書海放浪記
書物迷宮
平田憲彦
『アンリちゃん、パリに行く』、待望の復刊
ソール・バスのことを初めて知ったのは、私が大学に入学した1984年だ。高校生の時からグラフィックデザインに興味を持ち、田中一光、横尾忠則、亀倉雄作など多くの日本人グラフィックデザイナーの影響を受けて、自分の将来を夢見た。
大学に入るまで、外国人のグラフィックデザイナーのことは全くと言って良いほど知らなかった。しかし、入学後、教授をはじめ、多くの仲間や先輩を通じて欧米のデザイナーを知ることになった。
ポール・ランド、ハーブ・ルバリン、アラン・フレッチャー、シーモア・クワスト、ミルトン・グレイサー、アイヴァン・チェーマイエフ、ヘンリー・ウルフ、エミール・ルーダー、ハーバート・バイヤー、ミューラー・ブロックマン、それら多くのグラフィックデザイナーの作品を次々に見ていきながら、こんなデザインを自分もしてみたいと、いつも心に思うようになった。
日本人のデザイナーとしては、田中一光さんが大好きで、大学での課題では一光さん風のデザインをよく真似していた。しかし、欧米のデザイナー作品を真似することはなかなか出来なかった。それは、なんだろう、ドローイングとユーモアが美しい色彩に溶け合って、自由で広がりのあるタイポグラフィーの世界が、まったく手に届かないくらい遠い世界だったような記憶がある。
色面を使って活字で構成するようなデザインが好きだったこともあり、ポール・ランドやミルトン・グレイサー、アラン・フレッチャーのようなハンドレタリングを駆使した洒脱なデザインは、まったく私は出来なかった。憧れだけが先行し、彼らの作品集を手に入れるたびに、ため息混じりにその輝くばかりの紙面を眺めた。
ソール・バスも同様だった。しかし、私が初めてソール・バスの名を知ったのは、企業のロゴタイプやマークだった。当時日本はバブル真っ最中で、多くの企業がCI導入に躍起だった。ソール・バスは、味の素、コーセー、紀文、ミノルタといった日本の企業のCIを多く手がけていたのだ。
なので、ソール・バスの傑作の一つ『黄金の腕』などの映画作品は、少し後になってから知った。その抜けの良いレイアウト、ハンドレタリングと自由なドローイング、私にはかなわない雲の上のクオリティに思え、こんなデザインは絶対無理だ、とやるまえから意気消沈するほど衝撃を受けた。
そんなソール・バスが絵本を出していたのを知るのに、それほど時間はかからなかった。大好きなポール・ランドも絵本を出版していて、それはすぐに入手出来たのだが、ソール・バスの絵本『Henri's Walk to Paris』は、なかなか実物にお目にかかれなかった。古書店に売ってもいないのである。グラフィックデザインの作品集に、そのページが抜粋されて掲載しているのを見るのが精一杯。本物を見たくて探し回ったが、手に入れることはおろか、見ることすら出来なかった。
ポール・ランドの初めての作品集が朗文堂から出たのも、私が大学生の時だ。当時、私が住んでいたアパートは家賃が25000円だった。その時代に、ポール・ランドの作品集は18000円した。もう決死の覚悟であった。何日も買うか我慢するか悩みに悩んで、結局買った。もうどうにでもなれという心境だったが、心はとんでもなく満たされた。宝物だ。その本は、今も大切に持っていて、頻繁にページをめくる。
ソール・バスの『Henri's Walk to Paris』も、もし見つけていたら、たとえ2万でも3万でも私は買っていただろう。ところが売ってないのでどうしようもなかった。当時はインターネットも無い時代だ。情報も少なかった。
たしか1年前か2年前、神戸の古書店で初めて本物を見る機会に恵まれた。偶然に、その店主が持っていたのだ。しかし、それは非売品だった。店主の私物なので売らないという。私は複雑な心境で、初めて見る本物の『Henri's Walk to Paris』を手にし、ページをめくった。
しかし、深く見ることを私は避けたのである。手に入れられないし、彼の私物なら自由に見ることも出来ない。かえって悲しい思いをするだけのような気がして、本物に巡り会えた喜びよりも、遠い幻に会ったような哀しみに襲われたのだ。
しかし、奇跡は起こるのである。
その『Henri's Walk to Paris』が、2012年になって突然復刊したのだ。版元の記録では、2月14日とある。バレンタインデーである。なんと洒落たことをする版元だろう。
私が復刊を知ったのは、つい先日。アマゾンでたまたま何かを検索していて、偶然に画像が出てきたのだ。
私はてっきり、古書、つまり、アマゾン・マーケットプレイスで出品されたのかと思った。しかしそうではなかった。新品の書物として販売されているではないか。
私はパソコンのモニタに向かって声を上げてしまった。信じられない、これはなにかの冗談ではないかと、本気でそう思った。しかし、やはり本当に販売されている。
なかなか信じられなかったので、米国のアマゾンのページでも検索してみたが、やはり掲載されている。
これは本物なのだ。あり得ない。あり得ないことが起こった。
もちろん速攻で注文、2日後には配送されてきた。
もう、なんと表現すればよいか、これが本物か、と。ため息である。そして泣きそうになった。1962年に発行されたオリジナルがどんな色彩だったかはは分からないが、神戸の古書店で見たオリジナルと近い気もする。これはかなり忠実に再現されているのではないか、と感じた。根拠はない。しかしそう感じさせるくらい、書物の完成度が高い。
何度も見返し、扉を閉じ、また見返す。両手で持って、しばらく重さを感じる。本に顔を近づけて匂いをかぐ。離してまたページをめくる。そんなことをしばらく繰り返した後、アマゾンの包装に戻して鞄に入れた。そのまま家に帰った。
リビングのテーブルに置いて、毎日眺めている。幸せである。
この幸せを誰かに分けてあげたい。自分ひとりではもったいない。
そう思った私は、この本を愛する娘にも贈ることにした。
毎日いろんなことが起こるが、こういう奇跡が起こるなんて、世の中はまだまだ捨てたもんじゃない。
などと、まだ夢からさめやらぬ日々なのだ。
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