書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
『流星ひとつ』または、インタビューという仕事
ルポライターである沢木耕太郎さんが、歌手の藤圭子さんをインタビューした。
ただそれだけの本である。
ところが、『ただそれだけの本』を出版することがどれほど珍しいケースか、普段余り気に留めることも少ない僕たちは、この本を読んで『ただそれだけの本』の凄さを思い知ることになる。
流星ひとつ
沢木耕太郎
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ひらめきは沢木さんにあった。1979年、歌謡界のトップに上り詰めた藤圭子さんが突然引退発表を行い、沢木さん自身も藤さんの歌に惹かれていたことも重なって、ルポライター魂に火が付き、インタビューだけで構成されたルポルタージュ出版を企画する。
この企画力もすばらしいが、思い立ったらあらゆるコネを使いまくってターゲットに取材するという行動力もすごい。この本は、取材して執筆し、原稿にまとめて出版許可まで得て、出版社も決まっていたのに沢木さんが自分で出版を断念したという経緯がある。このインタビューに掛かった時間もコストも、まったく回収できていなかったのだ。今回出版されることになるまでの、33年間も。
このあたりのことはあとがきに詳細に書かれているので、そこも読み応えのあるエッセーとなっている。
つまりこの本を読む僕たちは、沢木耕太郎というライターを通じて、仕事とは何かということを学ぶことが出来るとも言える。
沢木さんがこの本の中で試みている『インタビューだけで構成された本』という方法論から、多くのことを学べる。
まず、『インタビューだけで構成する』という発想。これがつまり『ただそれだけ』ということだ。インタビューしかない。
普通は、ここで掲載されているようなインタビューを元原稿にして、大きく編集の手を加える。質問者のコトバを大幅にカットし、相づちや誘導じみた枕詞なども全部削除し、対象者のコトバがより全面に出るように構成を大きく変えていく。
もちろん話している言葉をいじることは少ないが、場合によってはそういう事もある。同じ事を何度も繰り返していたり、はしょりすぎて意味が通じにくくなっている部分を補足したり、といったことだ。
対話形式のインタビューにするのか、あるいは独白形式にするのか、あるいは、取材する側の記事という体裁で(新聞記事のように)客観的な形式にするのか、インタビューは、取材した時の記録(録音)を元にして、大幅に編集されて読者の元に届けられる。
それは、ある意味で当然のことである。インタビューしたそのままを、編集を加えずに提示しても読者は読みにくいからである。しかし、そこで『そのままでは読みにくい』と考えるのは、あくまでも送り手である取材者や出版社なのだ。読み手はもしかすると、『そのままがいい』と思っているかもしれない。『そのまま』のほうが、より一層インタビューが生々しくなるかもしれない。
でも、そう考えてこなかった、というのが本当のところだろう。
僕たちはこの本で、『そのままのインタビュー』がいかに魅力的なのかを知る。
同時に、インタビューを『そのまま』本に出来るような取材を実行出来た沢木さんの仕事力に驚嘆することになる。
この本はそういう意味でも、インタビューを仕事にしている人には必読の書といえる。もちろん、取材時点での沢木さんは31歳だ。ライターのキャリアとして考えたら、まだこれから、という段階だろうと思う。そして取材される藤圭子さんも28歳という若さ。この取材状況は、若者同士の会話という印象もなくはない。しかし、藤圭子さんが28歳まで歩んできた人生と、沢木さんの31歳までの人生は、情熱と行動という部分が常人と違う深さだったのだと思う。深い洞察力、深い思考力、そしておおいなる悲しみを、この二人は違う人生を歩んできていながら共有出来ている。
インタビューは、若さが露呈している部分もあるが、だからこそ熱い。そして沢木さんがインタビューを『そのまま本にする』という企画で臨んでいることからも、会話の密度がずば抜けて高い。一言も無駄なコトバを口にしない、というような決意すら感じられる。
まさに、ミュージシャンがライブレコードをリリースすることを前提に演奏するような緊張感がみなぎっている。そこを、リラックスさせながらインタビューを進めていく沢木さんの情熱とテクニックは、見事なものだ。
インタビューという仕事、という面にばかり焦点をあてて紹介してきたが、もちろん内容も素晴らしい。歌手であり藤圭子という芸名をもつ一人の28歳の女性が、歩んできた人生とこれからの人生を俯瞰し、本来の自分へ脱皮しようと試みているその瞬間に、僕たちは立ち会う。同じく、ルポライターであり沢木耕太郎というペンネームを持つ一人の31歳の男性の鮮やかな仕事ぶりにも立ち会う。
これこそドキュメンタリーと呼べるのではないか、と僕は思うし、音楽とルポルタージュという異なるジャンルで生きてきた二人の『仕事論』としても読むことが出来る。
藤圭子さんが2013年に自ら死を選んだこと、歌手の宇多田ヒカルさんの母親だということ、そういうことは忘れて(出来るだけ忘れて)この本を読むことをお薦めしたい。
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