研が発売しなかったことがその最大の理由である。Macはモリサワ書体でほぼ埋め尽くされた。しかし、それでも写研は生きているし、現にこうやって2006年3月号の雑誌で、存分にその美しさと読みやすさを我々に示してくれている。
そして、今でも私は、写研の書体に対しては深い思い入れと愛情があり、石井中明においては、尊敬の念がある。
日本語で本文組みするとき、本文組において、MM-A-OKLを越える美しさを生み出せる明朝体はない。岩田明朝でさえ、石井明朝のエレガントでかつ可読性に富んだ本文組には及ばない。味わいといったら岩田明朝も素晴らしい風合いを持っているが、エレガント、という意味では石井明朝がぬきんでている。
それをMac環境でクリエイトすることが出来ないのは、なんとも苦々しい思いでいっぱいである。文字組に関してMacのモリサワしか知らない人が万が一いたら、それはとっても不幸なことだ。
その写研をふんだんに使っている『エスクァイア』でさえ、表紙と目次はマックで作られているのだから、やはり問題の根は深い。
『エスクァイア』で特集内特集されているスイスの出版社、その記事には大いに触発される。特集のリードでもうたわれているが、“会社は限りなく小さく、クオリティはどこまでも高く”。その記事中で語られる彼らの話には、どこまでも共感し、勇気づけられる。
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