書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
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本本堂未刊行図書目録
坂本龍一
本本堂(1984年)
1984年11月1日発行。朝日出版社から出ていた『週間本』というシリーズの中の一冊だ。ちょうど新書版のような判型で並製本200ページほど。紙質はわら半紙のような粗悪な紙だが、30年以上立った今でも、日焼けはしているがちゃんと物体の体をなしている。
巻末にある版元による刊行の辞が、時代を代弁しているようで面白い。シンクロトロン、フラキチュエイションなどといった訳の分からないカタカナ語がいっぱい。スキゾやニューアカ、ポストモダン、リゾームなどというコトバが氾濫していた頃の風俗の痕跡を残している。
本本堂というのは音楽家の坂本龍一が起こした出版社で、今もあるのかどうかはよく知らない。ちなみに、この『本本堂未刊行図書目録』が発行された1984年、坂本龍一は32歳である。
私は坂本龍一のレコードは一枚しか持っていないので、彼のファンと名乗るわけにはいかないが、坂本龍一の音楽はとても好きである。その彼は、父が出版社勤務の編集者だったということもあり、本に対する思いはかなりのものらしいということはいろんなインタビューや対談からでも推測できることだ。
その坂本龍一が出版社を起こしたのは、この『本本堂未刊行図書目録』に収録されている発言からもわかるとおり、書物をシステム的に内側から変えていこうとするために他ならない。
この本では、現実に刊行されていない本本堂の書物を目録化して何人かの手により装丁、その図案をカタログ化、さらにそれを書籍にして販売するという、おそらく前代未聞、今に至っても、この本に類するものはないだろう。早い話、ギャグ、洒落なのね、と解釈するのは間違っている。この企画は大まじめで、紛れもなく本本堂主宰の坂本龍一が書物とそれにまつわる世界に一石を投じようとしたアジテーションと考えるべきだ。
3部構成となっていて、一部は『本本堂未刊行図書目録』の装丁集。2部は、坂本龍一と浅田彰の対談。3部は坂本龍一、井上嗣也、菊池信義の座談会。恐ろしく豪華かつ強力な布陣である。
書物や音楽の生成システムを市場や流通という縛りを離れ、プロセスの内側から変えようとする坂本、それを思想的に構築しようとする浅田の対談は、書物や音楽という創作行為を自ら破壊しつつ再生産する可能性に踏み込んだ大変刺激的なものだ。
この対談で語られていることのいくつかは、驚くべき事にアップル社のiTunesとiPodが現前化させた。彼らの言葉が思考の遊戯ではなく、いかに切実に希求されたものだったのか、創作行為の核心を突いていたかは、月日が経って証明されたと言える。
書物を市場経済という束縛から奪い返す執着を見せるのは、菊池信義。あくまでもクリエイティブという視点で書物をとらえる井上嗣也。それを概念的に補足しつつあおり立てる坂本龍一というトライアングルが面白い座談会。
いかしそうは言っても、菊池ほど市場観念で装幀をとらえる事の出来る職人も、井上くらい書物を表層から意味づけしようとするデザイナーも少ないのではないかと思えるが、この書物が出版された時代ならではの牧歌性がつきまとっているのは、現在の書物と装幀の状況を考えると批評的に意義深いと思える。
荒俣博は、人より早く消滅する本など書物とは呼びたくないと雑誌『太陽』に書いたが、この対談での菊池は、本は50年くらいで滅びたっていいと言う。どちらも書物に関わる人生を歩みながらも、こうも考えが違う。あたりまえだが、そのあたりも本好きには楽しめる言説だ。
ちなみに、杉浦康平はこの『本本堂未刊行図書目録』の企画に賛同せず、装丁依頼を断ったという。受諾の返事は遅かったが結局参加したのは赤瀬川原平。それも、なんだか納得できる話ではある。
※敬称略
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