書海放浪記
ハイデルベルグへの旅、1967年
父とドイツとニコンF
平田憲彦
第6回:グランド・ジョラス
父が撮影したモンブランの山々。すでに1カットを掲載しているが、実はこの写真が一番気になっていた。鬼の角のような鋭利な山頂。厳しく美しい山々の、荘厳な光景である。見ているだけで吸い込まれそうな魔力を感じてしまうこれらの山は、やはり多くの登山家の心を奪い、そして命も奪ったという。
以下、ウィキペディアから引用する。
グランド・ジョラス(Grandes jorasses)は、フランスとイタリアの国境にある山。標高4,208m。
北壁(ウォーカー側稜・ウォーカーバットレス)はヨーロッパ三大北壁の一つでもある。初登攀は1937年、リカルド・カシン一行である。長谷川恒男と森田勝の冬季北壁単独世界初登攀争いの舞台にもなった。 三大北壁の中では知名度で劣るものの、難易度では最難関と言われ、森田勝もこの山で命を落とした。
1967年7月22日 - 高田光政(日本人で初めてアルプス三大北壁の全登頂に成功)
1969年7月23日 - 齋藤雅巳(北壁ウォーカー稜単独第2登)
1979年3月4日 - 長谷川恒男(冬季北壁単独世界初登頂)
引用以上。
父は撮影した写真にほとんど記録を残していないので、多くのカットはどこを写したものなのか想像するしかない。しかし、この写真は有名な山とみえて、インターネットで検索したら多くの似た写真が出てきた。ブログでも沢山紹介されている。
そんなテクノロジーのチカラのおかげで、私はこの写真がグランジョラスという著名な山であることを知ったのだ。
左からグランジョラス(Grandes Jorasses)4208m、中央がモン・マレ(Mont Mallet)3989m、一番右がダン・デュ・ジェアン(Dent du Geant) 4013m、巨人の歯という愛称があるらしい。グランジョラスの左側面がウィキペディアでも触れられている有名な北壁で、マッターホルン、アイガーと並ぶ世界三大北壁とのことだ。グランジョラスの手前にある雪原がヴァレ・ブランシュ氷河。
私はあまり詳しくないので、前述の多くの情報をインターネット上のウェブページから知った。
それらのおかげで父の視点を私は今追体験できている。
父はおそらくこのカットをエギュイユ・ドュ・ミディ展望台から撮ったはずだ。
私も写真を撮る。初めてまともに写真を撮った記憶は、18歳である。大学に入って写真の授業があり、そこで一眼レフのカメラを買い、35ミリのネガフィルムで撮影した。買ったカメラはニコンのFE2という機種である。
父はずっとニコンだった。これらの写真がニコンのどの機種で撮影されたのかは、聞いたのかもしれないが、私は忘れてしまった。時代を考えると、Fかもしれない。
大学に入った私は、カメラを買うときに父に相談したが、その時父が使っていたFMという機種の話を聞いて、FE2にしたわけである。
FEはもう売ってなくて、中古を買うという発想がまだなかったこともあり、FMに露出計を内蔵した機種にした。
父は自分の事を『ニコン党』とよく口にしていた。そんな父の影響を受け、私もニコン党に入党したわけである。
今回の連載を続けながら思うことは、父は撮りたいと思ったモチーフをフレームのセンターに配置しているカットが圧倒的に多いということである。この写真もそうである。
しかし、絵作りに凝ることの多かった私は、モチーフをフレームのあちこちに配することが多く、また、森山大道さんの写真が好きだったので、モチーフを撮ると言うよりは空気感や情念を光と影の中で印画紙に焼き付けたい、などと表現指向に走っていたから、父のようにモチーフをセンターに配置して、ナチュラルなアングルで撮るということが少なかった。
そう考えると私は父の影響をほとんど受けていないということになるが、こうやってストレートで素直な写真を見ていると、ダヴィンチの肖像画ではないが、モチーフをセンターに配置して撮ることの意味を改めて考え直すきっかけを与えてくれる。
父が撮った写真は凝ったアングルはない。光の調子も極めてニュートラルで、フレーミングも標準的だ。がだ、とても安心感がある。見ていて目線を共有できるので、まるで自分が見ているかのような錯覚に陥る。
それは私が彼の息子だからということもあるのだろうが、それだけではないような気がする。
私も18歳以来数え切れないくらいの写真を撮り、おびただしい数の写真作品を見てきて、そしていま私は仕事としても写真を撮り、写真家に撮影を依頼するようになっているが、そんな大量の写真と接してきた自分でも、父の撮った写真には引き込まれる。
平凡と言えば平凡である。しかしそれは、良く言えばアジェが平凡でありながら非凡であるように、正直な目線と雑念を消したような真正面のアングルから見えてくる世界が、撮影者の個人性をはぎ取って、撮影されている世界がそのまま提示されているからなのではないか、と思える。
もしかしたら父は、撮影している自分自身の個性や感性といったものをすべて忘れ去り、日本にいる自分の妻と息子に、今見ている風景を見せてあげたいと、そう思ってシャッターを切ったのではないだろうか。だから、凝ったアングルの写真は皆無で、見ている風景やモチーフをそのまま切り取っているのかもしれない。
もう父にそんなことを聞くことは出来ないが、これらの写真を見ていくほどに、父の見た風景を自分が見ている気になってくるのだから、息子の戯言ではなく、確かなことのように思えるのである。
撮影:平田勝彦(1967年)
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